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第19話 豪雨と傷跡の過去

「はぁ……ひどい目に遭ったね」


 姫宮ひめみやキララとの散々なお見合いが終わり、カフェを出た俺たちは、重い足取りで駐車場へと向かっていた。

「本当に、申し訳ありません……」とひいらぎ香澄かすみさんがうつむく。

 その時、ポツリと冷たいものが頬に当たった。見上げると、さっきまで晴れていた空が、いつの間にか黒い雲に覆われている。

「え?」

 次の瞬間、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨が俺たちを襲った。


「うわっ、マジか! 香澄さん、走って!」

「きゃっ!? あ、天海あまみさん、待って……!」


 突然の豪雨に、街ゆく人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。俺は香澄さんの腕を引き、近くの路地へと駆け込んだ。

春斗はると様ぁぁぁっ! どこですか春斗様! 雨で視界から外れておりますぞー!」

 背後から影山かげやま隊長の狂気じみた叫び声が聞こえたが、雨音と人混みに掻き消され、あっという間にSPたちとはぐれてしまった。


 +++


 俺たちが逃げ込んだのは、路地裏にある古びた建物の軒下だった。

「はぁっ、はぁっ……」

「ごほっ、す、すごい雨ですね……」

 狭い軒下で、俺たちは肩で息をしていた。外は真っ白になるほどの土砂降りで、しばらく止みそうにない。


 ふと隣を見ると、香澄さんは頭からつま先までずぶ濡れになっていた。ピシッとしたタイトスーツは水を吸って重そうに張り付き、黒髪からポタポタと雫が滴り落ちている。彼女は寒さで小さく震えながらも、必死にタブレットを庇っていた。

「香澄さん、風邪引くよ。これ使って」

 俺はポケットから、かろうじて濡れていなかったハンカチを取り出し、彼女に差し出した。

「あ、ありがとうございます……でも、天海さんこそ」

「俺はいいから。ほら、顔もびしょ濡れだ」


 俺はハンカチを持つ手を伸ばし、彼女の濡れた頬を優しく拭った。

「ひゃぅっ……! あ、あの、自分でやりますから……っ」

「じっとしてて。俺に任せてって……あれ?」


 ハンカチで雨水を拭い取った瞬間、俺は思わず動きを止めた。

 彼女の左頬からファンデーションが流れ落ち、今まで化粧で隠されていた『傷跡』が、はっきりと露わになっていたのだ。

 それは単なる擦り傷などではなく、刃物か何かで深く抉られたような、痛々しい古い傷跡だった。


「……あ」

 俺の視線に気づき、香澄さんはサッと顔を青ざめさせて俺から視線を背けた。

「み、見ないでくださいっ!」

 彼女は慌てて両手で左頬を覆い隠し、俺から逃げるように壁際へと後ずさった。いつも強がっているエリート気取りの彼女からは想像もつかないほど、その声は震え、怯えきっていた。

「ごめんなさい、こんな……醜いものを見せてしまって……っ。すぐに直しますから、見ないで……」

 ポロポロと、雨水に混じって彼女の目から涙が溢れ出す。


 俺は、胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。

 いつも空回りしては涙目になっているポンコツ担当官。でも、彼女はどんなヤバい状況でも、俺を守ろうと必死に前に立ってくれていた。その彼女が、たった一つの傷跡を隠して、こんなにも震えている。


 俺はゆっくりと歩み寄り、彼女の顔を覆う冷たい手に、そっと自分の手を重ねた。

「天海、さん……?」

「無理にとは言わないけど、よかったら聞かせてくれる?」


 雨音だけが響く中、俺はできるだけ優しい声で問いかけた。

 香澄さんはしばらくの間、迷うように瞳を揺らしていたが、やがて観念したように小さく息を吐き、静かに語り始めた。


 +++


「……私がまだ、中学生だった頃の話です」

 香澄さんは、雨の向こう側を見るような遠い目をしていた。


「当時、私の家の近くで、大きな道路工事が行われていました。もちろん立ち入り禁止のエリアだったんですが……ある日、そこに誤って入ってしまった見知らぬ『少女』がいたんです」

「少女……」

「はい。とても綺麗な服を着た、小さな女の子でした。でも、その子が迷い込んだ場所は、とても危険なエリアでした。そこでは、労働用のプログラムをされたゾンビが、つるはしを使って深い穴を掘っていたんです」


 香澄さんの声が、微かに震える。

「ゾンビには感情も、周囲を気遣う認識能力もありません。ただ命じられた通りに、一定のリズムでつるはしを振り下ろすだけ……。その少女は、あろうことか、そのゾンビの死角に入り込んでしまったんです」


 俺は息を呑んだ。重い鉄の塊であるつるはしが、小さな子供に直撃すればどうなるか。想像するだけで背筋が凍る。


「危険だと判断した私は、無我夢中で飛び込みました。間一髪のところで少女を突き飛ばして助けることができたんですが……その代わり、大きく振りかぶったたつるはしが、私の頬を掠めました」

 香澄さんは、自嘲するように左頬の傷跡に触れた。

 それが、彼女が顔に深い傷を負ってしまった理由だった。


「……でも、助けたんだろ? 少女を。すごいじゃないか。命の恩人だ」

「命の恩人だなんて、そんな立派なものじゃありません。……その後、助けた少女のご家族から、多額の謝礼と、私の顔の傷を綺麗に治すための治療費が送られてきました」

「だったら、どうして傷がそのままに……」


 香澄さんは俯き、ギュッと唇を噛み締めた。

「私の父は……違法なギャンブルや娯楽に手を出している、本当にどうしようもない人でした。送られてきた謝礼も、私の治療費も……すべて、ケチな父が没収してしまったんです」

「なんだって……!?」

「傷を治すお金なんて残っていませんでした。それからずっと、私はこの傷のせいで……心無い言葉をかけられたり、苦労したりしてきました。だから、必死に化粧で隠すしかなかったんです」


 彼女の過去の告白に、俺は言葉を失った。

 彼女が背負ってきた理不尽な不幸。そして、なぜか俺の脳裏に、不意に一つの記憶がフラッシュバックした。


『姉貴たちに女装させられて、SPの目を盗んで外へ散歩に連れ出されたりね……』


 先日、地下シェルターで親父が語った言葉。

 子供の頃、姉のイタズラで女装させられ、迷い込んだ工事現場。

 迫り来るつるはし。

 俺を庇って、血を流して倒れた、見知らぬ女の子の姿。


(……まさか。あの時の少女って)


 俺の心臓が、早鐘のように激しく鳴り始めた。

 目の前で傷を隠して震える香澄さんと、記憶の中の女の子の姿が、完全に重なり合ったのだ。

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