第60話 閑話 崩壊の足音②
最上田の若造から休日出勤を断られた翌日から、俺はさっそく取引先からの樹脂溶接の依頼を断り始めた。
「現在、ラインが混み合っておりまして……」
「工賃が割に合わないものでして……」
理由は適当に繕った。
取引先の営業担当からは「そこを何とか継続してほしい」「代替の会社が見つかるまでだけでも」と何度も泣きつかれたが、金属加工に比べて単価の低い樹脂溶接など、俺にとっては全く旨味のない雑用だった。何より、死んだ親父に『若手のエース』などと可愛がられていたあの気取った若造に、これ以上調子に乗られるのが我慢ならなかった。
俺は取引先の要求を冷酷に切って捨てた。
一ヶ月もすると、樹脂溶接の見積もり依頼も加工の注文も、パタリと来なくなった。
(ハッ、見ろ。無駄な仕事を整理したおかげでスッキリしたじゃないか)
目障りな人間の目障りな仕事が無くなり俺の気分は爽快だった。
だが、決算の数字が出揃った時、俺の爽快な気分は吹き飛んだ。
樹脂加工を断った分だけ単純に売り上げが減ったのではない。現場で寸法不良や再製作→手戻りが頻発した経費と、納期遅延を挽回するために社員にやらせた休日出勤の手当てが、膨大な人件費となって経営を猛烈に圧迫していたのだ。
目に見えた無駄を省いた結果 、生まれた利益を、今は目に見えない何かが食いつぶしている。
工場内の空気は日に日に殺伐としていき、社員どもは俺と目を合わせようともしない。俺は会社の存続のため、朝礼で厳かに宣言した。
「業績悪化につき、今年の夏の賞与の支給予定はない」
数日後、最上田が白封筒に入った「退職願」を差し出してきた。
若造も自分がこの会社に必要ないということをようやく理解したようだ。
丁寧な文字の書かれた封筒を、俺は汚いものでも触るように人差し指と親指の先で摘み上げ、「ふん」と鼻で笑ってやった。
「離職票やらの書類は事務から郵送させる。さっさと片付けろ」
引き継ぎも後進の指導も不要、最短での退職手続きを進めさせた。
「最上田君は樹脂以外の現場の段取りも手伝ってくれていました。せめて引き継ぎの目処を立ててから……」
と中堅社員が諫言してきたが、俺は一蹴した。
「樹脂の溶接しかやってこなかった穀潰しだぞ? 引き継ぐことなど何一つない! こんな奴に払う無駄な給料なんて1円もないんだよ!」
最上田は出勤最終日までの予定を几帳面に書き込んだ予定表を差し出してきたが、俺は一瞥もせず、そいつを目の前でゴミ箱へと投げ捨ててやった。
◇◆
「最上田君……義春、本当にお疲れ様……」
「寂しくなるなぁ。お前の綺麗な溶接、助かってたよ」
工場裏の資材置き場の陰で、同僚やベテランたちが次々と最上田義春の周りに集まり、労いの言葉をかけていた。
最近でこそ横暴な現社長のせいで社内は殺伐としていたが、元々は先代社長の温かい人柄に惹かれて集まった職人たちだ。皆、根は心優しく、お互いを思いやる仲間意識が深かった。
「……長い間、本当にお世話になりました」
作業服を綺麗に畳んだ紙袋を抱え、最上田が深く深々と頭を下げる。
その肩が、微かに震えていた。
「すみません……俺が辞めることで、これから皆さんにたくさんのご迷惑をおかけしてしまうことになって……」
自分を責め、小さく体を丸める義春の肩を、現場の中心的な存在となっていた中堅作業員がポンと優しく叩いた。
「何を謝ってるんだよ、義春。いいんだ、お前は何も悪くない。……実はな」
中堅社員は周囲を見回し、声を潜めてニヤリと笑った。
「お前が去ったあと、俺たちも腹は決まってるんだ。ベテランの『おやっさん』が立ち上げる新しい加工会社に、来月あたりから順次、俺たちも合流することになってる。この泥船と心中するバカがどこにいるかって話だ」
「え……っ! みなさん、本当ですか……!?」
「ああ。お前が辞めるって言うのを引き止めねえどころか、あんなふざけた態度を取る社長の会社に未練はねえ。だからお前は安心して、お祖母さんのところへ行ってやれ。お祖母さんのことが済んで……働くところが無かったら電話してこい。おやっさんなら二つ返事で雇ってくれるだろう。まぁ、お前の腕なら、どこへ行ったって引っ張りだこだろうがな。じゃあな、義春!」
「……っ、ありがとうございます……っ!」
温かい仲間の笑顔に囲まれ、義春の目からぽろぽろと綺麗な涙がこぼれ落ちた。
新社長がいれば「サボるな」と怒号が飛んだであろうこの時間、当の社長は今日も今日とて「ゴルフも重要な経営だ」などと言って会社を不在にしていた。
社員たちにとっては幸運で、新社長にとっては――破滅への決定打となる不運であった。
◇◆
あの穀潰しの若造が会社を去ってから、三週間ほどが過ぎた頃だった。
俺はある異変に気がついた。
(……おかしい。毎週のように定期リピートされていた主力金属加工製品の注文が、パタリと止まっている……?)
一種類や二種類ではない。十種類以上の主力加工品の発注が途絶えていた。それも一社からではなく、取引のある主要な数社から一斉に、だ。
焦った俺は、確認のために主要な取引先数社へ電話をかけた。だが、担当者の口から返ってきたのは、どれも耳を疑うような言葉だった。
『ああ、社長さん……最上田さんが退職されて、御社で樹脂の溶接加工をやってくれなくなったでしょう?』
『それがネックでしてね……うちの客先がゴネ始めまして。「金属加工と特殊樹脂の溶接、両方を一括で請け負える会社」を客先が独自で探し出したらしく、今後の金属加工の仕事も全部、そちらの会社に回ることになっちゃったんですよ』
「は、はあ!? 何の冗談ですか! 樹脂なんてうちの金属加工が終わった後、別の業者をそちらで探せば済む話でしょう!」
俺が声を荒らげて抗議すると、相手の営業担当は呆れたように溜め息をついた。
『……社長さん、ご存知ないんですか? あのレベルの特殊樹脂溶接をやれる業者さんなんて、この地域では他にないんですよ。あの精密な樹脂加工ができる御社だからこそ、うちも金属加工とセットで一括発注していたんです』
「なっ……!?」
頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。
樹脂加工はただの安い雑用ではなかった。大手取引先の受注を他社に渡さないための、最大の『参入障壁』だったのだ!
「わ、わかりました! 樹脂加工はすぐに再開します! ですから注文をうちに回してください!」
『本当ですか? 客先が見つけてきた会社も御社ほど技術がなくて苦労されているそうなので、加工を再開できるならもう一度話してみますよ』
「ありがとうございます! すぐに再開させます!」
電話を切った俺は、全身から吹き出る冷や汗を拭い、現場の休憩時間など無視して非常ベルを鳴らすように社員全員を会議室へ呼び集めた。
「緊急事態だ! 会社の業績安定のため、樹脂溶接加工を再度請け負うことにした! 樹脂溶接の経験がある者はすぐに手を挙げろ!」
だが――会議室を埋めた男たちは、誰一人として手を挙げなかった。
死んだように静まり返る室内。俺は苛立ちを隠さずに怒鳴り散らした。
「おい! ふざけるな! あの若造以外にも、樹脂をやれる奴はいたはずだろ!」
腕を組んだ中堅作業員が、冷ややかな視線を俺に向け、感情の籠もらない声で答えた。
「……あの特殊な塩ビ溶接は、義春が――最上田君が一人でやってくれていたんですよ。以前は先代とベテラン作業員がやっていましたが、おやっさんが退職してからは、最上田君が一人で全量をこなしていました」
「な……なら、お前たちが急いで練習して溶接ができるようになれ! それが無理なら、全員で伝手を当たって溶接ができる業者を探してこい!」
俺の乱暴な命令に、中堅社員は静かに首を横に振った。
「通常の簡易な溶接なら、知り合いの工場に頼めば何とか形にはなると思います。……ですが、最上田君がやっていた特殊品の溶接は違います。長年、丁寧な溶接を叩き込まれた人間が挑戦して、なおかつズバ抜けた才能のある奴だけができる職人技ですよ。少なくとも、物になるまでに最低十年はかかりますね」
「何を悠長なことを言っているんだ! そんなことをしている間に仕事が全部なくなるんだぞ!?あいつは、最上田は高卒で入社してから数年で普通に一人で作業をこなしていただろ!」
「だから、先代社長はあいつのことを『うちの若手のエースだ』って言っていたんですよ。多分、俺が何十年修行したって、あのレベルにはなれないと思います。たった数年であの域に達するセンスを持った人間は、この工場にとって何よりの宝だったんです」
「御託はいい! これは社長命令だ! 今すぐ溶接をやれ!」
俺が机をバチーンと叩いて怒鳴り散らすと、それを皮切りに周囲の社員たちから一斉に怒号が上がった。
「何を言ってんだ! 横暴にも程があるぞ!」
「先代だって厳しいことは言ったが、こんな無茶苦茶な言い草はしなかったぞ!」
今までにない反発の大きさに、俺は少し驚いたが、ここで折れるわけにはいかない。
「うるさい! お前たちは黙って俺の言うことを聞いていればいいんだよ! 俺が社長だぞ!」
「……わかりました。作業はしましょう」
怒り狂う俺に対し、中堅社員は冷めきった瞳で言い放った。
「ですが、出来上がった商品の品質は一切保証できませんよ。……さあ、みんな作業に戻るぞ」
「あ、おい! 待て! 俺の許可なく動くな!」
俺の制止を完全に無視し、社員たちはゾロゾロと会議室から出て行ってしまった。
ガラんとした広い会議室。
書類や使い古されたパイプ椅子が散らばる長机の前で、俺はぽつんと一人立ち尽くしていた。
「……どいつもこいつも……親父は、もう社長じゃないんだ……」
カタカタと震える自分の手元を見つめながら、俺は誰もいない空間に向かって、引きつった声で呟いた。
「俺が……俺が社長なんだぞ……っ!」
夕闇が迫る町工場に、虚しく響く社長の独り言。
自ら招いた結果が、静かに、そして確実に、この男の全てを呑み込もうとしていた。




