第48話『転生者』
パタンと重厚な木製扉が閉まり、ヒーラの気配が廊下の奥へと消えていく。
静まり返った部屋に残されたのは、アーチ窓を叩く絶え間ない雨音と、揺れる燭台の小さな灯火だけだった。
ヒーラが去って寂しいと感じる心が自らに残っていたことに驚き、自身の人間味を感じたケイン、一人暗がりの中で執務室の椅子に深く腰を掛け、天井を仰ぎ見た。
(なぜ、こうなったのだろうか……)
何度考えても答えなど出るはずもない。
本人の意思など無視し、縁もゆかりも無い別世界へと引きずり出す『英雄召喚』。
耳障りのいい言葉で飾り立てているが、その実情は、自国の都合のために異世界から人間兵器となり得る若者を奪い取る誘拐行為に過ぎないのだ。
ケイン・エレ・ハイデルの身体には、かつて日本という異世界でサラリーマンとして生きていた男の記憶が刻まれていた。
だがケインは転移者ではなかった。
何か劇的な事故に遭ったわけでもない。ある日突然、魔法もステータスもない世界で35年間生きた記憶が、鮮明な映像となって脳裏に蘇ったのだ。
そして思い出したのだった。己が『異世界召喚』という理不尽の犠牲者となった瞬間を。
――毎朝の通勤電車。金属が軋む音と、濡れた傘の匂い。
サラリーマンの自分はいつも同じ時間の、同じ車両の、同じドア付近に立っていた。
決まった時間の、決まった場所には、時として名前も知らない顔見知りという、不思議な関係が生まれる事がある。挨拶はしないが目礼をしたり、怪我をしていれば、原因が気になったり、少し心配になったりもする。
二人組の高校生も、サラリーマンの自分にとって、そんな名前も知らない顔見知りだった。
真新しい制服を着た彼らは、若い世代特有の馬鹿騒ぎをすることもなく、列にきちんと並び、マナーを守る。いわゆる感じの良い生徒たちだった。
あの日、何の前触れもなく召喚は起きた。
突如として電車の床一面に広がる、禍々しくも美しい幾何学模様の光陣。
空間がグニャリと歪み、重力が消失したかのような強烈な浮遊感が襲う。
異様なのは、この異常事態に車内には悲鳴すら上がらないことだ。それどころか光陣の外にいる人間は、コチラを見向きもしない。
現実感が急激に削ぎ落とされていく感覚。高校生2人をターゲットとした召喚術式の渦に、すぐ隣に立っていたケインの意識も巻き込まれたのだ。
だが、召喚が成らんとしたその瞬間――聖火教の防壁術式が割り込んだ。
次元の割れ目で、眩い光の波が激しく衝突した。バリンと空間が割れるような凄まじい衝撃とともに召喚術式は瓦解。高校生たちは防壁の力によって弾き出され、何事もなかったかのように元の世界の電車内へと送り返されていった。
割りを食ったのは、巻き込まれた側のアラサーサラリーマンだった。
異世界の境界線上に挟まり、現世にも戻れず、異世界へも降り立てない。次元の狭間で肉体は徐々に朽ち果て、砕け散った。
しかし、意識だけが漂い続け――偶然か必然か、この世界のアイナヤーゴ帝国、ハイデル辺境伯家の次男である「ケイン」の幼き魂と融合したのだ。
今となっては、自分が元の世界のサラリーマンなのか、それとも転移し損ねた記憶を上書きされた異世界の少年ケインなのか、その境界すら曖昧だ。
だが、常識の異なる世界で培った35年分の知識と経験は、この世界において圧倒的なアドバンテージとなった。
大貴族の子弟という、前世とは比べものにならないほど高い立場からの再スタート。しかし、それに比例して持ち込まれる面倒事の規模も、国家レベルの膨大なものばかりだった。正直、ここまで無事に生き延びてこられたこと自体が奇跡に近い。
それでも、自分なりに藻掻き続けてここまでの地位を築いてきたという自負はある。
貴族としての腹の探り合いや立ち振舞い、高位官吏としての「責任を取らない巧みな会話術」や政治的立ち回り――生き抜くための術は全て身につけた。来訪者の応対すらも、そつなくこなせる器用さも手に入れた。
そして国家の中枢に近づくにつれ、このアイナヤーゴ帝国の中でさえ『英雄召喚』を目論む愚か者がいることを知った。
自分のような犠牲者をこれ以上出さないため、ケインは権益は少ないが高位官吏である※「典礼司」の職に就いた。
宗教・儀礼を司る立場を利用して帝国内での『英雄召喚』を国家事業として管理させ、聖火教との連携を強化することで、帝国内での召喚を不可能な状態にまで追い込んできたのだ。
それだけに、今回のロゼーヌ王国の暴挙は痛恨であり、悔やんでも悔やみきれない。
(……いや、グジグジと悩んでいても始まらないな)
ケインは両手でパンと頬を叩き、思考を切り替えた。
今、できることに全力を注ぐべきだ。まずは情報収集。そして、エルタニア高原に漂流したという5人の生存者たちの救出だ。
帝国正規軍による遠征隊を編成する時間も予算もない。ならば、極限状態の魔境へ踏み込めるだけの腕を持つ、信頼できる有力な冒険者たちに救出の未来を託すのが最善手だ。
「……忙しくなるぞ」
いまだ振り続く長雨の音を聞きながら、ケインは救出作戦の手配を進めるべく、机の上の羊皮紙へ勢いよくペンを走らせ始めた。




