表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/44

第21話 企業買収マダム

 香澄かすみさんに「プラチナ・シングル権」を取らせて、この狂ったシステムから解放してやる。

 屋上で固めた決意を胸に、俺は百花繚乱閣ひゃっかりょうらんかくの応接室で、今日のお見合い相手を待っていた。


(香澄さんのために、適当な候補で妥協して結婚する。愛なんてなくても、システム上のダミー妻を一〇〇人集めればいいだけだ……よし、腹はくくったぞ)


天海あまみさん、お待たせいたしました!」

 バンッ、と勢いよく扉が開き、ピシッとしたタイトスーツ姿のひいらぎ香澄さんが入ってきた。彼女の左頬の傷は、今日も綺麗に化粧で隠されている。昨日の涙を引きずっている様子はなく、いつも通りの「エリート(自称)」の顔つきだ。


「今日こそは絶対に大丈夫です! 家計管理能力、統率力、資産形成データのすべてがSランク! 彼女が第一夫人になれば、残り九九人を完璧にマネジメントしてくれます!」

 香澄さんが自信満々に胸を張る後ろから、コツン、コツンとピンヒールの足音を響かせて一人の女性が現れた。


「初めまして、天海さん。巨大コンツェルンのCEOを務めております、宝生ほうしょう瑠璃子るりこよ」

 年齢は四〇歳。高級な仕立てのスーツを完璧に着こなし、隙のないメイクを施した彼女は、放つオーラが完全に「強欲な企業買収型マダム」だった。


「あ、どうも。天海春斗です」

「挨拶は手短に済ませましょう。時は金なりよ」


 瑠璃子さんはソファーに腰掛けるなり、愛の言葉でも自己紹介でもなく、空中に巨大なホログラムのプレゼン資料を展開した。

 そこにデカデカと書かれていたタイトルは、『天海家・敵対的買収(M&A)計画案』だった。


「……はい?」

「いいこと、春斗さん。私は結婚というものを『優良企業のM&A』としか見ていないの。百花繚乱閣という莫大な資産と、国家インフラであるあなたの権利。これを私が第一夫人、つまり『CEO』として実権を握り、最適化してあげるわ」


「えっと、結婚の、話ですよね……?」


 戸惑う俺を無視して、瑠璃子さんは次々とスライドをめくっていく。

「まず、無駄な支出のカット。夫であるあなたの『小遣い(ベーシックインカム)』は全額カットして、投資に回すわ。娯楽のゲーム機もすべて売却。あなたは実権を持たない『名誉会長』として、部屋の隅で大人しくしていなさい」

「俺のベーシックインカム生活とゲームが!?」

「そして、残り九九人の妻は労働力として再定義するわ。これが彼女たちの二四時間三六五日の『労働シフト表』よ。文句を言う者は即刻クビ(離縁)にして、私が新たな従順な株主(妻)を調達してくるわ」


「ちょっと待って! それ結婚じゃなくて乗っ取りじゃねーか! 俺を窓際に追いやる気満々じゃん!」

 俺がツッコミを入れると、香澄さんが真っ青な顔でタブレットを叩き始めた。

「あわわ……! 確かに資産管理能力はSランクでしたけど、まさか天海家全体を買収しようとするなんて、データには……っ!」


 +++


「あらあら。うちの可愛い弟を不良債権扱いするなんて、随分と舐められたものね」


 応接室の空気が一瞬で凍りついた。

 開いたままの扉に寄りかかり、二台のスマートフォンを弄りながら冷たい笑みを浮かべていたのは、腹違いの姉・天海あまみらんだった。政略結婚のブローカーであり、この家でも屈指の「守銭奴」だ。


「……誰かしら。私のプレゼンに口を挟むのは」

 瑠璃子さんが不快そうに眉をひそめる。


「天海蘭よ。弟の第一夫人枠の『筆頭株主』とでも名乗っておきましょうか」

 蘭はカツカツと歩み寄り、瑠璃子さんの目の前に自分のスマホ画面を突きつけた。

「敵対的買収? 笑わせないで。天海家の実権を握りたければ、まずは私を通しなさい。春斗の第一夫人の座は、すでに大手企業十社によるオークションの真っ最中よ。あなた、TOB(株式公開買付)を仕掛けるだけの資金力はあるの?」


「ふん、小娘が。私のコンツェルンの資本力を舐めないことね。天海家の全株式(妻の枠)をプレミアム価格で買い占めて、あなたたち既存の派閥を全員放逐してあげるわ」

「やれるものならやってみなさい。こちらにはホワイトナイト(友好的買収者)のツテがいくらでもあるわよ!」


 そこからはもう、完全に「嫁取り」の範疇を逸脱した、血で血を洗う「株の奪い合い」だった。

 飛び交う専門用語、飛び交う億単位の金額。蘭のスマホは鳴り止まず、瑠璃子さんも自身の部下に電話をかけて何やら恐ろしい指示を出している。


「あの……お二人とも、これはお見合いの席でして……っ」

 香澄さんが必死に仲裁に入ろうとするが、完全に企業間戦争の熱狂に包まれた二人の耳には一切届いていない。


「……香澄さん」

「ひゃっ!? あ、天海さん?」


 俺は、オロオロしている香澄さんの手首をガシッと掴んだ。

「ここはもう戦場だ。俺たちは外で戦火が収まるのを待とう」

「えっ? そ、外で!? でも、お見合いが……!」

「いいから、逃げるぞ!」


 俺は強引に香澄さんの手を引き、口論を続ける蘭と瑠璃子さんを応接室に残して、全速力で百花繚乱閣を脱出した。


 +++


 影山かげやま隊長たちSPの目も盗み、なんとか辿り着いたのは、保護区の端にある古びた大衆ラーメン屋だった。

 食券を買い、油でベタつくカウンターに並んで座る。


「……まさか、お見合い中にこんなお店に逃げ込むなんて。エージェントとして大失態です」

 香澄さんは、カウンターの丸椅子にちょこんと座りながら、ため息をついた。


「いいって。あんな企業買収マダムと結婚したら、俺、二〇歳にして窓際族になっちゃうから。命拾いしたよ」

 俺が笑って言うと、店主が無言で二つのどんぶりをカウンターにドンッと置いた。湯気と共に、醤油と豚骨のジャンクな匂いが漂ってくる。


「いただきます」

 香澄さんは割り箸をパチンと割り、ふーふーと息を吹きかけてから、器用に麺をすすり始めた。ピシッとしたタイトスーツで大衆ラーメンを頬張る姿はひどくミスマッチだが、昨日の一件を経て、俺にはその姿がとても愛おしく思えた。


「……天海さん? 食べないんですか?」

「あ、いや。実は俺、こういう普通のラーメン屋に入るの、初めてでさ」

「えっ、そうなんですか?」


 驚く彼女に、俺は苦笑いした。

「一パーセントの希少種だからね。出された食事は栄養管理された専属シェフのコース料理か、俺が部屋でこっそり食べるカップ麺くらいしかなかったんだ」

「そうだったんですね……。ほら、伸びちゃいますよ。美味しいですから、食べてみてください」


 促されて麺を啜る。濃い味付けが、疲れた脳に染み渡る。

「うん、美味い」

「ふふっ、よかったです」

 香澄さんは、口元をハンカチで拭いながら、少しだけはにかむように笑った。


 その笑顔を見ながら、俺は改めて昨日の決意を思い返していた。

(彼女にプラチナ・シングル権を取らせて、自由にしてやりたい)

 その気持ちに嘘はない。俺が適当な女で妥協して一〇〇人の妻を娶れば、彼女はあのトラウマから解放されるのだ。


 だが……。

 ズルズルと麺を啜りながら、今日のお見合い相手、宝生瑠璃子さんの顔が脳裏をよぎる。


(いや、無理だろ)

 俺は心の中で激しくツッコミを入れた。

 妥協するとか、ダミーとして置いとくとか、そういう次元の話ではない。香澄さんが連れてくる候補者は、俺の年金生活を物理的に破壊しにくる企業買収マダムや、離乳食を食わせてくるヤバい地雷女ばかりなのだ。

 いくら香澄さんのためとはいえ、こいつらと結婚するのは物理的に不可能である。俺の命と平穏なニート生活がもたない。


「……ねえ、香澄さん」

「はい、なんでしょう?」

「次はさ、もうちょっと……こう、普通の、せめて俺を人間として扱ってくれる人を連れてきてくれないかな。俺、結婚する気が出てきたからさ」


 俺の切実な願いに、香澄さんはキョトンとした後、明るい顔になって言い返してきた。

「初めての前向きな発言! 次こそは絶対に、データ上も人間性も完璧な候補者様を連れてきますから! エリートエージェントの私の本気、見せてやります!」


 そう言って、ラーメンのスープをグイッと飲み干す彼女の横顔を見て、俺は思わず吹き出してしまった。

「はいはい、期待しないで待ってるよ」


 俺の一〇〇人の嫁探しは、地を這うような地獄の難易度だった。

 愛するニートの聖域と、ポンコツ担当官の笑顔を守るための限界バトルは、まだまだ終わりそうになかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ