第25話 天海家の団結
数時間後。百花繚乱閣の中層階、広大なエントランスホール。
「フン、柊の小娘が手こずっていた対象者も、私の手にかかれば造作もないこと。さあ、麗しき令嬢よ、あなたの力でこの天海家を乗っ取りなさい」
高慢な笑みを浮かべて歩いてきたのは、マリッジ局の政略・縁故派の幹部エージェントだった。その後ろには、いかにもプライドの高そうな大企業の令嬢が控えている。
私から担当を奪い、直接春斗さんの元へ乗り込んできたのだ。
私が物陰から悔しさに唇を噛み締めながら見つめていると、不意に、優雅なティーカップがカチャリと鳴る音が響いた。
「……誰の許可を得て、うちの敷居を跨いでいるのかしら?」
エントランスの中央。豪奢なソファーに君臨していたのは、春斗さんの実母である天海麗子だった。その背後には、腹違いの姉の蘭、妹の椿、そして影山隊長率いるSP部隊がズラリと並んでいる。
「な、なんだ貴様らは! 私はマリッジ局の幹部だぞ!」
「幹部だかなんだか知らないけど、随分と時代遅れな手を使うのね」
蘭が冷笑しながら、二台のスマートフォンを弄る手を止めて画面を見せつけた。
「あなたが連れてきたその令嬢の父親の会社、たった今、天海家の傘下企業による敵対的買収が完了したわ。ついでに、あなたの派閥が裏で抱え込んでいた顧客リスト、全員うちのネットワークに寝返らせたから。明日にはあなたの派閥、完全に干上がるわよ」
「な、なんだとォッ!? そ、そんなバカな……!」
幹部エージェントの顔から、一瞬にして血の気が引く。
そこへ、麗子が扇子をピシャリと閉じて立ち上がり、圧倒的なオーラで一喝した。
「品格のない腐敗役人が、天海家の第一夫人を金と権力で決めようなどと、片腹痛いわ! 春斗の嫁の座は、この私が認めた女性にしか渡しません! とっとと消え失せなさい! この、こわっぱが!」
「ひぃっ……!」
「お母様の言う通りです! お兄様に害をなす害虫は、物理的に排除します!」
椿がバチバチとスタンガンを鳴らして突撃の構えを見せる。
「春斗様の安寧を脅かす輩は、この影山が一人残らず宇宙のチリへと変えてくれるわッ! 総員、放り出せ!」
影山隊長の号令と共に、完全武装のSPたちが一斉に飛びかかった。
「ぎゃああああッ!?」
幹部エージェントと令嬢は、文字通り物理的に宙を舞い、百花繚乱閣の自動ドアの外へと無惨に放り投げられた。
圧倒的。規格外。
マリッジ局の権力など鼻で笑うような、天海家の容赦ない制裁。
私はその光景を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
+++
騒動の後。
夕日に染まる百花繚乱閣の屋上菜園で、私は春斗さんと二人、コンクリートの縁に腰掛けていた。
「いやー、やっぱりうちの家族は怒らせると怖いね。でも、これで腐敗派閥も大人しくなるだろうし、少しは仕事しやすくなったでしょ?」
春斗さんは、農業特化ゾンビの太郎君が持ってきたキュウリを齧りながら、気楽に笑った。
「……春斗さんが、ご家族にお願いしてくれたんですね。私のために」
「香澄さんがいないと、俺のニート生活が脅かされるからね。それに、泣いてる女の子を放っておくほど、俺も冷たい人間じゃないしさ」
マリッジ局という巨大な国家機関の冷酷なシステムと、決してデータには表れない、天海家という規格外だけれど温かい守護。
そのコントラストが、私の胸の奥をギュッと締め付けた。
私は、誰かの数分の一になるのが嫌で、一生独りで生きていくためにエージェントになった。プラチナ・シングル権を取得することだけが、私のすべてだった。
でも、今は違う。
「春斗さん」
「ん?」
「私……絶対に、春斗さんのために完璧な第一夫人を見つけます! データだけじゃなく、春斗さんが心から笑い合える、最高の人を!」
私が涙を拭い、満面の笑顔で宣言すると、春斗さんは少し驚いたように目を丸くし、やがて優しく微笑んだ。
「うん。お手柔らかに頼むよ、香澄さん」
彼のその笑顔を守りたい。
職務やデータといった枠を超えて、春斗さんへの確固たる想いが、私の心の中で静かに、けれど強く根を下ろした瞬間だった。
+++
茜色に染まる屋上菜園の、少し離れた奥まった場所。
香澄と春斗が談笑している背後で、天海豊美は、我が子である農業ゾンビの太郎を見つめていた。
「……これで最終調整は終わりよ、TA60(太郎)」
豊美は白衣のポケットから、淡く光る謎の液体が入った注射器を取り出し、太郎の首筋、QRコードのすぐ横へと静かに針を刺した。
カチリ、と微かな音が鳴り、新薬が彼の体内へと流れ込んでいく。
「…………」
投薬直後。
常に無表情で、ピタリと静止しているはずの太郎の指先が、かすかにピクッと震えた。
そして、ビー玉のように無機質だった彼の緑色の瞳の奥に、一瞬だけ、明確な「感情」の光が宿った。
「……あ」
太郎の口から、掠れた、けれど確かに意志を持った吐息が漏れる。
一夫百妻制という狂ったユートピアの前提を完全に揺るがす変化が、誰にも気づかれないまま、静かに始まろうとしていた。




