第36話 100周年祝賀行事
『ゾンビ発生一〇〇周年・祝賀行事』
東京のど真ん中、国立競技場は異様な熱気と、どこか冷たい静寂に包まれていた。
上空には無数の報道ヘリと中継ドローンが飛び交い、この式典の様子を全世界へ向けてリアルタイムで生中継している。一〇〇年前、人類を滅亡の危機に陥れた未知のウイルス。それを乗り越え逆手に取り、九九パーセントの男児を「無償の労働力」として国家のシステムに組み込むことで構築された、現在の狂ったユートピア。この式典は、氷室長官をはじめとする国家の支配層が、自らの作り上げた完璧な社会体制を世界に誇示するための最大のプロパガンダだった。
俺と香澄さんは、母・麗子が手配した関係者用の特別観覧席から、息を殺してグラウンドを見下ろしていた。
「……すごい数ですね。あれが全員、感情を持たないゾンビだなんて」
香澄さんが、震える手で俺の袖をギュッと握りしめる。
「ああ。まさに、氷室長官の理想とする『バグのない世界』の象徴だよ」
グラウンドを埋め尽くしているのは、純白の制服を身に纏った何万体ものゾンビたちだった。彼らは、音楽に合わせて一糸乱れぬマスゲームを展開している。誰一人として足並みを乱すことなく、同じタイミングで腕を上げ、同じ歩幅で行進し、巨大な幾何学模様をグラウンドに描き出していく。
感情のない彼らだからこそできる、機械的で、完璧で、そして底知れなく気味の悪い統率美だった。
その何万という白い群衆の中に、俺たちの親友が紛れ込んでいる。
(頼むぞ、太郎……)
俺は祈るような気持ちで、群衆の中に目を凝らした。
太郎は今、他のゾンビたちと全く同じように、虚ろな表情で無機質な行進を続けている。彼が人間に戻った証である「黒い瞳」は、購入した医療用の緑色のカラーコンタクトレンズによって隠されていた。元のゾンビ特有の、ビー玉のような緑色の瞳に偽装しているのだ。
何年も農業特化型プログラムに従って生きてきた彼にとって、感情を押し殺し、ゾンビとしてのルーティンな動きを再現すること自体は難しくない。天海家の裏工作によって、本来の参加リストに細工を施し、彼をこのマスゲームの群衆に紛れ込ませることは成功した。
だが、ここは全世界の目が注がれる舞台。少しでも「人間らしい」反応を見せれば、周囲を警戒する国家保安局の目にとまり、即座に排除されるだろう。
マスゲームはいよいよオープニングの終盤へと差し掛かっていた。
壮大なオーケストラの演奏が最高潮に向けテンポを上げ、数万のゾンビたちが中央に向かって一斉に収束し、巨大な一つの「花」の形を作り上げるクライマックス。
世界中の視聴者が、その不気味なほどの完璧さに息を呑む瞬間だ。
+++
その時だった。
完璧な幾何学模様の一部が、ほんのわずかに、しかし決定的に「ズレ」た。
「……!」
隣で香澄さんが息を呑む。
群衆の中で、一体のゾンビがピタリと足を止めたのだ。周囲のゾンビたちはプログラム通りに動き続けているため、その一体だけが川の中の岩のようにポツンと取り残され、完璧なマスゲームの陣形に明確な「穴」が空いた。
「おい、あの一体はどうした!」
「寿命か!? 直ちに予備と交代させろ!」
観覧席の周囲で、トランシーバーを手にした警備の人間たちが慌てふためく声が聞こえる。
だが、太郎の動きは止まらなかった。彼は陣形を完全に無視し、グラウンドの中央に設置された、全世界へ映像を配信している巨大なメインカメラへと向かって、真っ直ぐに歩き始めたのだ。
「太郎……!」
ドローンカメラが、予定外の動きをする彼を不審に思い、ズームアップして捉える。国立競技場の巨大スクリーンに、太郎の顔が大写しになった。
無表情で、QRコードを体に刻み込まれ緑色の瞳をした、どこにでもいる普通の労働用ゾンビ。
世界中の誰もがそう思った次の瞬間。
太郎はカメラの真正面に立ち止まると、ゆっくりと自分の両目に手を伸ばした。
そして、両目から緑色のカラーコンタクトレンズを、スッと外し、足元へ捨てた。
カメラのレンズを通して全世界のスクリーンに映し出されたのは、無機質な緑色ではなく、強い意志と感情の光を宿した、深い「黒色」の瞳だった。
『……世界中の皆さん。聞こえますか』
太郎の口から、マイクを通して静かな、しかしはっきりとした人間の言葉が発せられた。
その瞬間、何万もの観衆で埋め尽くされた国立競技場が、水を打ったような死寂に包まれた。ゾンビが「言葉」を発した。一〇〇年間、絶対にあり得なかった事態に、世界中の脳が理解を拒絶し、フリーズしたのだ。
『僕は、個体識別番号2107-TA60。農業特化型プログラムで動いていた、ただのゾンビです』
太郎は、首筋に刻まれたQRコードをカメラに見せつけるように指差した。
『でも、今は違います。僕は、薬によって「人間」に戻りました』
ざわ、と競技場全体が揺れた。それは瞬く間に、巨大な動揺の波となって広がっていく。
「な、なんだあれは!」
「ゾンビが喋った!?」
「ドッキリか何かか!?」
『これは手品でも、システムのバグでもありません!』
太郎は、震える声を必死に張り上げ、全世界へ向けて叫んだ。




