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009.第4話 姉の幽霊(1)川辺の子供

「あの子は死んだのよ。もういないの」

「違うよ。お姉ちゃんは帰ってきたんだよ」

死んだはずの友人の幽霊に悩まされる少女は、川辺で出会った子供に相談を持ちかける。

「お願いよ。どうか、あの子を祓って」

第4話「姉の幽霊」、全6~8節くらいの予定です。


(……どうしよう)


 沙苗(さなえ)は立てた膝に顔を埋めて蹲った。

 穏やかに流れる小川は初夏の日射しを映し、きらきらと光を散らしている。

 涼やかに吹き抜ける風が沙苗の髪をそよがせて、仄かに香る花橘(はなたちばな)の爽やかな香りが鼻を擽った。


 橘。


 知らず知らずのうちに腕に力が籠り、立てた爪が夏衣の薄い生地越しに肌に食い込む。

 沙苗はぎゅっと唇を噛みしめて、水辺に茂る葦を意味もなく睨みつけた。


(どうしよう。どうしよう。このままじゃ……)


「どうしたのじゃ、そなた。具合でも悪いのか?」

「誰?!」


 突然の問いに、沙苗は反射的に立ち上がって身構えた。

 誰何(すいか)の声を上げると、座っていた沙苗の顔を覗き込むような体勢で身を屈めていた人物が、ぴょこりと背を伸ばす。


「そなたがやたら思い詰めた顔をしておったからな。少しばかり、気にかかってのう」

(……子供?)


 こちらの警戒を意にも介さず、ニコニコと能天気な笑みを浮かべるのは、沙苗より頭ひとつ分ほど背の低い少女だった。


 知らない顔だ。

 年齢は沙苗より四つ五つ下といったところだろうか。

 丈の短い袴は活発な印象だが、衣の生地は上質だ。見慣れない装いといい、耳慣れない喋り方といい、近隣の里の子には見えない。


「あなた、旅人か何か?」


 怪しみつつ尋ねると、その子供はきょとんと瞬いてから、慌てた様子で頷いた。


「うむ。そんなところじゃ」

「どこから来たの? あなたひとりで旅をしているわけじゃないでしょう。一緒に旅をしている方はいるの?」


 矢継ぎ早に飛び出る質問に、子供が目を白黒させる。

 見覚えのない相手は警戒すべきだというのに、心配が勝ってしまったのは、弟や妹たちの姿が重なったからかもしれない。

 それと、あの子の姿が。


「ええと。姉……、とともに旅をしておる」

「お姉さんがいるのね」


 ひとりではないらしいということに、ひとまずほっとする。

 どこか言いにくそうな口振りだったから、もしかすると実の姉ではないのかもしれない。

 が、そこを深入りする理由はない。年長の連れがいる、と分かれば充分だ。

 頷く沙苗に、子供はぎこちなさを誤魔化すように咳払いをして、沙苗に話題を返した。


「それで、何を悩んでおるのじゃ?」

「別に、大したことじゃないわ」

「気にかかることがあるならば、話すだけ話してみれば良い。旅の者が相手であれば後腐れもなかろう」


 子供が無邪気に笑う。

 沙苗は思わずたじろいで、まじまじと子供の顔を見つめた。


 その提案が魅力的なことは、認めざるを得なかった。

 沙苗がここ一月(ひとつき)もの間、ひとりで悩みを抱え込んでいた理由が、まさしくそれだったからだ。

 知り合いに相談したら、きっと心配される。大事になるのが嫌で、誰にも相談できなかった。


「あなた、幽霊を見たことはある?」


 だからだろうか。半ば無意識のうちに、言葉が漏れたのは。

 言ってしまってから我に返って、沙苗は顔の前で手を振った。


「ごめんなさい、何でもないわ。忘れて」


 恥ずかしい。

 火照った頬の熱を冷まそうと、ぱたぱたと自身を煽ぐ。

 そんな沙苗に、子供は馬鹿にするでもなく首を傾げて、ごく普通な様子で答えた。


「あるぞ」

「え?」


 妙なことを言い出した沙苗を心配するでも、怪談話を怖がるでもない。平然とした様子の子供に、沙苗の方が虚を突かれた心地になる。

 ぽかんと口を開けて子供を見れば、彼女は真っ直ぐに沙苗を見返した。

 透明な瞳が、光の加減で金色に煌めいた、ような気がした。


「もしかして、あなた、巫女さんか何か?」


 そう尋ねたのはほんの思い付きだったが、口にしてみれば、その推測はいかにも妥当な気がした。


 年端もいかない妹と、その姉のふたりで旅をしていること。

 どこか不思議な、浮世離れした雰囲気。

 相手の心の内にあるわだかまりを、するりと解きほぐすような話しぶり。

 そして、幽霊を見たことがあるという発言。


 神仏に仕える者が、各地をさすらって修行をしたり、祈りを捧げたりすることは珍しくない。

 半ば確信を持って見据えた沙苗に、子供は曖昧に首を傾げた。


「まあ、そんなところか……?」


 どっちなのだ。

 いかにも自信なさげな様子に、肩の力が抜ける思いがする。

 修行中の身だとか、彼女の姉が巫女で彼女自身は手伝いだとか、そんな感じかもしれないな、とぼんやり思う。


 ふと、話してみても良いのかもしれない、という考えが頭をよぎった。

 この子供の言う通りだ。沙苗にも()()にも関係のない旅人ならば、余計な心配をかける恐れもない。

 解決に向かわなくても、聞いてくれる人がいるだけで、気持ちが軽くなるかもしれない。


「だったら、私の話を聞いてくれるかしら」

「ああ。もちろんじゃ」


 子供が朗らかに快諾する。

 沙苗は短く息を吸って、膝の上で握った拳を見つめた。


「──幽霊を見たの。三月(みつき)前に死んだ、幼馴染の幽霊を」


 そして沙苗は、胸の内に抱え込んでいた悩みを、ゆっくりと話し始めたのだった。


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