第8話 ステータスオープン
「レ、レベル9……? 一気にそんなに上がったの!?」
瑞葉が目を丸くして驚きをあわらにする横で、沙織が胸を撫で下ろしながら安堵の息をつく。
「それで…。その表示のせいで、あなた突然顔が土気色になったのね。薬剤でも顔にかかったのかって心配したのよ」
未知の怪物を討伐したという物騒な単語が出ているにもかかわらず、彼女にとってはまだ映画かゲームの遠い出来事のように感じられているようだ。
俺を気遣う言葉を口にしたり、その後も気にしていたのはサバイバルに必要な食糧や水、衣類といった現実的な心配事だった。
俺に話しかけてくる言葉は、どこか他人行儀な硬さが残っているように感じる。
それはすれ違ってきた月日のせいだろう。
だが、沙織は元々愛情深い女性だ。その声の端々には、どれほど距離が開こうとも決して消えることのない深い情愛がしっかりと滲んでいる……と感じるのは俺の希望的観測だろうか?
「すまない、心配を掛けて。正直、自分でも幻聴や幻覚を見ているのか半信半疑で、外に出て状況を確かめたかったんだ」
その時、俺たちの会話には参加せずにいた優翔が、こちらをチラリと見た。
「それでテントから出るのを躊躇ってたんだ。周りを警戒するにも時間掛け過ぎてて、正直ビビってるのかと思ったよ」
周辺を警戒しながらも、その合間に繰り出される息子の遠慮のない指摘に言葉が詰まる。
鋭い眼光で周囲の草むらを睨みつける優翔だが、そこには「自分の力で生き残る」という思春期特有の根拠のない無敵感と同時に、対抗心が垣間見えた。
だが昨日までの俺への態度と、今の優翔の態度では何かが違う、そんな気がした。
うまく言い表せない違和感に、俺が口を閉ざしていると沙織のクスクスと嬉しそうな声が聞こえてきた。
「ふふ、優翔ったら。テントの中で『父さんはやっぱり頼りになるな』って独り言を言ってたのよ。私には聞こえたわよぅ」
「――っ!? か、母さんっ! な、なに言うんだよ! 言ってない! 僕はそんなこと言ってないから!」
(熊撃退スプレーを構え、ビビりながら外を窺っていたあの情けない俺の背中を、そんな風に見てくれていたのか……)
沙織の愛ある暴露に、優翔は顔を真っ赤にして跳ね上がった。
『熊撃退スプレー』の力を借りたとはいえ、圧倒的なプレッシャーを放つ正体不明の生き物を撃退したことで、俺は情けない父親から、対抗心を燃やせるライバルへと昇格したというとこだろう。
俺の中で親としての威厳を見せたい気持ちと、現実を分かってもらう為にも正直であろうとする気持ちの間で葛藤が生まれる。
異世界転移という非常事態でなければ、父親として格好つければ良いのかもしれないが。
「……まぁ、ビビったのは否定しないよ。何が起きているか分からなかったし、家族の安全が第一だからな」
「……っ、別に責めてるわけじゃないよ。父さんが慎重に周囲を見てくれたおかげで、僕たちがパニックにならずに済んだのは……本当だし」
優翔はそこまでボソッと口にすると、自分の本音が漏れたことに慌てたように
「……フン」と短く鼻を鳴らして視線を逸らしたが、その耳の先端は真っ赤になっている。
反抗期只中の優翔の胸中には、対抗心や敬意、親愛と拒絶、色々な感情が折り重なって今の微妙な距離感に繋がっているのだろう。
もう少しはっきりと、考えや感情を表に出してくれれば俺としては、しっかり話し合いができるんだが……サイレント反抗期ってやつはなんとも対応しづらいものだ。
「もう〜、お兄ちゃん! お父さんに対してちょっと言い方がキツいよ!」
そこへ、後ろで荷物をまとめていた瑞葉が腰に手を当てて割り込んできた。
「……まあ、私も『お父さんビビりすぎじゃない?』って一瞬思ったから、お兄ちゃんの言いたいことも分かるけどさ! でも、お父さんは私たちのために命がけで戦ってくれたんだから、もうちょっと優しく言いなよ!」
瑞葉自身も思春期の入り口に差し掛かり、兄の大人びた態度に同調して冷めたフリをしたい年頃だ。
だが、それ以上に父親へ突っかかる兄の態度が悪すぎることに不満を感じ、居ても立ってもいなくなられたらしい。
10代半ば特有の正義感で、プンプンと怒る表情は純粋で微笑ましい。
「そんな話はいいからぁ、表示の話をしようよ」
「優翔との話は終わりだ」と言わんばかりに俺の袖を引っ張って先をせがむ娘に、心が少し癒される。
「明らかに異世界な光景を見て、現実として受け入れざるを得ないと思っているんだけどね。今は視界の左端に【ステータスを確認して下さい】って表示されているよ」
「……ということは父さん」
優翔がぽつりと漏らし、俺と視線を交わす。その表情には「あの異世界ファンタジーの決め台詞を言うんだね」という憐憫が色濃く滲んでいた。
「あぁ、……まさか俺がそれを言う羽目になるとはな。はぁ~」
父と息子がためらう中、そんな微妙な雰囲気など歯牙にもかけないツワモノ、瑞葉がさらりと口にした。
「きたね。『ステータスオープン』案件」
そうなのだ。それが問題だ。俺が中学生ならば、……よしんば、妻子を持たない独身貴族(死語)なら問題ない。
極端な話、自分一人で転移してきたなら頭の一つも掻いて、こそっと呟けば済む話だ。
だがここには3人のギャラリーがいる。しかも、それが全員家族ときている。恥ずかしくないわけがない。
俺が頭を抱えて逡巡していると、沙織が何かを察したように声をかけてきた。
「あなた、よく分からないけど私たちはいないほうがいいのかしら?」
瑞葉の異常なテンションや俺や優翔の躊躇う素振りに、何かしらの気まずさを感じたのか、理解できずとも配慮を見せてくる沙織。こういうことをさらりと出来る彼女は本当に素晴らしい。
だが、……これからのことを考えれば。
「いや大丈夫だ、ありがとう。少し……いや、かなり恥ずかしくはあるが、これは家族皆の前で行うべきだ」
本当にステータス画面が開くかどうかわからない。だが本当にその画面が開いて自分の特殊な能力を認識すれば、家族の中で俺だけが突出した力を得ることになる。
ステータス画面が他人に見えるかどうかがわからないが、ここを隠してしまっては、今後の信頼関係に悪影響を出しかねない。
家族の信頼関係というのは他のどの関係とも比べようがないほど大切だ。
その上、見知らぬ土地でサバイバルが始まるとなれば、些細な秘め事が命取りになる場合もある。
ステータスオープンを皆の前で口にするのは、俺の家族への信頼の宣言だ。
仕事にかまけて家族と向き合ってこなかった俺が、今さら信頼を語るのは虫が良すぎるかもしれない。
誰一人、言葉にしてはいないが、家族それぞれの中に抱えた寂しさやすれ違いの傷痕はあるはずだ。
だが今、この見知らぬ異世界で誰も欠けることなく生き残るためには、誰もが「お互いを守り抜く」という気持ちとの基準となる目標や知識が必要だ。
この気持ちが伝わるかどうかは、分からないし、自己満足かも知れないが、それでも俺は……。
「ありがとう。あなた」
その言葉に顔を上げると沙織が穏やかな笑みを浮かべていた。何年振りだろうか、彼女がこんなにも真っ直ぐな眼差しで俺を見てくれたのは。
全てを解って貰えたなんて思わないが、少なくとも彼女は何かを感じ取ってくれたようだ。
これまで背を向けがちだった俺たちの関係に、小さな、けれど確かな結び直しが生まれようとしている。やはり、俺には過ぎた嫁さんだ。
その横で息子は、少し居心地が悪そうに視線を外して辺りを警戒している……時折、チラチラとこちらを窺っている視線には、転移前のような反感はなさそうだ。
(相変わらず周囲の気配への警戒も怠っていないようで助かるな)
瑞葉は恐怖を押し隠し、期待を込めた視線をこちらへ向けている。
「……」
――俺は覚悟を決め、家族の視線を真正面から受け止めた。
「それじゃあ、言うぞ。――ステータス、オープン」




