第5話 リビングでの舌戦
「コホン! さて、太郎さんのおかげで落ち着いたところで、本題に入りましょう!」
香澄さんが気を取り直して、バッグからタブレットを取り出す。
「皆様の懸念はごもっともです。ですが、本日お連れした候補者を見れば、考えが変わるはずです! 私の所属する『データ至上主義派』のホープであり、私の尊敬する先輩……。統計局所属、法条マコトさんです!」
香澄さんがドアに向けて合図を送ると、一人の女性が静かに入室してきた。
銀縁の眼鏡の奥で、氷のように冷徹な瞳が光る。隙のないグレーのスーツに身を包んだ彼女は、挨拶もそこそこに、持参したデバイスから空中にホログラムのグラフを展開した。
「はじめまして、天海家の皆様。法条マコトです。柊さんの頼みで、非効率な慣習を是正するために参りました」
マコトさんは俺の顔を一瞥することもなく、流暢な口調で語り始める。
「まず、大前提を確認しましょう。一〇〇年前、謎のウイルスによるパンデミックが世界を襲いました。女性のX染色体に共生したそのウイルスは、生まれてくる男児の九九%をゾンビ化させた。……この歴史は、単なる悲劇ではありません。文明の転換点です」
彼女はホログラムをスワイプし、世界の地図を表示させた。
「一夫一婦制という旧来の倫理観に固執した諸外国を見てください。男性を巡る暴動で崩壊した国、あるいはノーマル男子をカプセルに閉じ込め、人権を剥奪して『国家の種馬』としてのみ管理しているディストピア……。それに比べ、我が国がこれほどの豊かさを享受できているのはなぜか」
マコトさんの視線が、麗子と蘭を射抜く。
「それは、徹底したデータ管理による『一夫百妻制』というシステムが、最も効率的にリソースを分配しているからです。ノーマル男子は、個人の所有物ではない。社会を維持するための『国家重要インフラ』なのです」
「インフラ……? 俺のこと?」
俺の呟きを無視して、マコトさんは俺の目の前に詳細なスケジュール表を提示した。
「天海春斗さん。あなたは本日より、私の管理下において『国家重要インフラ・特別天然記念物F第〇〇四号』として稼働していただきます。これは、向こう五〇年間のあなたの生活設計図です」
そこには、分単位で区切られた予定が、びっしりと書き込まれていた。
「睡眠八時間、食事三回、各三〇分。そして一〇〇人の妻との平等な面会ローテーション。データによれば、このリズムを維持することで、あなたのストレス値は最小化され、子孫繁栄の確率は最大化されます。無駄なゲームの時間は排除しました。娯楽は週に一度、日曜一五時からの五分間のみ許可します」
「……は? ご、五分?」
俺の絶望的な声をよそに、マコトさんは淡々と続けた。
「第一夫人という座を感情や金で決めるのは、ナンセンスです。私がその座に就くことで、天海家の運営を完全に自動化し、この百花繚乱閣を完璧な統治機構へとアップデートいたします。……柊さん、これが私の提示する『正解』よ」
香澄さんは、マコトさんのあまりの「完璧さ」と、家族たちの顔にみるみるうちに浮かんでいく「激怒」の表情を見て、あわあわと手を振った。
「あ、あの! マコト先輩! 流石に五分は短すぎると言いますか、その、ご家族の皆様のプライバシーも考慮して……!」
「プライバシーは非効率の温床よ、柊君」
マコトさんの断言に、リビングの温度が再びマイナスまで急降下した。
「……ちょっと、お姉さん」
俺は、あまりの圧倒的な「正論(という名の暴力)」に、半ば魂が抜けかかっている香澄さんの肩をそっと叩いた。
「こ、これは、その……春斗さんにぴったりの、データ上最高の……っ!」
必死にフォローしようとする香澄さんだが、その瞳はすでに泳ぎまくっている。
俺は、太郎が置いていった冷たいお茶を彼女に手渡し、誰しも初めからうまくはいかないさと、困ったように笑いかけた。
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「五分……!? 一週間に、たったの五分ですって!?」
静寂を切り裂いたのは、椿の悲鳴に近い絶叫だった。
彼女は手に持っていた湯呑みをガタガタと震わせ、驚愕に目を見開いている。
「そんなの、ログインボーナスを受け取るだけで終わっちゃいます! お兄様からゲームを奪うなんて、生きるなと言っているのと同じです! この……冷血なデータ女め!」
椿が懐からスタンガンを取り出し、バチバチと威嚇の放電音を響かせる。マコトは眉ひとつ動かさず、眼鏡を指先で押し上げた。
「生存の定義によります。肉体的な生命維持にゲームは不要です。むしろ、過度なブルーライトは生殖能力に悪影響を及ぼすという統計が——」
「ふざけないでちょうだい!」
麗子が扇子をテーブルに叩きつけた。その鋭い音に、隣でオロオロしていた香澄さんが「ひゃぅっ!」と短い悲鳴を上げる。
「息子を国の歯車にする? そんな無機質なスケジュールで一〇〇人の妻を管理するなんて、天海家の『格』が落ちるわ! 第一夫人には、家内をまとめ上げ、私と対等に渡り合えるだけのカリスマが必要なのよ。あなたのような、血の通わない計算機に春斗は渡せません!」
「感情論ですね。カリスマという不確定要素よりも、法的なアルゴリズムによる統治の方が、結果的に夫人の生存率は向上します」
マコトさんの淡々とした反論に、今度は蘭がスマホを弄りながら冷笑を浮かべた。
「法的なアルゴリズムねぇ……。でも残念。そのスケジュール、すでに破綻しているわよ」
蘭が手元のスマホの画面をマコトさんに向けた。そこには、びっしりと書き込まれた別の予定表がある。
「毎週火曜日の夜は、私のお得意様である大手商社の令嬢に『特別面会枠』として売却済み。成約金も振り込み済みよ。あと、土曜日の午後はさくらが『お兄様と遊ぶ時間』として一年分予約済み。あなたの言う『平等なローテーション』を入れる隙間なんて、この家には一ミリも残ってないわ」
「……なんですって? 私が定める優先枠を、私的な売買で占有しているというのですか?」
初めて、マコトさんの冷静な表情に亀裂が走った。
マコトさんが提示する「最適ルール」と、天海家の女たちが築き上げた「独自の利権」が真っ向から衝突する。その中心で、香澄さんは完全にパニックに陥っていた。
「ま、マコト先輩! 天海家の方々、どうか落ち着いてください! シミュレーションでは、ここまでの抵抗は予測されていなくて……! あわわ、データが、私の完璧なデータが書き換えられていく……っ!」
涙目になりながらタブレットを必死に操作する香澄さんだが、もはや誰の耳にも届いていない。
「お兄様の自由を奪う奴は、国家公務員だろうが容赦しません!」
「品格のない女に第一夫人の座は譲りませんわ!」
「違約金を払う気があるなら、話を聞いてあげてもいいけど?」
椿がスタンガンを構えて突撃し、麗子が威圧的なオーラでマコトさんを射貫き、蘭が電卓を叩いて追い詰める。まさに百花繚乱の外交戦。その混沌とした戦場の中で、太郎だけは無表情のまま、空になったマコトさんの茶たくに「おかわり」のキュウリを静かに添えていた。




