第38話 狂ったユートピアの終焉
現れたのは、内閣情報調査室の内部監査部隊と、数名の検察官たちだった。彼らは氷室長官を取り囲むと、一枚の令状を突きつけた。
「国家インフラ維持法違反、および不当拘束、職権濫用などの容疑で逮捕状が出ている。大人しく同行願おうか」
「な、なんですって……? 私が、逮捕……? ふざけないでください! 私がいなければ、この国は……!」
余裕を失い、声を荒らげる長官に、検察官は冷たく言い放った。
「すでに世論はあなたの失脚を求めている。上の連中も、あなたをトカゲの尻尾として切り捨てることを決めたんだ。ここまでだ。連行しろ」
両腕を掴まれ、無理やり連行されていく氷室長官。
彼女は最後まで「私のデータは完璧だったはずなのに!」と叫び続けていたが、その声は虚しく廊下に吸い込まれて消えた。
他人を数字でしか見てこなかった彼女の、なんとも惨めで、あっけない幕切れだった。
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「春斗くん! 柊さん!」
面会室の扉が開き、少しやつれた様子だが、無事に解放された豊美さんが駆け寄ってきた。
「豊美さん! よかった……本当によかった!」
「先生、お怪我はありませんか?」
俺と香澄さんが駆け寄ると、豊美さんは安堵の涙を流しながら俺たちを抱きしめた。
「ありがとう……二人とも、本当にありがとう。太郎は、無事なのね?」
「はい! 実家の屋上で、豊美さんの帰りを待ってますよ」
俺が笑顔で答えると、豊美さんは泣き笑いの表情で何度も頷いた。
豊美さんの震える手に、俺はポケットの中でずっと握りしめていた小さなチップをそっと置いた。
「豊美さん。これ……預かってたもの、返します。メインサーバーのデータは消されても、真実はここにある」
豊美さんはその小さなチップを、まるで宝物を扱うように両手で包み込み、胸に抱きしめて再び涙を流した。
「ありがとう、春斗くん。これはただのデータじゃないわ。皆が自分の意志で歩き出すための、明日への希望よ」
その光景を、俺は誇らしげに見つめていた。
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それから、世界は大きく変わり始めた。
豊美さんの新薬は正式に国から承認され、ゾンビたちへの投与が開始された。少しずつ、しかし確実に、緑色の瞳は黒い瞳へと変わり、彼らは言葉と感情を取り戻していった。
労働力が激減したことで、社会は一時的な混乱に見舞われた。だが、かつてのような「誰もが働かなくても生きていける」という歪な豊かさの代わりに、人間が人間らしく、助け合いながら生きていくという、当たり前の日常が戻りつつあった。
そして何より、男女の比率が正常化していくに伴い、「一夫百妻制」という法律は完全にその存在意義を失った。
法律の見直しが進められ、特種婚姻局……マリッジ局も、その長い歴史に幕を下ろすことになったのだ。
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それから数ヶ月後。
百花繚乱閣の最上階。俺の聖域であるゲーミングルームには、今日も賑やかな声が響いていた。
「あーっ! 春斗さん、また私を囮にしましたね!? ひどいです!」
「ははは! ごめんごめん、香澄さんの動きがポンコツすぎて、つい」
「ポンコツって言わないでください! 私だって、これでも元エリートエージェントなんですからね!」
画面の中でゲームオーバーになり、プンスカと頬を膨らませる香澄さん。
タイトスーツではなく、ゆったりとした部屋着姿の彼女は、すっかりこの部屋の主として馴染んでいた。
一〇〇人の妻を娶る義務は消滅し、俺の妻は、香澄さんただ一人だけだ。あの忌まわしい「一〇〇分の一」のトラウマから完全に解放された彼女は、もう何に怯えることもなく、俺の隣で心からの笑顔を見せてくれている。
「……春斗、香澄さん。お茶が入ったよ」
部屋の扉が開き、真っ白なツナギではなく、ラフな私服を着た太郎がお盆を持って入ってきた。
彼はすっかり人間としての生活に慣れ、親父の奥さんたちに囲まれて少しタジタジになりながらも、豊美さんと共に幸せそうに暮らしている。
「サンキュ、太郎。相変わらずお前の淹れるお茶は美味いな」
「ありがとう、太郎さん。一緒にゲームの続き、やりませんか?」
「うん、やるよ。春斗のエイム、最近鈍ってるみたいだからね」
「おいおい、元ゾンビに煽られるなんて屈辱だぞ!」
三人の笑い声が、平和な部屋に響き渡る。
一パーセントの希少種として、鳥籠の中で息を潜めていた俺。
データに縛られ、一人で生きていくことしか考えていなかった彼女。
感情を奪われ、インフラとして使い潰されるはずだった親友。
俺たちはみんな、自分たちの手で未来を勝ち取ったのだ。
ヤバすぎる嫁候補たちとの限界お見合いバトルは、こうして最高の形で幕を閉じた。
これから先、どんなトラブルがあろうとも、隣で怒って、泣いて、笑ってくれる最高の妻がいれば、俺はきっと何だって乗り越えていける。
「ねえ、春斗さん」
香澄さんが、俺の肩にそっと寄りかかりながら、悪戯っぽく微笑んだ。
「ゲームもいいですけど……たまには、私ともちゃんとお見合いしてくれませんか?」
「お見合い? もう結婚してるのに?」
「ええ。何度でも、私を一番に選んでほしいんです」
彼女の甘い声に、俺は思わず吹き出してしまった。
「しょうがないな。元エリートエージェント様には逆らえないや」
俺はコントローラーを置き、世界で一番愛おしい妻を、強く抱きしめた。
窓の外には、抜けるような青空と、新しく生まれ変わった本当のユートピアが広がっていた。




