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004.第2話 失せ物さがし(2)探し物のありか


 そうして探し始めて、三日目の昼過ぎ。


「ここか!」


 山を駆け巡り、獣に尋ね回ってやっと見つけたそれに、狐は息を弾ませた。 

 渓谷に寄り添うように高くそびえた松。

 その上にあるカラスの巣の中で、見慣れない朱塗りの櫛を見かけたと、リスの子から教えてもらったのだ。


 木登りは得意だ。

 軽く膝を曲げ伸ばしてから、幹に飛びつき、枝を掴んで身体を引き上げる。

 するすると登っていくと、鳥の巣が見えた。

 巣の主は今は留守らしい。

 目を凝らしてみれば、巣の中に、聞いていた通りの櫛がある。


「巣の主には悪いが、こっそり返してもらうしかないかのう」


 鴉ならば、巣の主が帰ってから交渉できたのかもしれないが、生憎、狐はまだ鳥の言葉が分からない。

 いや、言葉が分かったところで、説得ができるかは別の問題だ。

 それは盗んだ物だ、だから返せ、というのは人間の論理である。

 鳥にとっては、自分が手に入れた宝物を返さねばならない理由はないだろう。


 どちらの言い分が正しいか、判断することは狐にはできない。

 ただ、今回は美珠(みたま)の願いを叶えてやると決めた。それだけである。


 よし、と気合を入れて、巣に向かって身を乗り出す。

 と、掴んだ枝が大きくしなった。


「む……」


 慌てて幹にしがみつき、手元の枝と頭上の巣を見比べる。

 他に手をかけられそうな枝はない。ここまで来て諦めるというのも癪だ。


「まあ、何とかなるじゃろ」


 少しの逡巡の後。

 楽天的に頷いて、狐は次の枝に手をかけた。

 目標まではあと少しだ。

 体重をかけてぐっと身を乗り出し、巣へと手を伸ばす。


 ばきり、と枝が折れる音がした。


「あ」


 折れた枝とともに、狐は宙に放り出された。

 せめて、落ちたのが松の根元側だとすればまだどうにかなったかもしれない。

 しかし運の悪いことに、狐の眼下に広がるのは深い渓谷だった。


 落ちていく感覚が、妙にゆっくり感じられる。

 受け身を取らねば。いや、受け身を取ったところで何の意味がある。自分はこのまま谷底に叩きつけられるのだ。

 そんな諦観に、ぎゅっと目を瞑った時だった。


 ばさり、と翼の羽ばたく音がした。


「狐!」


 鋭い呼び声とともに、身体が受け止められる。

 肩口と膝裏を支えるそれは、先程掴んでいた枝よりよほど細いのに、揺るぎない安定感がある。

 恐る恐る、瞼を持ち上げる。

 見慣れた横顔が、見慣れない表情で歯を食い縛っていた。


「鴉……?」


 ぽつりと頷くと、鴉が視線だけ動かして狐を一瞥する。

 黒く大きな翼が、力強く羽ばたく。顔に当たる風が、鴉の黒髪と狐の金髪をはためかせる。

 ぐるりと旋回して速度を落としてから、鴉は緩やかに着地した。

 どうやら、木から落ちた自分を、鴉が受け止めてくれたらしい。そう気付いたのは、地面に降ろされた後だった。

 とん、と感触を確かめるように土を踏みしめ、安堵の息を吐く。

 それから、狐は恐る恐る鴉を見上げた。


「た、助かった。ありが──」

「死にたいのか、馬鹿者が!」


 感謝を告げるより早く怒号を落とされて、狐はぴゃっと身を縮めた。

 怒っている。ものすごく怒っている。

 仁王立ちで腕を組んだ鴉が、眦を吊り上げて狐を睨みつける。


「せめて獣の姿に戻れ、この考えなし!」

「おお、なるほど」


 ぽんと手を打つ。

 言われてみればその通りである。

 狐の本性たる獣の姿と人の姿では、身の軽さがまるで違う。近頃はずっと人の姿で過ごしていたから、すっかり忘れていた。


 しかし、そんな狐の態度は、鴉の目には呑気に映ったらしい。


「なるほどじゃない!」


 狐の呑気な反応にいきり立った鴉が、狐の胸ぐらをぐいと掴み上げる。

 大きな翼が威嚇するように広がって、ぶわりと羽毛が逆立った。


「す、すまなかった」


 狐より身長の高い鴉にそれをやられると、首が絞まって地味に苦しい。

 少しでも力を緩めようと、衿元を掴む鴉の手に、宥めるように手を重ねて、狐ははっとした。

 細い指先は、ひどく冷え切っていた。


 思わずまじまじと見つめた狐の視線に気付いたのだろう。

 鴉がふいと目を逸らして斜め下を向く。

 垂れた髪の影になって、表情が見えない。


「お前まで、──……」


 ぽつりと漏れた声は、掠れてひどく聞き取りにくかった。

 畳まれた翼の先が地面を擦る。

 掬い上げるように手を握れば、力の抜けた指は簡単に衿から外れた。


 怒っているのは、心配してくれたからだ。

 そう気付いて、申し訳ないような、嬉しいような、擽ったいような複雑な心地になる。


「すまなかった」


 血の気の失せた鴉の指先を握りしめて、謝罪を重ねる。

 怒られたからではなく、心からの反省を込めて。


 いや、と短く答えて、鴉が顔を上げる。

 その瞳にいつも通りの落ち着きが戻っているのを認めて、狐はこっそりと安堵の息を吐いた。


「で、探し物は見つかったのか?」

「ああ。あそこに」


 淡々とした問いかけに、頷いて樹上を指し示す。

 先程の一件で谷底に落ちたかと思ったが、無事だったらしい。


 狐の指先を辿って、鴉が上を向く。

 真っ直ぐな黒髪が流れて、髪飾りの鈴がしゃりんと澄んだ音を立てた。


「あれか。分かった。少し待て」


 言い置いた鴉が、とん、と地面を蹴って跳躍する。

 黒い翼が風を含むとともに、奇術のように少女の姿がかき消えて、代わりに黒い大きな鳥が飛翔する。

 鳥は難なく木の上に辿り着くと、主のいない巣の中から目的のものをついと引き抜き、嘴に咥えた。


「これか」

「これじゃ! 礼を言うぞ、鴉!」


 一瞬で少女の姿に戻った鴉に櫛を差し出されて、狐はぱあっと顔を輝かせた。 

 いそいそと櫛を受け取り、状態を確認する。表面が少し擦れてしまっているが、大きな傷はなく、歯に欠けもない。ほっと息をつく。

 それから我に返って、しゅんと狐は肩を落とした。


「しかし、これでは我の力で人助けをしたことにはならぬな。結局そなたに手伝わせてしまった」


 自分でやる、と言ったのに。

 項垂れる狐に、鴉が呆れたように眉を顰めた。


「私はお前に手を貸しただけだ。あの人間を助けたわけじゃない」

「我を助けたのは良いのか……」

「そういうことは、持ち込んだ面倒事を自分で片付けられるようになってから言え。まったく、次は手出ししないからな」

「……努力する」


 神妙に頷く。

 とはいえ、次も何かあれば手出ししてくれるのではないか、という予感もする。

 何だかんだで面倒見が良いのだ、彼女は。

 それに甘えて頼りきりにならないように、善処したいとは思うけれど。


 そんな狐の内心に気付いていたかいないか、鴉は諦め交じりの溜息を吐いて、邪険に手を振った。


「お前の役目はまだ終わってないだろ。さっさと届けてやれ」

「ああ!」


 そうだった。

 元気良く返事をする。

 櫛を大切に持ち、狐は社に向かって駆け出した。


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