第34話 強制介入アラート
画面を埋め尽くすエンドロールを眺めながら、俺は大きく伸びをした。
「……終わったな。本当に、全部」
隣で同じように画面を見つめていた香澄さんが、ふふっ、と柔らかく微笑む。
「ええ。最高のエンディングでしたね、春斗さん」
数日前の結婚式。百花繚乱閣を揺るがしたあの大騒動から、俺たちの日常は劇的に……と言いたいところだが、意外なほど穏やかに過ぎていた。
俺は相変わらずゲーミングルームに引きこもり、夫人となった香澄さんは俺の健康管理と称して、甲斐甲斐しく食事を運んできてくれる。一夫百妻制という狂った法律はまだ生きているが、俺の隣には彼女がいて、俺の親友は言葉を取り戻した。
それだけで、この歪なユートピアもそう悪くない場所に思えてくる。
だが、俺たちが手にした「奇跡」は、ただのハッピーエンドで終わらせるにはあまりに巨大すぎた。
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百花繚乱閣の屋上。太陽の光が降り注ぐ菜園の隅にある豊美さんの研究室は、今、かつてないほどの緊張感に包まれている。
「……以上が、新薬による脳機能回復の臨床データ、および法的解釈の草案です。先生方、いかがでしょうか」
白衣を纏った豊美さんが、凛とした声で問いかける。
彼女の目の前に並んでいるのは、いつもの助手たちではない。姉の蘭が「弟の自由を守るための必要経費よ」と不敵に笑って用意した、国内屈指の精鋭弁護士軍団だ。
彼らは分厚い書類やタブレット端末を前に、眉間に皺を寄せながら議論を戦わせていた。
「驚異的ですね、天海先生。ゾンビ管理局が定めた『不可逆的な脳停止』という定義そのものを、根底から覆す内容だ」
眼鏡をかけた初老の弁護士が、深く溜息をつきながら言った。
「しかし、これは単なる医学の発見に留まらない。もし全てのゾンビが人間に戻れるとなれば、現在の労働システム、ベーシックインカム、そして特種婚姻法までもが崩壊する……。国がこれを素直に受け入れるとは思えません」
「だからこそ、慎重に進める必要があります」
豊美さんは、傍らで静かに控えている太郎を見つめた。
太郎は以前の「無」の表情ではなく、真剣な眼差しで議論を見守っている。その瞳は黒く、確かな知性の光が宿っていた。
「太郎は、生きた証拠です。彼をゾンビとしてではなく、一人の『人間』として、そして『ノーマル男子』として公的に再登録させる。そこを足がかりに、人権侵害を訴え、段階的に回復薬の存在を社会に周知させていく……。一気に発表すれば、パニックを恐れた政府に消されてしまう可能性があります」
豊美さんの言葉に、俺は背筋が凍る思いだった。
俺たちが当たり前だと思っていたこの「平和」は、ゾンビという無償の労働力の上に成り立つ砂上の楼閣だ。その前提を壊すことは、この国の支配者たちにとって最大の反逆を意味する。
「春斗さん。大丈夫ですよ」
不安を察したのか、香澄さんが俺の手をそっと握った。彼女の手は温かく、力強い。
「私は元マリッジ局のエージェントです。国のやり方は熟知しています。豊美先生と弁護士の方々が法的防壁を築いている間に、私たちは私たちの戦い方を考えましょう」
「……戦い方、ね」
俺は、握り返した彼女の手に力を込めた。
一%の希少種として守られ、ゲームの中に逃げ込んでいた俺。でも、もう逃げるわけにはいかない。親友が取り戻した心と、香澄さんが受け入れてくれた唯一の愛を守るために。
「でも、先生。この計画の最大の懸念は、やはりマリッジ局の動きですね」
若手の女性弁護士が、険しい表情でタブレットを叩く。
「特に氷室長官。彼女のデータ至上主義と合理性は、システムの揺らぎを一切許さないでしょう。もし彼女がこの薬の存在を察知すれば、即座に『バグの修正』に乗り出すはずです」
氷室登紀子。香澄さんの元上司であり、このユートピアを維持する冷徹な管理者。
彼女の顔を思い浮かべるだけで、部屋の温度が下がったような気がした。
「わかっています。だからこそ、情報の漏洩には細心の注意を……」
豊美さんが言いかけた、その時だった。
部屋のモニターに、聞き慣れない電子アラートが響き渡る。
「……何!? 外部からの不正アクセス?」
弁護士の一人が叫ぶ。
「そんな、ここは蘭さんの用意した専用回線のはずじゃ……!」
嫌な予感が、心臓を直接掴むような感覚で襲ってきた。
俺たちは、まだ気づいていなかった。
データの海を監視する冷徹な瞳が、すでにこの「バグ」を見つけ出していたことに。
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マリッジ局長官、氷室登紀子の執務室。
窓一つない無機質な空間で、彼女はARグラスに流れる膨大なログを静かに眺めていた。
「……天海豊美。やはり、あのゾンビの母親が動きましたか」
彼女の指先が、空中に浮かぶホログラムを冷酷に弾く。
そこには、豊美の研究室で交わされている密談のログが、リアルタイムでテキスト化されていた。
「ゾンビの人間化。……フン、非効率極まりない。感情という不確定要素を再インストールするなど、この完成されたユートピアに対する冒涜であり、明確な反逆行為です」
彼女の瞳の奥で、冷たい計算が高速で回転する。
ゾンビが労働力ではなく人間に戻れば、生産性は低下し、社会保障は破綻する。そして何より、自分たちが築き上げた「一夫百妻」という管理社会の土台が消失する。
「真実とは、最も効率的に社会を回すための最適なデータのこと。それ以外はすべてノイズに過ぎません。……直ちに『修正』を実行しなさい」
氷室は、デスクの横に控えていた保安局の部隊に、冷徹な声で下した。
「対象は、天海豊美。抵抗する場合は、ノーマル男子である天海春斗への介入も厭わず、物理的な隔離を許可します」
「イエス、長官」
純白のスーツに身を包んだ部隊が、音もなく執務室を去っていく。
氷室は再びARグラスの奥へと視線を戻し、無機質な微笑を浮かべた。
「さあ、バグの排除を始めましょうか。天海春斗さん。あなたの望む平穏なニート生活は、この私が守ってあげますよ。……たとえ、あなたの周りのすべてを奪うことになったとしても」
ユートピアの静寂を切り裂く、軍靴の音が近づいていた。
春斗と香澄、そして太郎の未来を賭けた、最後のバトルの幕が上がろうとしていた。




