第11話 過剰な母性
都内でも有数の格式を誇る高級ホテルの最上階。完全予約制のレストランに併設されたVIPルームは、分厚い絨毯と重厚なアンティーク家具に囲まれ、一般の客の喧騒からは完全に隔離されていた。
「天海さん! 今回は絶対に、絶対に大丈夫です! 私の所属する『データ至上主義派』の粋を集めた、非の打ち所がない完璧な候補者様ですから!」
円卓の隣に座るマリッジ局の新人エージェント、柊香澄さんが、最新型のタブレットを抱きしめながら鼻息荒く宣言した。左頬の古傷が、興奮で少し赤くなっている。
これまでのヤバすぎる候補者たちのことを思い出すと、彼女の「完璧なデータ」という言葉ほど信用できないものはないのだが、今日ばかりは俺も少しだけ安堵のため息をついていた。
「初めまして、天海春斗さん。本日はこのような素晴らしい席を設けていただき、ありがとうございます。聖母院マリアと申します」
向かいの席でふわりと微笑んだのは、艶やかな長い髪を緩やかにまとめた、いかにも上品な大人の女性だった。年齢は二八歳。柔らかな素材のワンピースは派手すぎず、それでいて彼女の圧倒的なプロポーションと包容力を自然に際立たせている。声のトーンも落ち着いていて、耳に心地よい。
「あ、天海春斗です。こちらこそ、わざわざ足を運んでいただいてありがとうございます。……その、今までの候補者の方が、かなり個性的だったもので、少し身構えていました」
「ふふっ。柊さんから少しだけ伺っています。大変だったのですね。でも、もう安心してください。私が春斗さんの心身を、全て完璧にケアして差し上げますから」
マリアさんが聖母のような微笑みを向けてくる。
香澄さんがタブレットの画面をスワイプし、得意げに解説を始めた。
「聞いて驚いてください! 聖母院マリアさんは、包容力、育児スキル、栄養管理に関するデータがすべてSランクなんです! これなら百花繚乱閣の過酷な環境でも、春斗さんの健康と精神の安寧を完全に守り抜くことができます!」
「へえ……育児スキルってことは、保育士さんか何かだったんですか?」
俺が尋ねると、マリアさんは優雅に紅茶のカップを口元へ運びながら答えた。
「いいえ。私は以前、国営のゾンビ育成センターでオペレーターをしておりましたの」
「あ、あの巨大な施設の……。じゃあ、相当な数の子供たちを見てきたんですね」
この国では、男児が産まれると九九パーセントの確率で感情のないゾンビとなる。産院でゾンビだと判定された瞬間に首筋にQRコードが刻印され、国営のセンターへと移送されるのだ。母親が情を移す前に引き離すための、残酷だが合理的なシステムである。
「ええ、そうです。産まれたばかりのゾンビの赤ちゃんは、本当に静かなんですよ。泣き叫ぶこともなく、ただ与えられた栄養ペーストを無心で飲み込むだけ。私たちは彼らを個体名ではなく番号で呼び、社会のインフラを支える立派な生体ロボットとして初期化していくのが仕事でした」
マリアさんの語り口は淡々としていたが、どこか遠くを見るような目をしていた。
「でも、時には悲しい事件も起こるのです。手放したくないと願うお母様が産院に裏金を渡し、違法な『闇ゾンビ』として手元に残してしまうケースが……。結局は国に見つかり、厳しい処罰を受けることになるのですが」
「……親心としては、痛いほどわかりますけどね」
俺が相槌を打つと、マリアさんはコトリとティーカップをソーサーに置いた。
その瞬間、彼女の瞳の奥に、奇妙な熱の宿った光が走ったような気がした。
「ええ。ですが、私はそうは思いません。感情のない、笑いもしない人形のお世話を続けるなんて、虚しいだけですわ。長年オペレーターを務めるうちに、私は気が狂いそうになったのです。……私はもっと、感情のある、私の愛情に完璧に応えてくれる『赤ちゃん』を育てたい。私の愛で完全に管理したいと」
ん? 今、少し不穏なワードが聞こえたような。
俺が背筋に冷たいものを感じ始めた時、レストランの分厚い扉が開き、銀のクロッシュ(蓋)を持ったウェイターが入ってきた。
「お待たせいたしました。こちら、マリア様から特別にオーダーいただいたお品でございます」
「ありがとう。さあ、春斗くん。お食事の時間でちゅよ」
突然、マリアさんの声のトーンが甘ったるい、それこそ赤ん坊をあやすようなものに豹変した。
ウェイターがクロッシュを開けると、そこにあったのは高級フレンチのフルコース……ではなく、何やらドロドロとしたペースト状の物体が盛られた深皿だった。




