第12話 恐怖の離乳食
「な、なんですかこれ……?」
「特製の離乳食でちゅ! 高級なオーガニック野菜と最高級のフィレ肉を、春斗くんの胃腸に負担がかからないようにペースト状にしましたの! さあ、たくさん食べて大きくなりまちゅよー」
マリアさんは立ち上がると、どこから取り出したのか、巨大なクマのアップリケがついたスタイ(よだれかけ)を俺の首に強引に巻きつけようとしてきた。
「ちょ、ちょっと待って! 俺、二〇歳! 立派な大人だから! 離乳食なんて必要ないし、ペースト飯じゃなくて普通の肉が食いたいんだけど!」
「だぁめ! 春斗くんは私の可愛い赤ちゃんなんだから、ママの言うことを聞かないとメッでちゅよ! ほら、あーんちて?」
スプーンに山盛りにされた謎のペーストが、俺の口元に迫ってくる。マリアさんの目は完全に常軌を逸しており、逃げ場のない圧倒的な「バブみ(過剰母性)」のオーラが部屋を満たしていた。
「大丈夫、春斗くんのことは私が二四時間、ずぅっと管理してあげまちゅからね。夜八時にはおねんねして、私が絵本を読んであげまちゅ。残りの九九人の妻は、春斗くんのためのお世話係として私が面接して雇いまちゅから、安心ちてねー」
一〇〇人の妻を全員シッターにする気か!? 天海家の領地争いなんて目じゃない、絶対的な支配によるディストピアの完成だ。俺は恐怖のあまり声も出ず、椅子に背中を押し付けて必死に抵抗した。
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「や、やめてください!」
限界までのけぞった俺と、スプーンを押し込もうとするマリアさんの間に、香澄さんが勢いよく割って入った。
「マリアさん! 婚姻前に対象者への不適切な接触、および強要はマリッジ局の規定違反です! 天海さんはもう立派な大人です! 赤ちゃん扱いはおやめください!」
香澄さんは俺を庇うように両手を広げ、震える声で言い放った。タイトスーツの後ろ姿から、彼女の必死さが伝わってくる。
「あら、邪魔しないでちょうだい。私は春斗くんの健康を思って……」
「健康管理の範囲を超えています! 直ちにそのスプーンを下ろしてください!」
エージェントとしての威厳を振り絞る香澄さんに守られながら、俺は大きく息を吐き出した。
確かにポンコツだけど、いざという時は体を張って守ってくれる。その不器用な一生懸命さが、なんだか無性に嬉しくて、そして少しだけからかいたくなった。
「そうだよ、マリアさん」
俺は香澄さんの肩にスッと手を置き、彼女の耳元に顔を寄せた。
「俺はもう大人だ。……香澄さんと子作りができるくらいにはね」
パチン、と片目をつぶってウインクを飛ばす。
その瞬間、香澄さんの動きが完全にフリーズした。
肩に置かれた俺の手から伝わる体温と、耳元で囁かれた言葉。男性免疫が皆無に等しい彼女の脳内で、何かがショートする音が聞こえた気がした。
「こ、こづ、子作り……!?」
香澄さんの顔が、首の根っこから耳の先まで、文字通り茹でダコのように真っ赤に染め上がっていく。目にはぐるぐると渦巻きが浮かび、タブレットを持つ手が激しく震えている。完全にオーバーヒート状態だ。
「まぁっ! ママの前で他の女を口説くなんて、悪い子でちゅね! 反抗期にはお仕置きが必要でちゅ!」
マリアさんが怒りに顔を歪め、今度は離乳食の入った深皿ごと俺に押し付けようと突進してくる。
「ひゃぅっ! だ、だだだ、ダメです! こ、これ以上近づくなら、エージェントの権限で、あ、あなたを拘束、し、しますっ!」
香澄さんはパニックになりながらも、タブレットを盾のように構えて必死に叫んだ。
国家繁栄省の絶大な権限をチラつかせるその言葉に、流石のマリアさんも動きを止めた。
「……っ。チッ、仕方ありませんわね。今日のところはこれで引いてあげまちゅ。でも、春斗くんは絶対に私の赤ちゃんにさせますから!」
マリアさんは捨て台詞を吐き、ドスドスと足音を立ててVIPルームから去っていった。
残されたのは、冷や汗びっしょりの俺と、いまだに顔から湯気を出してフリーズしているポンコツ担当官だけだった。
「……はぁ。助かったよ、香澄さん。ありがとね」
俺が肩から手を離して声をかけると、香澄さんはビクッと肩を揺らし、涙目で俺を睨みつけてきた。
「あ、天海さんからかわないでください! 仕事中にな、なな、なんてこと言うんですかっ! 心臓が止まるかと思いました!」
「あはは、ごめんごめん。でも、香澄さんが大人だって言ってくれたから、証明しようと思ってさ」
「そういう証明はいりませんっ! あぁもう、せっかくの完璧なデータがまた……!」
香澄さんはタブレットを抱きしめてその場にしゃがみ込み、またしてもシクシクと泣き始めてしまった。
俺の一〇〇人の嫁探しは、今日も今日とて前途多難。この狂ったユートピアで平穏な日々を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだった。




