011.第4話 姉の幽霊(3)ヤシロガラスとサトギツネ
狐視点です。
「あなたがこの子のお姉さん?」
「ああ」
沙苗の問いに、鴉は渋い顔で頷きながら、黒に近い暗赤色の瞳で素早く狐を睨んだ。
余計な設定を、と言わんばかりの忌々しげな視線に、狐は沙苗に怪しまれない程度に申し訳なさそうな顔をしてみせる。
苛立ちと諦めが半々といった様子で短く息を吐いた鴉が、狐から目を逸らして沙苗の方に向き直る。
狐は物珍しい思いで、見慣れない姿の彼女をこっそりと見上げた。
いつもより目線が高い。
旅の巫女姉妹という設定なら、幼い外見では怪しまれるだろう、との判断で、いつもより年上の姿に変化しているのだ。
今の鴉の姿は、沙苗と同じ十五歳くらいだろうか。
身長はいつもより拳二つ分ほど高く、すらりとした身体は緩やかな曲線を帯びている。
大人びた目元と唇に軽く紅を差し、いつもは肩の上で切り下げている真っ直ぐな黒髪は、腰の辺りまで長く伸びている。
黒い上衣と肩に羽織った外衣はいつも通りだが、赤い袴は脛を隠す長さで、黒い足袋に歩きやすそうな草鞋を合わせる。
手にした樫材の杖と菅笠、そして形ばかりの荷物が、旅人らしさを演出していた。
人に化けるあやかしにはいろいろな種族がいるが、人型を取る際に『なりやすい姿』は各々ひとつ決まっていることが多いらしい。
自分は変化があまり得意ではないから、基本の姿からあまり離れた形を取るのは難しい、と鴉は自嘲していたが、狐からしてみれば充分すごい。
かく言う狐も、今は髪と目の色を黒に近いものに変えている。
できないなら山を下りるな、人型で人間の前に出るな、と鴉に厳しく言われ、懸命な練習の末に何とかそれだけはできるようになったのだ。
妖狐というのは本来変化の得意な種族なのだから、練習すればもっと様々な姿に変われるはずだ、とも言われているが、目下修行中の身である。
「お願いを聞いてくれてありがとう。ええと……、あなたのことは、何と呼べば良いかしら」
「……必要ならば、鴉代、と呼んでくれ」
首を傾げた沙苗に、鴉が淡々と返す。
その返事に、狐の耳がぴくりと動いた。
(名前、あったんだ)
知らなかった。
鴉代。あしろ。社の鴉、ということだろうか。
今まで名乗っているのを聞いたことはなかったから、人間のように個体名を持つ習慣はないのかと思っていた。
しかし、人里に下り、人間のふりをして振舞うのならば、名前が必要になる場面もあるだろう。それ用の名前だろうか。
種族名でなく個としての名を持つ、というのは、どことなく特別に感じられる。
自分ならば……と考え始めたところで、沙苗が少し身を屈めて、狐に視線の高さを合わせた。
「そういえば、あなたの名前を訊き損ねていたわね。訊いてもいいかしら」
来た。
ぴょんと背筋を伸ばして、狐は平静な顔を保ちながら必死で頭を回転させた。
「うむ、そうじゃな。ならば我は、狐里、と名乗ろう」
社の鴉に、里の狐。咄嗟に決めたにしては、なかなか良いのではないだろうか。
達成感に頬を緩める狐に、鴉が微妙な表情をしている。真似したらまずかっただろうか。
そして沙苗は、困惑気味に眉を顰めている。
「『ならば』……?」
「狐里じゃ。よろしく頼む」
答え方が良くなかったらしい。
やや強引に話をまとめた狐──狐里に、沙苗はやや不審げな表情を浮かべつつも、姿勢を正して二人と順に目を合わせた。
「よろしくね。鴉代、狐里。今日は私の家に泊まって、旅の疲れを癒すと良いわ」
「気遣いは無用だ。私たちは──」
「家族にも既に話は通してあるわ。旅の方を泊めることはたまにあるから、遠慮しないで。早速、皆に紹介しましょう」
「……ご厚意、感謝する」
手回し良く話を進める沙苗に、鴉代が苦虫を噛み潰したような顔で礼を述べた。
*
「ごめんなさいね。里の外の方と話す機会は多くないものだから、皆はしゃいでしまって」
「いや……、……」
辛うじて型通りの受け答えを口にしようとしたものの、それ以上続かなかったらしい。鴉代がぐったりした様子で項垂れる。
「すまぬ。姉様、は……少しばかり、人が苦手なのじゃ」
『少しばかり』も『苦手』も正確ではないが、そういうことにしておく。
『姉様』という慣れない呼び方がむず痒い。鴉代も同様だったのだろう。筵の上に突っ伏したまま、僅かに身じろぐ。
それを横目で見つつ、先程の歓待を思い出して、狐里は苦笑した。
沙苗の家族は気の良い人たちだった。
若い娘の二人旅とは苦労することも多いだろう、今日はゆっくりしていきなさい、と二人を歓迎し、料理を振舞い、酒を注ぎ、旅の話や巫女の仕事について聞きたがった。
食事は美味しかったし、狐里としては人の子と話をするのも楽しかった。
しかし、鴉代の人間嫌いを知っている身としては、気が気でない時間だった。
終始固い面持ちでいた鴉代に代わり、できる限り狐里が代わりに受け答えるようにはしていたものの、うっかり下手なことを口走らないか気を付けるのには苦労した。
狐里と鴉代の二人を見比べて、沙苗が申し訳なさそうに眉を下げる。
「そうみたいね。すごくしっかりしているように見えたから、少し意外だわ」
「……私のことは良い」
鴉代が低く唸って、むくりと起き上がる。
長い髪が顔にかかるのを慣れない様子でかき上げて、鴉代はひたと沙苗に視線を合わせた。
「問題は幽霊だ。出るのは夜だけか?」
「ええ。葵が寝床を抜け出すのはいつも、夜明け前から朝日が昇るまでのひとときよ。私は……あの日以降、見てはいないけれど……」
沙苗が憔悴した様子で唇を噛みしめる。真っ直ぐな額髪が垂れて、俯いた目元に陰を落とした。
幽霊が出ていないのではなく、沙苗が葵を追いかけていないという話だろう。沙苗はひどく幽霊を怖がっていたようだから、仕方がないことだ。
膝の上で握り締められた拳を、慰めを込めて軽く叩く。沙苗がはっとしたように狐里の方に目を向けて、少しだけ表情を和らげた。
鴉代は特に気にする様子もなく、あっさりと頷いて話を進める。
「ならば今夜、葵を追ってみよう。怖いならば、お前は来ずとも良い」
「いいえ。私も行くわ。私の友人のことですもの。あなたたちに任せきりにしてそれでおしまい、というわけにはいかないわ」
「そうか。ならば良いが……」
言い募る沙苗の勢いに、鴉代がやや気圧され気味に了承する。
沙苗は気の強い瞳に若干の後悔を浮かべつつも、言ったことは取り消せないとばかりに唇を引き結ぶ。
鴉代からすれば、含むところのない気遣いだったのだろうが、責任感の強そうな沙苗からすれば、突き放しされたように聞こえたのかもしれない。
大丈夫だろうか。
狐里は双方から目を逸らして、小さく息を吐いた。




