第56話野草と肉とコーヒーと
日没が近づくにつれ、高原の気温はすっと下がり始めていた。竈の炭火に新しい薪を足すと、赤い爆ぜ痕とともに温かな炎が立ち上る。
心が一つになったところで、俺たち夕食の準備と調達品の整理を同時に進めることにした。
今回、結界の外で収穫できた野草は、地球でもおなじみの顔ぶれによく似たものだった。日本名で言えば、ヨモギ、クコ、オオバコ、クズ、スベリヒユ、ツユクサ、カタバミ、タンポポ。
「まあ……! こんなにたくさんの野草が手に入るなんて!でも複雑な調理方法は分からないかも」
「まぁそれは、俺の――というか、俺の鑑定・博識の出番だろうな」
ポリ袋から次々と現れる緑の葉に、沙織が歓声をあげる。普段は野菜嫌いな子どもたちも、食料の選択肢が増えたことには素直に安堵の表情を浮かべていた。
「ヨモギやツユクサ、スベリヒユはサッと湯がいておひたしや和え物にしましょう。カタバミは酸味があるからサラダのアクセントになるわね」
沙織の手際よい指示の下、瑞葉が水魔法で汲み上げた綺麗な水で野草を洗い、優翔が竈の火を調整する。
俺は採取したタンポポの太い根をナイフで細かく刻み、スキレットでじっくり香ばしく煎り始めた。
「父さん、その根っこ何にしてるの?」
「これか?タンポポコーヒーを作るんだ。じっくり煎って黒く焦がしてから擦り潰して湯を注ぐと、コーヒーそっくりの香ばしいお茶になるんだよ。俺たちのいた世界でも普通に市販されてるレベルのものだから
、なんとか作れたらいいなと思ってな」
「へぇー! お茶やコーヒーまで作れちゃうんだ!」
クコの葉やヨモギの柔らかい部分も乾かしてお茶の葉にする作業を進めていると、優翔がふと疑問を口にした。
「……父さん。生きるだけで手一杯なこの状況で、なんで危険を冒してまでお茶やコーヒーなんて採ってきたの? 全部野菜にした方が良かったんじゃないの?」
息子の問いに、俺は手を止め、香ばしい煙の匂いを嗅ぎながら静かに答えた。
「確かに水があれば生きてはいけるし、コーヒーなんて嗜好品は無くても死にはしない。……でもな優翔、人間は文明の中で生きる生き物なんだ。文明から完全に途絶してただ生き伸びるだけじゃ、心は荒んで、いつか生活も精神も破綻してしまう」
「心が……破綻する?」
「ああ。昔観た映画や読んだ本……なんかでもそうだったが、過酷な環境で生き残る家族は、ただ食うだけでなく、家を建て、畑を作り、塩や砂糖を工夫して作り、文化的な暮らしを維持しようとするんだ。……完璧な生活レベルは無理でも、『お茶を飲んでホッとする時間』という心の余裕を作ることが、家族全員で生き抜くためには不可欠なんだよ」
俺の言葉を自分の中で噛みしめるように聞く優翔。やがて、小さく頷いた。
「……そっか。分かったよ、父さん」
(あとは塩か……エルタニア大霊山は独立峰のようだが周辺の植生を見る限り、100%溶岩でできている山という感じはしない。それなら岩塩や岩塩ドームが探せばあるかもしれないな。問題はそれがどういったとこに存在するのかを知らないということか。砂糖は楓や白樺に似た樹木から樹液を採るか、甘茶や蔓系の植物を探せば何とかなるか……)
頭の中で今後の「文明的サバイバル計画」を描きながら、俺は持参した生肉のドロップ品を竈の脇のまな板へと置いた。
「「きゃあぁーっ!! お肉だーーーっ!!」」
瑞葉と優翔から歓声があがる。
「ねえねえ! これ今日食べられるの!? すぐ食べられるの!?」
跳ね回る妹を、優翔が少し気取った仕草で諭す。
「瑞葉、肉っていうのは屠殺直後より、少し置いて熟成させた方が柔らかくなって旨味が出るんだよ。……ねぇ、父さん?」
知ったかぶりをしつつも、息子の視線は生肉に釘付けで、今すぐにでも食べたいという本音がダダ漏れだ。俺は苦笑をした。
「博識と鑑定の知識によると、確かにそのまま焼くと少し硬いらしい。本来なら低温で数日熟成させたいところだが、保冷設備のないここでは放置は危険だ。だから今日は下処理をしておいて、明日シチューにでもして食べよう」
「シチュー! カレールーの下味用に持ってきていたコンソメとケチャップがあるわ! 明日は美味しい煮込み料理にしましょう!」
沙織が弾んだ声で応じる。普通のキャンプ場のような和気あいあいとした会話に、異世界転移の緊張が少しずつ解けていく。
サバイバル3日目の今夜のメニューは、コンソメスープに、採れたて野草の湯がきおひたし。そしてメインは、クーラーボックス内に残る肉だ。これで元の世界の生ものは、ほぼ使い果たしたことになる。
加工食品や、缶詰、乾パン、米にパスタの乾麺を上手く使っても、あと数日分の食材とするのが精一杯だ。
皆が夕食を食べ終わったのを見計らって、俺は『一角兎の生肉』を取り出し、塩コショウと生姜、チューブのニンニクでしっかりと臭み消しの下処理をした。
周りで肉が手に入る喜びを噛みしめていた子供たちだったが、自分たちがこの肉を食べるということが現実に帯びてくると、異世界の魔物の肉を食べるということに忌避感と不安を覚え始めていた。
それは当然のことであり、この状況を生き抜くには大切な感覚だ。
「……よし。まずは俺が毒味をする」
「あなた!?」
「お父さん、大丈夫なの?」
制止する沙織と子どもたちを、俺は手で制した。
「鑑定で『可食』『美味』と出ているが、異世界の食物だ。異世界から来た俺たちの体に合う確証はない。万が一の異変があって全員で倒れるわけにはいかない。今夜は俺が肉を食べて、明日の朝まで体調に問題がなければ、みんなで食べよう。……沙織その時は子供たちを頼む。優翔、もし俺の身に何かあったら、男はお前一人になる。父さんを切り捨てる覚悟が必要な時が来るかもしれない。しっかり家族を守るんだぞ」
野草に関しては、下拵えの段階で俺が先に食べておいたから多分大丈夫だろう。
「……っ! 父さん、縁起でもないこと言うなよ……!」
シリアスな話をする中、網の上でジューシーな脂を弾けさせ、香ばしい煙をあげる生肉。端から見ればユーモラスな光景だろう。
だが見た目は極上の赤身肉だろうが、これは間違いなく「異世界の魔物の肉」だ。食欲をそそる匂いとは裏腹に、タープ下に微かな緊張と忌避感が漂う。
優翔の目線がいつもにも増して鋭い。俺は、フォークで一口大の肉を口へと運んだ。
――ジュワリ。
肉を噛みしめた瞬間、溢れ出す芳醇な肉汁と、臭みのない上質な赤身の旨味。
「……旨いっ!!」
思わず声が漏れた。鶏肉のような弾力、味は鶏肉に似て淡白だが、ジビエのような特有の深いコクがある。
「本当に……!? お父さん、大丈夫!?」
「ああ、毒気も無さそうだ。一晩様子を見て問題が無ければ、明日から最高のタンパク源になるぞ!」
俺の言葉に、食卓の空気は一気に歓喜へと変わった。
夕食後、香ばしく淹れ上がったタンポポコーヒーと野草茶を手に家族全員で竈を囲み、普段の生活でも経験したことのない豊かな時間を過ごした。
慣れない作業と緊張の連続に疲れ果てた子どもたちは、20時を回る頃には倒れ込むようにワンボックスカーのシートへと消えていった。
スライドドアが閉まる時の「――プシューッ」という独特のアクチュエーター音が夜の静寂に響く。
車外に残されたのは、俺と沙織の二人だけだ。
虫の音と、はるか遠くエルタニア大霊山の裾野から聞こえる獣の遠吠え。異世界の三日目の夜が静かに更けていく。
「ふふ……今日もお疲れ様、あなた。明日も忙しくなりそうね」
「ああ。明日もみんなで無事に過ごそう」
思い出話と明日の目標を二人静かに語り合った後、沙織も「おやすみなさい」と車内へ戻っていった。
一人残された俺は、屋外での就寝の準備を始める。いわゆるカウボーイキャンプと言うやつだ。
「また外で眠るのよね? 風邪ひかないでね」
俺の行動などお見通しの沙織が、自分が眠る前に少しでも寝心地が良くなるようにと、折りたたみチェアと丸椅子の上に敷き詰めてくれた寝袋と毛布。その上に体を横たえ、薪がくべられた竈の温かい火を見つめる。
(ふぅ……薪の追加調達も計画に入れないとな……)
横になり空を見上げれば、青みがかった月と密度の濃い満天の星々が、漆黒の夜空に冷たく輝いていた。
(太陽は2つあるのに、月は1つだけなんだな、……いや 距離の問題で月と認識できてないだけで衛星は何個か存在するんだろうか?この世界にも天文学があるなら、一度勉強したいところだ……)
パチパチと爆ぜる炭火と薪の温もりを感じながら、とりとめのない思索をしながら俺は静かに目を閉じたのだった。




