第4話 討伐通知と見知らぬ景色
こんな真夜中に何の通知だ?
――まさか、自治体からの注意喚起か?
それにしては、緊迫感のない音だな。
いや、まてよ。スマホは圏外なんじゃないのか?
「……なんだ今の音は?瑞葉のスマホ、電波届いたのか?」
俺が何となく尋ねると、瑞葉は怪訝な顔をしながらも膝の上に置いたスマホの画面をタップして、少し呆れ顔で首を横に振った。
「ううん、私のスマホはずっと圏外のままだよ? 電源入れ直してみたけどダメ。……っていうかお父さん、私はいつもマナーモードにしてるから、そもそも通知音なんて鳴らないよ」
「あぁ、そうか……。それなら優翔のやつか?」
俺が視線を向けると、優翔も首を傾げながらもポケットから自分の端末を取り出し、通知センターをサッとフリックして確認する。すっかり普段の冷めた様子を取り戻した手つきだ。
「僕のも鳴ってないよ。ほら、画面にも何にも表示されてないし。第一、俺もマナーモードにしてあるよ」
「え……? 沙織、じゃあ君の電話か?」
沙織も首をかしげながら自分のバッグを指差した。
「いいえ。私は今回のキャンプ、仕事の電話で邪魔されたくなかったから、最初から電源を切ってバッグの奥に入れてあるわよ。……そもそも、私には通知音なんて聞こえなかったけど?」
「えっ?……聞こえなかった……? 優翔、瑞葉はどうだ?」
「僕も聞こえなかったよ。聞き逃してたのかとも思ったけど、そうじゃ無さそうだね。寝ぼけて幻聴でも聞こえたんじゃないの?」
「うん。私も聞こえなかったよ。急に着信音とか言い出すからびっくりしたじゃん」
頭がすっかり回り始めた家族たちから冷静なツッコミが入る。
全員が「ただの父親の聞き間違い」として処理しようとしていたが、俺だけは釈然としなかった。
(聞こえなかった……? 家族全員に……?俺にはかなり明確に聞こえたんだが。 じゃあ、今の音は一体……)
本当に空耳かと考え始めた頃、視界端の違和感に気付いた。
何だ?――わずかに注意をそちらへ向けた途端、俺は大きく動揺した。
俺の視界の左端に、点滅する『New!』の文字が浮かび上がっていたからだ。
テントの生地の内側に文字が書かれているわけでも、文字の書かれたパネルが吊るされてるわけでもない。
視界の中だけにその文字は浮かんでいるのだ。試しに視線を左右に振ってみるが文字の位置は変わらない。
まさにポップアップ そのものだ。スマホの画面に出ていればの話だが。
(なんなんだ。幻聴の次は幻覚でも見えているのか?脳梗塞でも起こしたのか?)
幻覚だとしても、見えているものは仕方がない。何が起こっているのかと好奇心に負け、その文字に意識を向ける。その途端、視界いっぱいに人工的なウィンドウが展開される。
【グレートボアを討伐しました】
【Lvが2にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが3にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが4にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが5にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが6にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが7にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが8にあがりました。ステータスを確認してください】
【Lvが9にあがりました。ステータスを確認してください】
漆黒のフレームと白抜きの文字。現実の景色を四角く削り取ったようなその領域に表示されるそれは、まるで往年の王道RPGの表示を思い出させるものだった。
ただ一つ違うのは、王道のRPGの画面では視界を塞いでいた漆黒のフレームが、俺にはなぜかその先が透けるように見えるということだけだ。
(なんだ、これは! まるっきりRPGの画面じゃないか。一体どういうことだ……? あの熊撃退スプレーはカプサイシンが主原料で、痛みで追い払うだけのものだ。殺傷能力なんてないし、そもそもあいつは逃げたはずじゃ――)
俺の動揺をよそに、子供たちは落ち着きを取り戻しつつあり、何やら兄妹で話をしている。
(やはり熊じゃなかったのか?それにしても日本にグレートボアが生息しているなんて聞いたことがない。……いや、俺の知っているグレートボアなら、そもそも地球にいるわけがないんだ。ファンタジー小説の中だけの存在なんだから。まさか――!?)
さっきまで夫の幻聴だと呆れていた沙織が、俺のただならぬ雰囲気に気づいて眉をひそめる。
「あなた……? どうしたの、顔色が急に悪くなって……真っ青よ。怪我でもしたの?」
「あ、いや……なんでもない。それよりも……外もだいぶ明かるくなったし、とにかく外へ出てみようか」
胸のざわめきは抑えきれず、逸る気持ちに突き動かされるように俺は、そう口にした。
念のため片手に『熊撃退スプレー』を持ちながら、俺はテントのファスナーを開ける。その隙間から辺りを探るが生き物の気配は無さそうだ。
それが逆に視界の端に映る表示への嫌な予感を増加させた。俺がテントの外へ踏み出すことを躊躇っていると。
「お父さん、早く出てよ」
「あなた」
「父さん」
「あぁ……」
家族に促され、俺は一歩、|テントの外
《未知の領域》へ足を踏み出した。真っ先に目に飛び込んできたのは、予想通り、正体不明の獣が蹴散らしていった、鉄製の食糧保管庫の無惨な姿だった。
その他には近くに生物の死体どころか変わったものはなにも無かった。
だからといって問題がないわけではない。
――と言うかとんでもない問題が俺の目の前には広がっていた。
本来、目の前に見えるはずのキャンプ場が、何処にもなかったのだ。その代わりに広がる光景は、あまりにも壮大であった。
俺に続いてテントから出てきた家族たちも、その壮大な景色に息を呑む。
瑞葉が悲鳴を上げて俺の服の裾を強く掴み、優翔も息を詰まらせて俺の背中に隠れるように一歩身を引いた。
見たこともない紫色の巨大な樹木や真っ黒な巨石、空にはふたつの太陽が並び輝いている。
――そして相変わらずの俺の視界の端で点滅し続ける謎のシステムウィンドウ。
身を寄せて震える家族の温もりを感じながら、俺はしっかりと地面を踏みしめた。
呆然とする家族に何か声を掛けなければ。よく分からない責任感から、俺は必死に混乱を抑え込み、自分自身に言い聞かせるように言葉を絞り出した。
「どうやら俺たちは、異世界転移に巻き込まれたみたいだな」
これが俺たち家族のサバイバル生活の始まりだった。




