第6話 行動方針とレベルアップ
現実逃避の思考を振り払い、俺は近づいてきた家族に向き直った。
大して距離は離れていないが、なんといっても異世界だ、単独行動は慎むべきだ。
沙織は気が強そうな雰囲気と話し方だが、性根が優しく慎重派だ。合流と皆での行動は彼女の判断だろう。
ただ、沙織の表情を見る限り、「異世界」という環境の危険度については、まだ今ひとつピンと来ていないようだ。「まるで海外の秘境に迷い込んだみたいね。毒蛇や大きな野生動物に気をつけなきゃ」といった、どこか現実の延長線上にあるような認識のギャップが見え隠れしている。
「父さん、何を見ていたの?」
優翔が声を掛けてくる。さっきは「そうみたいだね。かったるい」なんて冷めた言葉を発してはいたが、優翔の横顔は見たこともないほど白く強張っていた。
いつもならポケットの底へ無造作に手を突っ込んでいるはずの両手が、今はポケットの縁を固く握り締め、生地がちぎれそうなほど力が込められている。
ネット小説の知識がある優翔にとって、ここは『危険な魔獣が蠢く異世界』そのものなのだろう。
気のない返事を装いつつも、視線は警戒心で鋭く研ぎ澄まされ、周囲のわずかな気配の動きをも探ろうとしていた。
反抗期で扱い辛くはあるが、頼りになる息子だ。
「あぁ、周りに危険がないかの確認をな。車をテントの後ろ側に停めたのは正解だったかもな。そのお陰で、さっきのヤツはテントの正面から来てくれた。それとあの山だ。ここの気候が日本の真夏と同じぐらいだとすれば、あの位置から積雪があるって何メートル級の山かと思ってな」
「あぁ、万年雪か。日本だと標高1500メートル位でも雪が残ることがあるし、エベレストとかだと雪線は5000メートルを超えるんだよね」
優翔の博識ぶりに俺は驚いた。
「凄い博識だな、驚いたよ」
「何言ってるんだよ。昔、父さんが言ってたことだろう」
「えっ?」
優翔の発言に記憶を呼び覚ましてみると、昔キャンプをした時にそんな話をしたような気が……よく覚えていたな。そんなことを考えていると、珍しく少しムキになった言葉を優翔が掛けてきた。
「そんなことより、これからどうするんだよ!」
「あぁ、今後のことだな。たとえばこれが普通の山での遭難事故で救助を待つとかなら、ここに留まるか、見通しの良い山頂を目指して山を登るのも選択肢としてはアリなんだが……」
「えぇ~私、登山は嫌だよ。マジ死ぬし」
強がってはいるものの、瑞葉の手は沙織の服の裾をギュッと掴んだままだ。声もどこか震えている。見知らぬ世界への恐怖で押しつぶされそうなのを、いつもの軽いノリで必死に誤魔化そうとしているのが伝わってきて、親として胸が痛む。
だが俺と優翔の会話に瑞葉が参加してくる。こんな風にごく普通に会話ができるのは何年振りだろうか。
状況は分かりつつも密かに感動していると、沙織が少しあきれ気味でコチラを見ている。俺の心情は妻には筒抜けらしい。
「あなた。感動は後にして、今後の予定を立てましょう」
「「?」」
「……あぁそうだな。結論から言うと、俺としても山を登る選択肢はナシだな」
「なんでだよ? 高いところに登った方が全体が見渡せるし、位置の把握はし易いだろ?」
優翔が警戒を緩めない鋭い眼差しで周辺を確認しつつ質問してくる。
その指摘は正しい。遭難したならば捜索範囲が広くなる山の裾野ではなく、上を目指すのが鉄則だ。
だが……。
「理由はいくつかあるんだが。まず第一に、ここは異世界だ。救助は期待できないし、山に登る人間がいるとも考えづらい。第二に、あの山はあまりに急峻すぎる。素人の俺たちが登るのは滑落の危険が大きすぎる。そして第三に、あの山は富士山のような独立峰だから周囲に遮る山並みがない。登りきらなくても、裾野のこの高台からで十分に周囲の状況は見通せるからだ」
「遠くまでって……何か見えたの?」
瑞葉が、少し安心を求めるように俺の近くへ身を乗り出す。
「ああ。かなりの距離を見渡しても集落らしきものは見当たらないが、さっきスマホのカメラを最大望遠にして覗いてみたら、この山から流れ出ている川は、はるか遠くまで続いているようなんだ。川沿いに林や森らしきものも散見される。水と緑があるなら、徒歩で数日圏内の場所に村落が存在する可能性もあるはずだ。だから、水の確保が容易なあの川を目印に進むのが一番良いと思う」
(まぁ、人類が存在するのが大前提だけどな。地平線を見る限り、この世界も球体で存在しているようだ。大きさが地球と同じとして、標高数百メートルのこの高台から見下ろして視界に収まる地平線はおよそ60〜70kmといったところか。スマホの望遠性能で小さな集落や生活の煙を識別できるのはせいぜい10km強が限度だが……川沿いを歩けば何日かで村に突き当たる可能性も無くはないが……)
「ラノベで定番の中世ヨーロッパ風の城か大聖堂でもあれば、もう少し早く視認できるんだがな。何にせよ自分たちの位置を見失うことがない 川沿いがベターな選択だと俺は思う」
俺の提案に、優翔がすぐに眉をひそめた。
「……遭難した時に、川沿いや沢を歩くのは危険だから避けるべきだって言わなかったっけ」
「……!」
思わぬ息子の指摘に、俺は感心して目を見張った。
「すごいな優翔、よくそんなこと知ってるな」
「だからぁ……昔、父さんが話してくれたんだろ!」
少し顔を背けながら、照れくささと緊張を隠すように軽くキレた様子で吐き捨てる優翔。
(本当に難しい歳頃だなぁ)
と思いながらも、昔の俺の話をちゃんと覚えていてくれたことに、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
「勿論、下山するまでは沢や川からは距離を取るよ。滑落や急な鉄砲水も怖いし、水を飲みに来る危険な獣や魔物と鉢合わせするのも避けないとな」
「……ふん。ならいいけど」
優翔も不承不承ながら納得し、沙織も
「そうね、水と人里を目指すのが一番現実的ね」と頷いた。
これで全員の心が固まり、下山の方針が決定した。
「それじゃあ早速テントの中の荷物の整理を――」
沙織の指示のもと、作業に取りかかろうと動き始めた皆を俺は呼び止めた。
「あ、移動を始める前に、皆に報告と相談がある」
真剣な俺の顔色を見て、家族全員が「何事か」と不安げに集まってくる。
それを見計らって、俺は改まった声で切り出した。
「……父さん、レベルがあがったらしい」
「「「えっ!」」」




