第15話 秘密の地下シェルター
俺がエレベーターの操作パネルの隅にある、隠された指紋認証スキャナーに触れると、低い駆動音と共に、箱はさらに地下深くへと沈んでいった。
「ひゃっ……! な、なんですかこの隠しギミック! 聞いていませんよ!?」
「まあ、内緒にしてるからね。……到着だ」
チンッ、と静かな音が鳴り、重たい金属製の扉が開く。
そこに広がっていたのは、煌びやかな上の階層とは対極にある、無骨で薄暗いコンクリート剥き出しの空間だった。
「ここは……?」
「俺の親父……天海壮一郎の、秘密の地下シェルターだよ」
香澄さんは目を丸くして、広大な地下空間を見渡した。
壁一面には旧世紀の古い書物や、アナログなオーディオ機材が並び、中央には使い込まれた革張りのソファが置かれている。そして、そのソファの真ん中で、よれよれのTシャツ姿のまま、インスタントコーヒーを啜っている中年男性の姿があった。
「よう、春斗。随分と可愛らしいお客さんを連れてきたな。新しい嫁候補か?」
「そうなんだよ。何度も振られてさぁ、なーんて違うよ。俺の担当官の、柊香澄さん。色々あって落ち込んでるみたいだから、親父のところで少し休ませてやろうと思ってさ」
俺が紹介すると、親父はマグカップをテーブルに置き、人懐っこい笑みを浮かべて立ち上がった。
「そいつはご苦労様。俺は天海壮一郎だ。まあ、適当に座ってくれ。ここは妻たちの金切り声も、派閥争いの足音も届かない、この世で一番静かな場所だからな」
「あ、天海、壮一郎様……!? あの、一〇〇人の妻を平等に愛し、統率するカリスマ夫で有名な……!?」
香澄さんは慌てて姿勢を正し、深くお辞儀をした。マリッジ局のエージェントにとって、一〇〇人の妻を完璧に管理している天海壮一郎は、まさに生きた伝説のような存在だ。
だが、当のカリスマは、頭をボリボリと掻きながら苦笑いした。
「カリスマねぇ。世間やマリッジ局のみなさんには、そう見えてるのか。……まあ、無理もないか」
親父は古びたソファにどっかりと腰を下ろし、俺と香澄さんにも座るよう手で促した。
「柊くん、と言ったか。君はエージェントとして、一夫百妻制というシステムこそが、人類を最も効率的に幸福にするデータだと信じているんだろう?」
「は、はい! それが私たちの教義であり、国家の存亡を支える柱ですから!」
緊張しながら答える香澄さんを見つめ、親父はふっと自嘲気味な息を吐いた。
「……本当にそう思うか? 一〇〇人の期待と欲望を背負い続けることが、どれほど人間の心をすり減らすか、君の持つデータには書かれているかな」
「え……?」
「俺がなぜ、こんな地下深くのシェルターに隠れ家をもっているのか、教えてやろう」
親父の瞳の奥に、上の階層で見せる「完璧な夫」としての仮面とは違う、暗く沈んだ、一人の人間としての本音が覗いていた。香澄さんはタブレットを握りしめたまま、ゴクリと息を飲んでその言葉を待った。
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「柊くん。データというのは残酷だ。一〇〇人を平等に愛するという計算式は成り立っても、そこに『心』という変数を入れた途端、答えは無限に発散してしまう」
親父はそう言って、古びた本棚から一冊のアルバムを取り出した。そこには、まだ幼かった頃の俺の姿が収められていた。
「春斗はな、一%の希少種として生まれた瞬間から、この百花繚乱閣という巨大な鳥籠の囚人になったんだ。大勢の母親たちからは『権力の象徴』として崇められ、数え切れないほどいる腹違いの姉たちからは、生きた着せ替え人形のようにおもちゃにされた」
「お、おもちゃ、ですか?」
香澄さんが驚いて声を漏らす。俺は苦笑いしながら、アルバムの一ページを指差した。そこには、フリフリのドレスを着せられ、困り果てた顔をした幼い俺が写っていた。
「そう。姉貴たちに女装させられて、SPの目を盗んで外へ散歩に連れ出されたりね。……あの時は本当に、自分が何者なのか分からなくなりそうだったよ」
香澄さんはその写真と俺の顔を交互に見て、何かを言いかけて口を閉ざした。
「だから俺は、春斗にずっと言い聞かせてきた。『いつか、この国から逃げろ』とな」
親父の言葉に、香澄さんが息を呑むのが分かった。マリッジ局のエージェントにとって、ノーマル男子に国外逃亡を勧めるなど、国家反逆罪にも等しい暴論だ。
「東南アジアなどの暖かい国へ行けば、こんな狂った法律はない。自由で、穏やかな時間が流れている。中にはゾンビと結婚して共に暮らす女性がいるほどだ。一〇〇人の誰かではなく、ただ一人の人間として、誰かの『唯一』になれる場所が外にはあるんだよ」
「……唯一。数分の一ではなく……」
香澄さんの呟きは、先ほど俺が屋上で感じた孤独と共鳴しているようだった。




