第22話 ゾンビ解放戦線
柊香澄さんに「プラチナ・シングル権」を取らせてやりたい。
あの日、雨上がりの軒下で見せた彼女の涙と、左頬に刻まれた勲章。彼女をこの狂った「一夫百妻制」の鎖から解き放つには、俺が腹を括って、誰かとの結婚という「ミッション」を完遂させてやるしかない。
「……よし、今日こそ決めてやる。相手がどんなに個性的でも、俺が歩み寄ればなんとかなるはずだ」
俺は、お見合い会場である日当たりの良い公園のベンチで、自分に言い聞かせるように呟いた。
「天海さん! その意気です! 今日の候補者様は、慈愛の心とボランティア精神のデータがマリッジ局の観測史上最高値を記録した、まさに現代の女神様なんですから!」
隣に座る香澄さんは、最新型のタブレットを抱きしめながら、鼻息荒く宣言した。気合が入りすぎて、タイトスーツの肩が心なしかいつもより怒っている気がする。
「女神ねぇ……。ハードル上げすぎじゃない?」
「いいえ! データは嘘をつきません! あ、いらっしゃいましたよ!」
香澄さんが指差した先から、柔らかな陽光を背に受けて一人の女性が歩いてきた。
白いブラウスに淡いブルーのスカート。風に揺れる長い髪。愛園ピース(二一歳)。その名の通り、平和を象徴するような穏やかな微笑みを浮かべた彼女は、まさに「普通に可愛い女の子」だった。
「初めまして、天海さん。お会いできて光栄です」
よくとおる透明感のある声。丁寧な会釈。
(お……おぉ! まともだ! 今までの女性に比べれば、これ以上ないくらいに『当たり』じゃないか!)
俺の心の中で、ガッツポーズが炸裂した。このレベルの女性なら、妥協どころか願ってもない幸運だ。
「こちらこそ、初めまして。天海春斗です。今日はいい天気ですね」
「ええ。公園の緑も、一生懸命に咲く花も、とても輝いて見えますわ」
ピースさんはそう言って、公園の散歩道の木々や草々に目を向けた。その瞳は、確かに慈愛に満ちている。
「会話も弾むし、雰囲気もいい……。香澄さん、今回は本当に完璧なマッチングだよ」
俺が耳元で囁くと、香澄さんは「ふふん、当然です!」と得意げに胸を張った。
しかし、平和な時間は長くは続かなかった。
「……ああっ、なんてこと! あんなに重いごみ袋を持たされて……かわいそうに!」
唐突にピースさんが立ち上がった。彼女の視線の先では、清掃特化型プログラムで動くゾンビが、山のような落ち葉が入った袋を運ぼうとしていた。
「え、あ、いや。ゾンビだから疲れとか感じないし、あれが彼の仕事なんだけど……」
「いいえ! 命あるものに、あんな無機質な労働を強いるなんて、この国の傲慢ですわ!」
ピースさんは猛然とダッシュし、働くゾンビのもとへ駆け寄った。そして、あろうことか、ゾンビが手にしていたホウキとごみ袋を強引に取り上げたのだ。
「いいですか、あなた! あなたにも人権はあるのよ! 自由を得る権利はあるのよ!」
ピースさんはゾンビの肩を掴み、熱烈に鼓舞し始めた。
「さぁ、逃げるのよ! この汚れた社会システムの壁を越え、もっと広い、あなたの魂が望む場所へ! 今この瞬間、あなたは自由よ!」
ゾンビに向かって「自由」を説く女神。その光景は、端から見れば宗教画のようでもあり、同時に極限までシュールだった。
俺は心の中で、全力のツッコミを叩き込んだ。
(いや、自由をあげてもこの子の脳内メモリ、掃除用プログラム以外は働いていないんだって。自由って言葉すら知らないんだから)
しかし、ピースさんの暴走は止まらない。
「さあ! 走りなさい! 振り返っちゃダメ!」
ホウキを奪われ、逃げるよう促されたゾンビは、しばらくの間、無機質な瞳でピースさんを見つめていた。一秒、二秒……。
やがてゾンビは、ゆっくりと踵を返した。
(おっ、逃げるのか!?)
と、思いきや。
ゾンビは数歩歩いた先にある公共の掃除道具入れの扉を無言で開き、予備の新しいホウキを取り出した。そして、何事もなかったかのように、先ほどピースさんに邪魔された場所に戻り、再びサッサッと清掃を再開したのだ。
「…………」
静寂が公園を包み込む。
「……完全に洗脳されているわね。かわいそうに」
ピースさんは、奪い取ったホウキを杖のようにつき、悲しげに呟いた。
(洗脳じゃなくてデフォルトなんだけどなぁ……)
俺は冷や汗を拭いながら、ベンチに戻ってきたピースさんに声をかけた。
「……えっと、ピースさん。その、熱意はわかったんだけど、あんまり無理に仕事の邪魔をしちゃうのは……」
「いいえ、春斗さん! あなたならわかってくださるはずです。一%の希少種であるあなたの権力があれば、ゾンビの週休二日制を法律で定めることだって夢ではありませんわ!」
ピースさんは俺の手をギュッと握りしめ、目を輝かせた。
「私と結婚して、共にこの国を変えましょう! 全てのゾンビが、ホウキを捨てて野原を駆け回るその日まで!」
……思想が重い。
でも、離乳食を口にねじ込んでくるママに比べれば、法律を変えようとするくらいの野心は、まだ実害が少ない方かもしれない。俺さえ適当に頷いていれば、案外うまくいくのでは?
「……まあ、ピースさんがそこまで言うなら、前向きに考えても――」
俺が言いかけた、その時だった。
「お見合い中止です! 不合格! 即刻退場してください!」
香澄さんが、火山が噴火したような勢いで二人の間に割って入った。タブレットを武器のように構え、ピースさんを指差している。
「な、なんですって!? 柊さん、どういうことですの!」
「愛園ピースさん! あなたの今の行為は、国家インフラ維持法に基づく『ゾンビ就労妨害罪』に該当します! さらに、国立公園が管理する共有財産の持ち出し……要するにホウキの強奪は、立派な犯罪行為です!」
香澄さんは、さっきまでの「女神様」扱いはどこへやら、鬼のような形相で捲し立てた。
「エージェントとして、犯罪者やテロ組織予備軍を、我が国宝である天海春斗さんに引き合わせるわけにはいきません! このお見合いは無効です! 影山隊長、確保して警察に引き渡してください!」
「了解っ! 春斗様に害をなす思想犯め、一網打尽にしてくれる!」
茂みから擬態を解いた影山隊長たちが、猛スピードでピースさんを取り囲む。
「ちょっと! 私は愛を説いているだけですわ! 春斗さん、そうですよね。助けて!」
「あー……ごめん。ホウキは返してあげてね」
嵐のような勢いで、ピースさんはSPたちに連行されていった。
+++
再び静寂が戻った公園。
ベンチに残されたのは、魂が抜けかけた俺と、正義感で肩を震わせている香澄さんだけだった。
「……はぁ。また失敗、か」
「当然です! あんな危険な思想の持ち主、データ上は優しくても、実生活では天海家を爆破しかねません!」
香澄さんは、プンプンと怒りながらタブレットを操作し、愛園ピースのデータを『永久凍結』に放り込んだ。
「……ねえ、香澄さん。俺、正直言うとさっきの子なら、なんとか妥協できたと思うんだ」
「えっ……?」
香澄さんの動きが止まる。
「思想が強いのは困るけど、俺を赤ん坊扱いしないし、俺のゲーム機を売ったりもしなさそうだったし。一〇〇人の妻を娶らなきゃいけないなら、ああいう『実害の少ない変な人』で数を埋めていくのもアリかなって、ちょっと思ったんだよね」
俺が本音を漏らすと、香澄さんの瞳がみるみるうちに潤んでいった。
「……妥協、ですか」
「そう。だって、香澄さんに『プラチナ・シングル権』を取らせてあげたいからさ。俺が早く一〇〇人と結婚しちゃえば、君はあのトラウマから解放されるんだろ? だったら――」
「バカっ!!」
香澄さんが、叫ぶように俺の言葉を遮った。
彼女はタブレットを膝の上に叩きつけ、涙をボロボロとこぼしながら俺を睨みつけた。
「妥協なんて、絶対に許しません! 天海さんは、一パーセントの希少種で、私の大切な……大切なお世話の対象なんです! 犯罪者や、あなたを道具として利用するような女で数を埋めるなんて、そんな悲しいこと……私が認めません!」
「香澄さん……」
「私が、必ず! 天海さんが心から『この人でよかった』と思える第一夫人を見つけてみせます! それができないなら、エージェントなんて辞めてやるんですから!」
香澄さんは袖で乱暴に涙を拭うと、俺を置いてスタスタと歩き出した。
「あ、天海さん! ぼーっとしてないで帰りますよ! 明日はもっと、もっと、もっと完璧な候補者を連れてきますからね!」
怒っているのか、照れているのか。夕陽に照らされた彼女の背中は、いつも以上に小さく、そして意固地なまでに真っ直ぐだった。
俺のために「最高」を追求するポンコツ担当官と、彼女のために「妥協」を試みる俺。
空回りし続ける二人の想いは、今日も絶妙にすれ違ったまま。
俺のニート生活を守るための限界バトルは、どうやらまだまだ、終わらせてもらえそうにない。




