第42話 キューピッド大作戦2
作戦その2『農作業で癒やしデート作戦』
SP復職作戦の惨劇から数日後。
俺たちは場所を変え、百花繚乱閣の屋上菜園へとやってきていた。
「あの……太郎さん。先日はお怪我をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ、こちらこそ。影山さんの本能に火をつけてしまい……」
青空の下、太郎と影山が気まずそうに向かい合っている。
香澄さんが次に提案したのは、「農作業を通じた癒やしデート」だった。戦場のようなSPの仕事から離れ、太郎の得意分野である農業の穏やかな時間の中で、彼の優しさに触れさせようという狙いである。
「この屋上の畑は、僕がずっと世話をしてきた場所なんです。土を触っていると、心が落ち着くので……よければ、影山さんも一緒にどうですか?」
太郎は優しく微笑みながら、影山に一本のクワを差し出した。
影山は戸惑いながらも、そのクワの柄をゆっくりと握りしめた。
『いいですよ太郎さん! 今の笑顔、すごく素敵です! 影山さんの心も絶対に和んでます!』
物陰から双眼鏡で覗き込んでいる香澄さんが、インカム越しに興奮気味に実況している。俺も隣で「今度こそいけるか……?」と固唾を飲んで見守っていた。
影山はクワを持ったまま、じっとその先端の刃を見つめていた。
そして、柄の重さを確かめるように、何度か手の中で振ってみる。
「……なるほど」
影山の声のトーンが、一段低くなった。
「この柄の長さ、そして先端の絶妙な重心……。重量感もありながら、取り回しがしやすい」
「え? 影山さん……?」
太郎が首を傾げた次の瞬間、影山の目がギラリと猛禽類のように光った。
「シュッ! ハァッ! セイヤァァッ!!」
「ええええええ!?」
影山は突如として、クワを構えたまま目にも止まらぬ速さで謎の素振りを開始したのだ。鋭い風切り音が屋上に響き渡り、土煙が激しく舞い上がる。それは農作業の動きではなく、明らかに敵を薙ぎ払うための武術の型だった。
「素晴らしい! このリーチがあれば、複数の暴漢を一度に牽制できる! もし空からパラグライダーで暗殺者が降ってきても、このクワは春斗様をお守りするための最高の武器にちょうどいいです!」
影山は完全にSPのスイッチが入ってしまい、クワを武器に見立てて屋上を縦横無尽に駆け回り始めた。彼女の脳内には、暗殺者から俺を守るシミュレーションしか存在していないらしい。
ロマンチックなムードや、土と触れ合う癒やしなど、そこには一ミリも存在しなかった。
「……あの、影山さん。それは、トマトの畝を耕すための……」
太郎の弱々しい声は、影山の気合の入った掛け声に完全に掻き消されていた。
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夕暮れ時。
すっかり疲れ果てて座り込む影山を部屋に帰した後、屋上には俺と香澄さん、そして肩を落として落ち込む太郎の三人だけが残された。
「ダメだ……。香澄さんの作戦でも、彼女の笑顔を引き出すことはできなかった」
太郎はコンクリートの縁に座り込み、深くため息をついた。その黒い瞳には、初めての恋という壁の高さに直面した深い絶望が滲んでいる。
「太郎……気にすんな。あいつの頭の中は、俺を守ることしかインストールされてない重度のバグみたいなもんだからさ」
「でも……わかったんだ」
太郎は少し落ち込んだように寂しく笑って、俺の顔を見つめた。
「彼女の目は、いつだって春斗を探してる。クワを持っても、僕を見ているようで、その先にある春斗の安全しか考えていないんだ。……僕は、春斗の代わりにはなれないよ」
太郎の切実な言葉に、香澄さんが痛ましそうに眉を寄せた。
「ごめんなさい、太郎さん。私のデータ分析が甘かったせいで、逆に傷つけてしまって……」
「ううん。香澄さんも春斗も、僕のために一生懸命動いてくれて嬉しかった。ありがとう」
太郎は無理に作ったような笑顔を浮かべ、立ち上がった。
夕陽に照らされた彼の背中は、どこまでも小さく、そして寂しげだった。
ポンコツ夫婦のキューピッド大作戦は、二つの作戦を経て、完全に手詰まりとなってしまった。
燃え尽きたSPの心に新しい火を灯すのは、データや小手先の作戦ではどうにもならないほど、難しく、高い壁だったのだ。
俺たちはただ、親友の切ない初恋の背中を、無力に見送ることしかできなかった。




