第35話 秘密の地下会議
ピーッ! ピーッ! ピーッ!
豊美さんの研究室に、耳を劈くような警告音が鳴り響いた。
画面上の赤いアラートは、百花繚乱閣のセキュリティシステムが、外部からの強大な権限によって強制的に突破されたことを示していた。
「な、なんだ!? 警報システムが完全に掌握されている!」
弁護士たちがパニックに陥る中、香澄さんが血相を変えて叫んだ。
「……国家保安局の強制介入コードです! マリッジ局長官の特権が発動しています。春斗さん、彼らは本気で豊美先生を消しに来ます!」
「そんな……! いくら国でも、こんな強引な真似を……」
ドォォォンッ!
俺の言葉を遮るように、屋上へと通じる重厚な鉄扉が爆薬で吹き飛ばされた。
土煙を上げてなだれ込んできたのは、純白の特殊装甲に身を包んだ完全武装の部隊だった。彼らは一切の感情を交えない動作で、部屋の出入り口を完全に封鎖する。
「国家保安局だ! 天海豊美、特種婚姻法および国家インフラ維持法違反の容疑で身柄を拘束する!」
「お母さん!」
太郎が叫び、無意識に豊美さんを庇うように前へ出ようとした。しかし、部隊の銃口が一斉に太郎に向けられる。
「動くな、実験体TA60! 抵抗するなら即座に物理的破壊を実行する!」
「やめなさい! この子は関係ないわ!」
豊美さんは両手を広げ、太郎を背中で庇うように立ち塞がった。そして、保安局の隊員たちが彼女に歩み寄るわずかな隙に、彼女は白衣のポケットから親指ほどの小さなチップを取り出し、俺の手にギュッと握らせた。
「春斗くん、これをお願い。新薬の完全なデータと、これまでの記録の全てよ」
「豊美さん……!」
「メインサーバーのデータは、たった今、私が物理的に破壊したわ。彼らが欲しがっているものは、今あなたの手中にある」
豊美さんは俺に微笑みかけると、振り返って香澄さんに視線を向けた。
「柊さん。どうか、この子たちを連れて逃げて」
「……でも、あなたが!」
「私の事はいいの! どうかこの子たちをお願い!」
香澄さんは強く頷き、俺の腕を引いた。
「天海豊美、確保!」
無情な声と共に、豊美さんの両手に手錠がかけられる。
「お母さん……! お母さんッ!」
太郎が悲痛な声を上げる。つい先日、人間の心を取り戻したばかりの親友が流す涙に、俺は胸が張り裂けそうだった。だが、ここで俺たちまで捕まれば、新薬の存在はこの世から永遠に消え去ってしまう。
「行くぞ、太郎! 今は堪えるんだ! 必ずチャンスは来る!」
俺は太郎の腕を必死に掴み、香澄さんの誘導で研究室の裏にあるダストシュートの隠し通路へと飛び込んだ。
背後で、豊美さんが連行されていく気配が遠ざかっていく。俺は握りしめたチップの硬い感触を、血が滲むほどの強さで掌に刻み込んだ。
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百花繚乱閣の最深部。親父の秘密の地下シェルター。
本来ならここは、息の詰まる家族の派閥争いから逃れるための静かな逃避場所だった。だが今の俺たちにとって、ここは絶望と無力感に包まれた牢獄のように感じられた。
「……俺が、もっと早く動いていれば……」
俺はソファに深々と沈み込み、頭を抱えていた。
隣では、太郎がうつむいたまま、両手を固く握りしめて震えている。言葉を取り戻したばかりの彼に、こんな残酷な仕打ちがあるだろうか。
「春斗さん。自分を責めないでください。氷室長官の動きは、誰にも予測できませんでした」
香澄さんが隣に座り、俺の背中を優しく撫でてくれる。彼女の手も微かに震えているのがわかった。元上司である長官の冷徹さを誰よりも知っている彼女だからこそ、その恐怖は計り知れないはずだ。
「でも、どうすればいい? 相手は国だぞ。いくら俺がノーマル男子だからって、国家の根幹を揺るがすデータを持ったまま、まともに生活できるわけが……」
バンッ!
重厚なシェルターの扉が、勢いよく蹴り開けられた。
現れたのは、派手な扇子をピシャリと鳴らす母、天海麗子だった。その背後には、スマートフォンを両手に構えた姉の蘭、スタンガンをバチバチと鳴らす妹の椿、そして全身の装備を最新の対物ライフルに持ち替えた影山隊長がズラリと並んでいる。
「みっともない顔を見せないでちょうだい、春斗」
麗子はコツコツとヒールを鳴らして歩み寄り、俺を見下ろした。
「……お袋。なんで、ここに」
「夫の隠れ家なんてずっと昔から知ってたわ。そんなことより、天海家の敷居を土足で跨ぎ、私の可愛い息子を泣かせるような輩を、この私が黙って見過ごすとお思い?」
麗子の瞳には、いつもの権力闘争の時とは違う、冷たく、そして激しい怒りの炎が燃えたぎっていた。
「豊美さんには、私がまだ右も左も分からなかった小娘の頃に、色々と世話になったのよ。私の恩人を、下劣な役人どもが不当に連れ去った……。天海家に喧嘩を売ったこと、後悔させてやらなければ気が済まないわ」
「お母様……」
「お兄様! 安心してくださいませ!」
椿が身を乗り出し、物騒な笑顔を浮かべた。
「お兄様と太郎さんを悲しませる害虫は、国家権力だろうがなんだろうが、この私が跡形もなく焼き尽くしてさしあげますわ!」
「物理的な排除は最終手段よ、椿」
蘭がスマホの画面をスワイプしながら、冷ややかに笑う。
「マリッジ局の関連口座、ダミー会社、癒着している政治家のスキャンダル……。すでにうちのネットワークで総ざらいしているわ。あいつらの資金源と社会的信用、数時間で全部ショートさせてやる」
「春斗様。我がSP部隊は、すでに百花繚乱閣の完全防衛体制を構築いたしました」
影山隊長が深々と頭を下げる。
「春斗様の御身に指一本触れさせはしません。そして、豊美様奪還のため、いつでも出撃の準備はできております!」
普段は俺の第一夫人の座を巡って血みどろの派閥争いを繰り広げている家族たち。
だが、俺が悲しんでいる時、そして家族の恩人が危機に陥った時、彼女たちは信じられないほどの結束力と、圧倒的な暴力(物理・経済)を見せつけるのだ。
「みんな……」
「やれやれ。うちの女たちは、一度火がつくと俺でも止められないからな」
部屋の奥から、親父の壮一郎が苦笑いしながら歩いてきた。
「だが、今回は相手が悪い。国を相手に正面から戦争を仕掛けても、豊美くんの身の安全は保障できないぞ」
「わかっているわよ、あなた」
麗子は扇子を閉じ、不敵な笑みを浮かべた。
「真っ向勝負なんて野暮なことはしないわ。この国が最も大切にしている『建前』を、一番効果的な場所でぶち壊してやるのよ」
麗子の視線の先にあるモニターには、数日後に迫った国家の一大イベントの告知が映し出されていた。
『ゾンビ発生100周年祝賀行事 国立競技場より全世界生中継』
「……全世界生中継」
俺が呟くと、香澄さんがハッとして顔を上げた。
「まさか、あの式典で……新薬の存在を暴露するおつもりですか?」
「その通りよ」
麗子は俺と太郎を力強く見つめた。
「どんな強大な国家権力も、世論という濁流には逆らえない。全世界の目の前で、ゾンビが人間に戻る姿を見せつければ、氷室長官の隠蔽など吹き飛ぶわ」
「僕に……やらせてください」
ずっと俯いていた太郎が、顔を上げた。その黒い瞳には、母親を救うための揺るぎない決意が宿っていた。
「僕が、全世界のカメラの前で、人間に戻ったことを証明します。お母さんを助けるために」
親友の覚悟に、俺の迷いも完全に吹き飛んだ。
「俺も行く。太郎一人に任せておけるか。それに、香澄さんを苦しめたこの狂ったシステムを、俺たちの手で完全に終わらせてやるんだ」
香澄さんは俺の手を強く握り返し、こくりと頷いた。
俺のニート生活を守るための、ヤバすぎる嫁候補たちとの限界バトル。
その最終戦の相手は、この狂ったユートピアの「国家」そのものだった。
俺たち天海家の、最強で最大の裏工作が、今、静かに幕を開けた。




