第5話 状況確認
子供たちの説明が一通り終わると、沙織は気持ちを落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。その息が微かに震えているのは、決して気のせいではないだろう。
「今の状況が『異世界転移』らしいのは分かったわよ。それなら尚のこと、これからどうするかを考えないとね」
(説明を受けたとはいえ納得するのが早過ぎないか? ……パニックになりそうなのを必死で押し殺して受け入れようとしている様子でもない。泣き叫ぶでもなく、整然と現実を受け入れようとする。肝が据わっているというか、非常時における異常な適応力の高さというべきか……。それだけでも大したものだ)
俺の感想が聞こえたようなタイミングで沙織がこちらを見た。
「なによ?」
「いや……異世界転移なんて荒唐無稽な話をよく受け入れられるなと思ってな」
「私だってこんな話、信じたくもないし、受け入れたくもないわよ。本当なら声を上げて泣き叫びたいくらいよ。でも……さすがにあれを見ちゃったら信じるしかないわよ」
沙織の視線の先には爛々と輝く二つの太陽が浮かんでいる。大きさも輝き方も若干異なるが空に浮かび、圧倒的な存在感を放つそれは、俺のボキャブラリーでは太陽としか表現が出来なかった。
――元の世界には二度と戻れないのではないか。そんな冷たい絶望感が、じわりと胸に押し寄せてくるが、俺はあえてその感情を無視することにした。
「あぁ、あの太陽か」
空を仰ぎ見る。視線を感じて振り返ると、沙織がジッとこちらを見ていた。
長年連れ添った妻ではあるが、どこか探るような目で見つめ続けられるのはどうにも落ち着かない。
「どうかしたのか?」
「『異世界転移』だっけ? その割には落ち着いているのね、あなた。そんな知識どこで手に入れたの?」
(落ち着いてなんていないさ……そう見えているなら、ただの虚勢だよ)
口の中でそう呟きかけたが、何とか言葉を飲み込んだ。父親であり、夫である俺が弱音を吐けば、皆が押し込めている感情が一瞬で吹き荒れるだろう。
それだけは 何としても 防がなければならない。
確かに妻の疑問はもっともだ。少し照れくさいが、ここはキチンと説明することにしよう。
「俺の知識なんて、子供の頃に遊んだゲームと、最近スマホで読んでるネット小説の知識だけだよ」
「ネット小説? そういえば最近あなた、昔みたいに本を読まなくなったと思ったら……スマホで電子書籍を読んでいたの? 音楽と読書が趣味な昭和文系のあなたがねぇ」
「本やCDを買いに行く時間がないし、節約にもなるからいいだろう。……それにしても昭和文系かぁ、酷い言われようだな」
少し落ち込む俺に、慌てたように沙織が補足をする。
「な、何言ってるの。結婚前に自分で『俺は昭和文系だから』って言ったんじゃないの」
「うん? そうだっけ?」
「そうよ。だからゴルフや草野球にたまに駆り出されるだけだから『休日ほとんど家にいる』って話したじゃない」
「そんな昔の話よく覚えてるな」
「当たり前じゃない。それで結婚するって決めたんだから」
結婚してからは、残業、休日出勤三昧だからな。転職してからは多少拘束時間は減ったが収入も減って。趣味で使うお金もなくなった。
結果としてはゴルフや野球にも出掛けなくなったが、沙織としてはどう考えているんだろう。
「そ、そうか……、それは悪いことをしたな……」
「……」
束の間の雑談で現実から目を背けていたが、ふっと会話が途切れると、途端に異世界の不気味な静寂が押し寄せてくる。気まずい雰囲気が漂う中、瑞葉が声を掛けてきた。
「お父さん、お母さん!」
「なぁに? 瑞葉」
沙織が子供たちに近付く。すると瑞葉は沙織の服の裾をギュッと掴んだ。そして怯えた瞳で周囲を気にしていた。異世界の不気味な植物や見たこともない空の景色に、本能的な恐れを抱いているのがよくわかる。
(いかん、いかん。泣き言を言っている場合じゃない。ここが異世界だとすれば、どんな危険が潜んでいるかなんて分かったもんじゃない。俺がしっかりしないと)
そう気合を入れて、辺りに危険がないか注意を払う。
紫色の大樹や色とりどりの 木々がはしげる森とは逆方向に、そびえる大山。
俺たちが転移したのは、その山の中腹の平原――高原のようだ。山頂は厚い雲に覆われて確認出来ないが、そのかなり手前から山肌が白くなっている。おそらく積雪しているのだろう。
こちらに転移した時刻は分からないが、正体不明の生物に遭遇した時には、少なくともこの世界にいたはずだ。そうなると明け方の気温でも20度前後はあったはずだ。日本の高原で考えれば真夏の気候ぐらいだろうか。
朝靄の中、冷静にあたりを見渡す。すると俺たちが寝ていたテントを中心に半径10メートルぐらいまでの地面と、その外側では土の色が違うことに気が付いた。
おそらく俺たち家族だけというよりは、半径10メートルほどの大地ごと、異世界に転移してきたのだろう。
円形状にキャンプ場の設備も点在している。その中には炉と洗い場、そして一際存在感を放っている黒のワンボックスカーも含まれている。
(レンタカーの延滞料って一日幾らなんだろうか。そういえばキャンプギアもレンタルだったな……って、いかんいかん。どうしても現実逃避で、くだらないことを考えてしまう)
次にスマホを取り出し画面を見る。当然のように『圏外』の二文字が画面の端に表示されている。二度と会うことができないかも知れない友人たちの顔が浮かび、胃がキリキリと痛む。
胃痛と恐怖を押し殺しながらカメラの最大望遠機能を使って、山とは逆方向の平原を慎重に拡大しながら眺めてみる。
「あなた、何か見えたの?」
子供たちを引き連れ(瑞葉は手を握って 物理的に引き連れている)、沙織がこちらへ歩み寄ってきた。
不安を抱えた三人の視線が俺に注がれる。異世界という未知の荒野で、いよいよ俺たち家族はこれからの生き残りをかけた選択を迫られていた。




