第31話 崩壊の確信
太郎と豊美さんが涙ながらに抱き合う姿を見つめながら、俺の頭の中で、これまでバラバラだった思考のピースが一つに繋がっていくのを感じた。
太郎が言葉を話し、完全に意思疎通ができるノーマル男子として覚醒した。
それは単に親友が人間に戻ったという個人的な喜びに留まらない。一〇〇年前から続くパンデミックによるウイルスの克服を意味するのだ。
九九パーセントのゾンビが人間に戻れば、極端に偏った男女比は正常化する。そうなれば、この狂ったユートピアの根幹を成す「一夫百妻制」という法律は、その存在意義を完全に失い、崩壊することになる。
つまり、いずれ国家の制度は変わり、俺が国のために一〇〇人の妻を娶らなければならないという義務は消滅するはずだ。
「香澄さんを縛り付けていた、あの恐怖が……無くなる」
彼女が恐れていた「誰かの一〇〇分の一の妻になる」という悲劇の未来は、もう起こり得ないのだ。
俺は豊美さんに向き直り、深く頭を下げた。
「豊美さん。お願いがあります。太郎を、香澄さんに紹介させてください」
その言葉に、豊美さんはハッと息を呑み、太郎を庇うように強く抱き寄せた。
「ダメよ、春斗くん! 柊さんはマリッジ局のエージェントなのよ。この国にとって、ゾンビが人間に戻るなんて、国家システムの根幹を揺るがす大事件。事を慎重に進めなければいけないのに、役人である彼女に知られれば、太郎が研究施設に連れ去られてどうなるか……」
「分かってます。でも、香澄さんは絶対にそんなことしない。俺と太郎を、国のシステムなんかで裏切るような人じゃないんです!」
必死に懇願する俺の目を見て、豊美さんは葛藤するように強く唇を噛んだ。
「彼女は、俺のために自分のトラウマや人生を犠牲にしてでも、俺を地獄から守ろうとしてくれました。今度は俺が、彼女を救い出したい。彼女が、俺にとっての『唯一』なんです」
俺の真っ直ぐな言葉に、豊美さんの瞳が揺れた。親友の命を懸けた頼みに、彼女はしばらく目を閉じて沈黙し、やがて小さく、けれどしっかりと頷いた。
「……分かったわ。あなたのその想いを信じる」
「ありがとうございます!」
「行きなさい、春斗くん。あなたの大切な人を、早く迎えに」
豊美さんの温かい後押しを受け、俺は屋上を飛び出し、再び夜の街へと全力で駆け出した。
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「香澄さん!」
百花繚乱閣のエントランスを出た少し先の歩道で、肩を落として力なく歩くタイトスーツの後ろ姿を見つけた。
「春斗、さん……?」
振り返った香澄さんの顔は、まだ涙でひどく濡れていた。
「どうして……私はもう、あなたのプロポーズを断って……」
「いいから、黙ってついてきて! 君に会わせたい人がいるんだ!」
「えっ!? ちょ、ちょっと、天海さん……!」
俺は抵抗する香澄さんの手を強引に引き、再び屋上菜園へと向かった。
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荒い息を吐きながら重い鉄扉を開けると、そこには豊美さんと並んで立つ太郎の姿があった。
「太郎……君? どういうこと。私に会わせたい人って……」
香澄さんが戸惑う中、太郎はゆっくりと俺たちの方へ歩み寄り、そして、静かに口を開いた。
「初めまして、も変かな。香澄さん。僕は太郎。春斗の親友です」
「え……?」
香澄さんは目を限界まで見開き、文字通り腰を抜かしそうになってよろめいた。俺が慌ててその肩を支える。
「ぞ、ゾンビが……言葉を……!? 感情を持って、喋っている……!?」
「驚くのも無理はないよ。でも、これが現実だ。豊美さんの開発した新薬で、太郎は完全に意思の通じるノーマル男子に戻ったんだ」
俺は、震える香澄さんの肩を優しく包み込みながら、静かに告げた。
「香澄さん。太郎が人間に戻れるなら、いずれこの国の制度は間違いなく変わる。一夫百妻制なんていう狂った法律は、もう必要なくなるんだ」
「制度が、変わる……?」
「そうだよ。だから、俺は一〇〇人も妻を娶らなくてよくなる。君を、愛が分散された一〇〇分の一の妻にして悲しませるような未来は、絶対にこない」
俺は彼女の潤んだ目を真っ直ぐに見つめ、もう一度、はっきりと伝えた。
「君のトラウマは、俺が全部ぶっ壊す。これからの未来は、俺と君、一対一だ。だから……改めて言わせてほしい。俺と結婚してください」
香澄さんの瞳から、再び大粒の涙が溢れ出した。
彼女の心を長年縛り付けていた一夫百妻制という絶対的な絶望の壁が、音を立てて崩れ去っていく。
それでもまだ、奇跡のような現実に信じきれないように震える彼女に、太郎が優しく微笑みかけた。
「元ゾンビの僕が言うのも変だけどさ」
太郎の声は、どこまでも温かく、親友への信頼に満ちていた。
「春斗はすごく一途で、君を大切にして、裏切ることは絶対に無いよ。僕が保証するから」
親友からのその力強い後押しが、彼女の心に残っていた最後の迷いを完全に拭い去った。
「あぁ……っ、うぅ……春斗さん……っ!」
香澄さんは、大切に抱えていたタブレットが滑り落ち、俺の胸の中へと勢いよく飛び込んできた。
「はいっ……! 私を、あなたの『唯一』にしてください……!」
俺は、泣きじゃくる彼女の華奢な背中を、強く、優しく抱きしめた。
狂ったユートピアの中で、俺たちは数々のヤバすぎるお見合いを乗り越え、ようやく、たった一つの真実の愛を見つけ出した瞬間だった。




