第61話 閑話 崩壊の足音③
最上田の再雇用を画策したものの、すげなく断られた俺は、収まらない苛立ちを電話口にぶつけ続けていた。
「おい最上田!職人の目処がつくまでの間だけでいい!給料は今の倍払ってやる!社長の俺がここまで折れてやってるんだぞ!?」
破格の条件を提示してやったというのに、あの若造は冷めた声で「お断りします」と一蹴しやがった。
目処がついたら再び首を切るつもりであることを見透かされたのだろう。……チッ、勘だけは無駄に冴える穀潰しめ。
(どうして……どうして俺があんな高卒の若造に頭を下げなきゃいけないんだ!?)
その後、何度リダイヤルしても、最上田が電話に出ることは二度となかった。
「社長からの電話に出ないとは、どこまで生意気でバカな若造だ!」
受話器をガチャンと叩きつけ、荒い息を吐く俺の背後で、工場裏の喫煙所にいた社員たちのひそひそ話が聞こえてきた。
「……なぁ。縁の切れた社長の電話なんて鬱陶しいだろうに、なんで最上田は着信拒否にしないんすかね?」
「会社の電話や社長の携帯を着信拒否にしたら、俺たちの電話番号を使われるかもしれないだろ。そうなったら俺たちの電話も着信拒否にせざるを得なくなる。……あいつはな、俺たちとの連絡を絶たないために、あえて社長の着信を受け続けてくれてるんだよ」
「なるほど……あいつ、そこまで考えて……」
「社長もその辺の機微を感じ取れる人間だったら、こんなことにはならなかったのにな。……まあ、先代なら一発で気づいただろうが、今更言っても詮無きことか」
フン、くだらん。根暗どもが傷の舐め合いをしてやがる。
◇◆
最上田と連絡が取れないまま、あっという間に一週間が過ぎた。
「よし! 検品はいい、このまま納品しろ!」
「何を言っているんですか社長!強度検査も耐久検証もまだなのに、出荷できるわけがないでしょう!」
中堅作業員が油まみれの作業服の袖を捲り上げ、血走った目で突っかかってくる。横にいた若手社員も青ざめた顔で頷いた。
「そうです!見た目こそなんとか形になりましたけど、製作した俺自身、これで問題がないなんてとても思えません!」
今回、社員の中で一番マシな溶接を仕上げた若手を見る。最上田の次に若い社員だったはずだ。
「うるさい! 再三の納期延長で取引先からは矢の催促なんだ!これ以上待たせられるか!」
(工場の中に籠もりっきりの頭の硬い根暗の連中は何も分かっちゃいない。納期遅延のペナルティがどれほど恐ろしいか!)
「……わかりました。なら、せめて一つだけお願いです。納品時、製品を使用する前に『試験運転をしてほしい』と先方に伝えてください。お願いします!」
草臥れた作業着の男が、深々と頭を下げて懇願してくる。その泥臭い執念に一瞬気圧され、俺は渋々頷いた。
「……わかった。話しておこう」
(フン、わざわざ自分から『欠陥品かもしれない』なんて格好悪いこと言えるか。本当にうちの社員どもは、死んだ親父に似てバカ正直で余計なプライドが高い職人気質ばかりだ)
翌日、不安げな表情で製品を見送る社員たちを背に、トラックは製品を載せて出荷されていった。
「いつまでぼーっと突っ立っている! さっさと次の仕事にかかれ!」
(まったく、余計な追急や人件費で出費がかさんでしまった。後半の利益でなんとか取り戻さなければ……)
◇◆
製品が出荷されて数日後の午後。
事務所の固定電話が、甲高い音で鳴り響いた。青ざめた表情の事務の女性から受話器を受け取る。
「はい、お電話代わりました――」
『社長!! どうなってるんですか、一体!!』
うちの担当になって十数年。いつも温厚だった営業担当者の、耳を破らんばかりの怒号に俺は思わず受話器を耳から離した。
「ど、どうしました……!?」
『どうしたもこうしたもありませんよ! お宅が先日納品したあの製品――あれは何ですか!?』
「えっ!?」
『寸法と見た目は合格ラインだったから納品しましたが、稼働させた途端に強度不足で破断するものが多発しています! 取引先のラインが止まって大損害ですよ! 客先はカンカンで、ウチが取引停止になりかねない!』
「も、申し訳ない! すぐに代品の手配を――」
冷や汗が全身から吹き出し、受話器に向かってペコペコと平身低頭する俺に、冷酷な声が追撃する。
『もう結構です』
「え……?」
『溶接の盛り上がりを見てすぐにわかりましたよ。……最上田さん、再雇用できなかったんですね? 先代の社長さんが亡くなり、ベテラン作業員もいない。……この仕事は別の業者に頼みます。後ほど正式な書類を送りますが、御社との取引は今期限りとさせていただきます』
「そんな殺生な! 今回の件は申し訳ありませんでしたが、先代からの長年のお付き合いじゃないですか!」
『……長いお付き合いだからこそ、これで収めているんですよ!! 下手をしたら数千万円規模の損害賠償請求案件です! うちの社長が、先代の顔に免じて「今回だけは見逃す」と言ってくれたから、こうして電話しているんですよ!』
「ぐっ……」
ガチャリと切れたツートン音を聞きながら、俺は受話器を握りしめたままガタガタと震えた。
背中を冷や汗が力なく伝い落ちる。目の前が真っ暗になり、膝の力が抜け落ちそうだった。
この一件が引き金となり、まるで堰を切ったように主要取引先からの受注量が激減した。
「……やはり、試験運転のお願いはしなかったんですね」
工場に降りると、冷めきった中堅作業員の言葉と、周りの社員たちの無感情な視線が突き刺さった。俺は怒鳴り散らす気力すらなく、吐き捨てるように返した。
「……うるさい。経営のことは俺が判断する」
(くそっ……この会社はもう駄目だ。船が沈む前に降りなきゃ……!)
◇◆
焦った俺は、以前から画策していた会社の売却を成立させようと、信用金庫の担当者を呼び寄せて強引に話を進めようとした。
だが、買収を検討していた企業からのデュデリジェンス(資産・現場調査)の結果は、あまりにも無情だった。
『熟練職人の相次ぐ退職、最大の強みであった特殊樹脂溶接技術の喪失、さらには製品不良による将来的な損害賠償リスク……。残念ですが、経営基盤が完全に崩壊しています。買収価値は「ゼロ」……査定拒否とさせていただきます』
(くそっ……! くそくそくそっ!!)
追い打ちをかけるように、翌朝、中堅作業員を筆頭に社員全員が一斉に「退職届」を俺のデスクに叩きつけた。ベテラン作業員が立ち上げた新会社へ移籍するためだ。
「……いくら何でも、退職の理由を『何でだ』とは聞きませんよね?」
冷淡に言い放つ中堅作業員の言葉に、俺は返す言葉もなかった。
◇◆
一ヶ月後。
誰もいなくなった静まり返るガレージで、会社名義でリースしていた二台の高級車は、トラックに引き上げられていった。
個人名義で購入した高級SUVもとっくに売り払い、誇らしく見上げていた白亜の豪邸も、ローンの返済目処が立たないため売りに出すことが決まった。
かつて栄華の象徴だと思っていた豪邸の前にポツンと立ち、俺は呆然と天を見上げるしかなかった。
すべてを失った。プライドも、財産も、積み重ねてきた栄華も、すべては泡のように消え去った。
残されたのは、かつて親父が命懸けで守り抜いてきた、古びた機械と油臭い工場だけだった――。




