第39話 就活
画面の中で勇者が魔王を倒し、世界に平和が訪れたことを告げるファンファーレが鳴り響く。
だが、俺の現実世界は、ゲームのエンディングのようにすべてが丸く収まるわけではなかった。
「……はぁ。面接、また落ちたわ」
百花繚乱閣の最上階、かつて俺の聖域と呼ばれたゲーミングルームで、俺は大きくため息をついた。
一〇〇年前のパンデミックによるウイルスが克服され、ゾンビたちが人間の心を取り戻したことで、狂ったユートピアの根幹であった「一夫百妻制」は完全に崩壊した。
それは俺と香澄さんにとって、他の九九人の嫁候補に怯えることなく、ただ一人を愛し合える最高の結末だったのだが……平和には、代償が伴う。
ゾンビたちの無償労働によって支えられていた国家のシステムが変わったことで、俺の愛する「ベーシックインカム」も消滅してしまったのだ。
「お疲れ様です、春斗さん。温かいお茶、淹れましたよ」
新妻となった香澄さんが、ふわりと微笑みながらマグカップを差し出してくれる。タイトスーツではなく、柔らかなエプロン姿の彼女は、控えめに言って世界一可愛い。
「ありがとう、香澄さん。いやぁ、一パーセントの希少種として温室育ちだったからさ、履歴書の特技欄に『ゲームのエイム力』しか書けないのが致命的みたいで」
「あはは……。でも、春斗さんなら絶対に大丈夫です! 私が全力でサポートしますから!」
彼女の笑顔があれば、就職活動の連敗記録も乗り越えられそうな気がする。愛する妻との新婚生活を満喫するためにも、仕方がないと受け入れて早くニートから脱却しなければならないのだ。
「さて、息抜きに屋上に行って太郎の顔でも見てくるよ。あいつも最近、豊美さんの助手と農作業で忙しそうだしな」
「はい、いってらっしゃいませ」
香澄さんに見送られ、俺は部屋を出た。
百花繚乱閣の廊下を歩いていると、中層階の角を曲がったところで、どんよりとした黒いオーラを放つ人物と遭遇した。
「……私はもう、誰の肉壁にもなれない……。春斗様……はぁ」
薄暗い廊下の隅で、体育座りをして膝を抱えているのは、元・専属SP隊長の影山妙子だった。
トレードマークだった黒スーツはヨレヨレになり、サングラスの奥の目は完全に生気を失っている。彼女は天海家お抱えのSP隊だったため、護衛の必要がなくなった今でも無下に追い出すわけにもいかず、このマンションに住み込みで警備(という名の雑用)を任されているのだ。
「影山さん。こんなところで何やってるんですか。風邪引きますよ」
俺が声をかけると、影山は幽鬼のようにゆっくりと顔を上げた。
「ああ……春斗様。麗しき春斗様……。私の存在意義は、あなたの盾となり、その御身に降りかかる全ての害悪を排除することでした。しかし、今のあなたには、私など必要ない……。平和とは、かくも残酷なものなのですね……」
「いや、平和が一番だろ。それに俺、今はただの就活生だし」
「……春斗様ァッ!」
バサァッ!
影山は突然立ち上がると、黒スーツの裾を勢いよく翻した。裏地には、俺が高校生の時から撮り溜められた、満面の笑みでプリントされた狂気を感じるほどの大量の顔写真が並んでいる。
「この裏地の春斗様を見つめることでしか、私の心は満たされない! ああ、いっそ私めを、春斗様の就職活動用のカバンとして雇ってはいただけないでしょうか! 面接官の鋭い質問から、身を挺してあなたをお守りします!」
「カバンに身を挺されたらホラーだよ! 面接に落ちる原因が増えるだけだから絶対やめて!」
完全にアイデンティティが崩壊し、「燃え尽き症候群」に陥っている影山。かつての過激な妨害を思えば自業自得なのだが、ここまで抜け殻になっているのを見ると、少し不憫にも思えてくる。
「……まあ、そのうち何か新しい目標が見つかるって。元気出せよ」
俺は適当に励ましの言葉を残し、足早にその場を逃げ出した。
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屋上へと続く重い鉄扉を押し開けると、そこには抜けるような青空と、青々とした野菜が育つ広大な菜園が広がっていた。
都会の喧騒から切り離されたこの場所は、相変わらず俺にとって最高のオアシスだ。
「よお、太郎。精が出るな」
畝の向こうで黙々と土をいじっていた太郎が、顔を上げた。
かつての無機質な真っ白なツナギではなく、今は動きやすい私服に身を包んでいる。そして何より、彼の瞳は感情のない緑色ではなく、人間としての確かな意志を宿した黒色に変わっていた。
「春斗。いらっしゃい」
太郎は柔らかく微笑むと、採れたてのトマトを一つ、俺に投げてよこした。
「サンキュ。豊美さんの助手は休みか?」
「うん。今日は非番だから、畑の世話をしてたんだ。……でも、ちょうどよかった。春斗に、相談したいことがあったんだ」
太郎の顔つきが、ふっと真剣なものに変わる。
俺はトマトを齧る手を止め、コンクリートの縁に腰掛けた。
「どうした? 農業のことか? それとも、人間の社会に馴染むのが大変とか?」
元ゾンビである太郎が、いきなり複雑な人間社会で生きていくのは容易ではないはずだ。親友として、どんな相談でも乗るつもりだった。




