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005.第2話 失せ物さがし(3)大切なもの


「本当に、ありがとうございます……!」


 手渡された櫛を胸元に抱いて、美珠(みたま)は目を潤ませた。

 参道に跪き、深く頭を下げる。

 (やしろ)に続く(きざはし)に腰掛けた子供が、ぱたぱたと足を揺らした。


「良かったな。大切なものなのじゃろう?」

「はい、とっても」


 顔を上げると、金色に輝く眼と視線が交わった。

 美珠の喜びを自分のもののように嬉しそうに笑う顔は明るく無邪気で、まるで普通の子供みたいだ。


 ふと、幼いうちに死んでしまった一人娘のことを思い出した。

 たった三つで、命を終えてしまったあの子。

 もしもあの子が生きていたら、これくらいの年だろうか。


 そう思った時には、するりと問いが零れていた。


御使(みつか)い様は、この社に住んでいらっしゃるのですか?」

「む? そうじゃな」


 質問の意図が分からなかったのだろう。子供が首を傾げつつ、素直に頷く。

 では、と美珠は身を乗り出した。


「おひとりで、寂しくはありませんか。もしよろしければ、私の家に──」


 言い終える前に、我に返った。

 子供がきょとんと美珠を見下ろす。

 その無垢な視線に、頬が熱くなるのを感じた。


「申し訳、ありません。つい、出すぎたことを……」

「いや。気持ちは嬉しかったぞ」


 ひたすら恐縮する美珠に、子供がころころと笑う。

 とん、と軽やかに参道に降り立った子供が、美珠の前にしゃがみ込む。

 そのまま覗き込むようにして美珠を見上げ、彼女は柔らかく微笑んだ。

 親が子を慈しむような、祖父母が孫を愛おしむような、優しい笑みだった。


「しかしな、我はひとりではないのじゃ」


 続けられた言葉に、美珠はぱたりと瞬いた。

 次いで、はっとする。

 そうだ。彼女は山神の御使いだ。

 ならば当然、社には山神がいるのだろう。もしかしたら、彼女以外の御使いもいるかもしれない。


「実はな。その櫛を取り戻すのも、そのひとに手伝ってもらったのじゃ」


 打ち明け話をするように、子供が声を潜める。

 下がった眉は、どこか気まずげな色がある。まるで、姉に仕事を手伝ってもらった妹みたいだ。

 しかし、綻んだ目元に浮かぶ笑みは見覚えのある類いのもので、つられて美珠まで口元が緩んだ。


「大切な方、なのですね」


 美珠の言葉に、子供が金茶色の睫毛を瞬かせる。それから、ぱっと笑みを閃かせた。

 春の花が咲くような、笑みだった。


「ああ。大切なひとじゃ」


 噛みしめるように、思いを馳せるように、金の瞳を細めて、狐が言う。

 美珠は穏やかに笑みを返した。


「でしたら、良かったです」


 申し出が断られたことに、少しだけ寂しい気持ちはあるけれど。

 この子供が、幸せであるのならば。



 美珠は衣の裾を払って立ち上がる。

 戻ってきた櫛で、いつものように髪を纏め直す。

 子供に別れを告げて、鳥居をくぐる。


 そして山を下り、美珠は日常へと帰っていった。



 *


「行っても良かったのに。おまえは人間が好きなのだから」


 帰っていく彼女の後姿が見えなくなった頃。

 狐の頭上から、静かな声がした。


 振り仰げば、社の屋根の上から、鴉のあやかしがこちらを見下ろしている。


「そんなことを言って。我がいなくなったら寂しかろうに」


 狐はむっと唇を曲げ、腕を組んで鴉を見上げた。


『お前まで、──……』


 木から落ちた狐を受け止めてくれた後、鴉が何と言おうとしたのかは分からない。

 ただ、何となく。

 自分は鴉を置いていなくなるまい、と。

 時折、寂しげな目をするこのひとを、ひとりにはするまい、と。

 狐はそう思ったのだった。


「図に乗るな」


 勝手な決意を固めた狐を、鴉がじろりと睨む。


「昔に戻るだけだ。……お前を拾う前に」


 素っ気なく言い捨てて、鴉がそっぽを向く。

 頑なな横顔を見上げながら、狐は考え込んだ。


(本当に、昔に戻るだけなのじゃろうか)


 ひととひとが出会い、共に過ごし、別れたとして。

 その後は、出会う前に戻るだけなのだろうか。

 たとえば美珠だ。夫を、娘を亡くした彼女は、彼らに出会う前に戻っただけなのだろうか。

 それは少し、違う気がする。


 きっと、出会いはひとを変えるのだろう。良くも悪くも。

 ……鴉にとって狐がそれほどの存在なのかは、また別の問題として。


 うむ、と頷いて、狐は屋根の上へ駆け上った。


「少なくとも、我はそなたが一緒でないと寂しいぞ」

「引っ付くな、暑苦しい」


 腕に抱き着いてぐりぐりと頭を押し付ければ、鴉が居心地悪そうに身じろぐ。

 だが、振り解きはしない。


 ぽすりと肩口に寄りかかると、細い指が髪を梳いた。

 薄い肩は硬く、あまり寝心地が良くないが、黒い外衣は羽のように滑らかで触り心地が良い。


 春の日差しはぽかぽかと暖かく、眠気を誘う。

 狐は抗わずに目を閉じた。

 落ちるなよ、と苦笑する声が、遠く聞こえた気がした。



■次回予告

「山神様、ミツカイ様、お願いします! どうか、雨を降らせてください!」

水不足に困る村を見かねた少年は、隣人から聞いた『山神の社』を訪れる。

第3話「花の堰」、全3節予定です。

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