第46話ヒーラ・シモンズとケイン・ハイデル
「ケイン様が危惧した通りになってしまいましたね」
ヒーラ・シモンズの吐息のような呟きは前を行く者にも後ろに付き従う者にさえも聞き取られる事も無く、辺りの静寂の中に溶けていった。
気持ちの発露としての呟きが他人に届か無かった事に彼女は、そっと安堵した。
聖火教の巡検使である彼女は重要な任務を果たすべく、先を急いでいた。
聖火教は世界中に信者を擁し、その影響力は計り知れない。周辺諸国や数多の都市や街を巡って知り得た情報を本国に報告する事が彼女の表向きの仕事であった。
だが今回、彼女は大総主教から密命と、それに伴う権限を得ていた。
ヒーラが務める司教は大きく九つに分かれる聖火教の階位において大総主教、主教、大司教に次ぐ高位聖職者である。
彼女は27歳の若さでありながらその位に就いていた。
帝国人にしてはやや高い身長。金髪が多い帝国人の中でも「琥珀色」と言われる透明感のある黄金髪は太陽光を浴びて光り輝き。その美貌と高い知性から【聖火に照らされる水芙蓉】と称されることもあったが、本人はそんな評判など気にも留めない。時には、彼女の気品と高潔な人柄が周囲を圧倒することさえあった。
ヒーラは水面を滑るように軽やかに歩みを進める。彼女の心はいつになく急いていた。そんな彼女が城の外回廊に足を踏み入れた。
先を急ぐ者にとって延々と続く回廊は苛立たしいだけの存在のはずだが純白の壁、青と白を基調に金縁で格子状に仕切られた天井。仄かに柑子色を帯びた大理石の床――帝国様式と呼ばる壮麗な装飾の余りの美しさに彼女は思わず息を呑んだ。
回廊に敷かれた緋色の絨毯は柔らかく、足裏に吸い付くような感触でありながら、歩みの邪魔を一切しない。柱や扉に施された彫塑はどれも芸術的で、相似するものが一つとして無い。
いたるところに飾られた花瓶や絵画はどれも一流の作家の至高の作品だ。過剰とも思える程に豪華で美術品がひしめき合っているにも関わらず、空間全体としての重厚な統一感を保っている。
それは配置と組み合わせのバランス、一つひとつの装飾や美術品との距離感が見事に計算されているからだ。
否応なく、これから会う人物が帝国有数の大貴族の子弟であることを思い知らされる。
急ぎ往く視界の中を流れる流麗にして重厚な帝国様式の装飾。ふと彼の言葉が思い出される。
「衰退しつつあるとはいえ帝国には他国には無い歴史と文化、芸術がある。国内中の生活基盤も整っていて、他の追随を許さない。それらを十全に活用できれば、この帝国の未来は必ず開けるんだ。俺はこの国を、家族や仲間を守りたいんだ」
強い気持ちと斬新な計画を語っていた少年の日の彼。今はより一層強く輝く瞳で未来を見据えている筈だ。
権力闘争の渦中にあっても、彼が輝きを失うとは露とも思わない信頼がそこには有った。
先を急ぎながらも過ぎ去った日々に思いを巡らせていると、先導する男が足を止めて数多ある扉の一つを開いてヒーラを招き入れた。
扉の先は、これまでの流麗重厚な帝国様式の装飾が一変する。
色合いは抑えられ、装飾も簡素な物となり、床に敷かれた絨毯も毛足が短く硬いものへと変わる。灯りも豪奢なシャンデリアは姿を消し、銀箔と硝子を組み合わせた光量重視のものへと変わる。壁の上下に対をなして設えられたウォールスコンスは廊下を走ることすら想定した造りのようだ。
暗夜であっても足元がはっきり視え、従者の案内が無くとも安心して先を急ぐことができる。
実利的で合理的、確かな技術裏打ちされた機能美。
彼が生み出した実用性重視の【新帝国様式】と呼ばれる潮流は、彼そのものを表しているようにヒーラには思えた。彼の変革への情熱の一端を感じ、思わず頬が緩みそうになる。
誰にも気付かれないよう表情を引き締め、さらにしばらく進むと案内役の者の歩調が緩んだ。
「巡検使様。こちらです」
男の言葉にヒーラは無言で頷く。言われずとも『彼』の力が漏れ伝わってくる。地、水、火、風、そして闇や光――数多の力が穏やかに混ざり合った彼以外持ちえない不思議で暖かな力だ。
身なりを整えたヒーラは、案内役に声を掛けた。
「家令殿。宜しくお願い致します」
あえて一つ高い位階で相手を呼ぶ事でヒーラは敬意を表した。副家令は小さく頷き扉を4度叩いた。
「はい」
静かで穏やかな声が室内から聞えてくる。小さくてもよく通る彼の声だ。
ヒーラは高鳴る鼓動を感じていた。
「先触れをさせて頂きました件で、聖火教巡検使シモンズ司教をお連れ致しました」
「入られよ」
入室の許可が下りる。こちらを見やる男にヒーラは笑顔で頷く。
「失礼致します」
男が扉を開き、一歩入室したところでヒーラの入室を促す。目礼を返して部屋に入ると、そこは神秘的な雰囲気に包まれていた。壁には古代の文字が刻まれ、天井からは柔らかな光が降り注ぎ、床に敷かれた絨毯も僅かに輝いている。
研鑽と実践を繰り返し、新たな潮流を生み出す気概が部屋全体から溢れていた。
部屋の奥から1人の人物か立ち上がってヒーラを迎える。五年前ラーセル領の聖堂で会った時よりも、少し痩せようだ。
帝国人の中ではやや大柄な身体は引き締まりっており、帝国東部に多い黒髪は短く切り揃えられて精悍さが一層増している。
近衛騎士のような強さと洗練性を感じさせながらも、穏やかで力強い雰囲気はまさに国家の重鎮になり得る男のそれだった。
案内役が改めてが紹介の声をあげる。
「巡検使様、此方に居られますのが帝国儀礼局典礼司ハイデル様です」
紹介を受け、彼がヒーラを見つめた。
「お初ににお目に掛かりますハイデル子爵閣下。聖火教にて巡検使を務めますヒーラ・シモンズと申します。夜分の訪問、申し訳ございません」
逸る気持ちを抑え、日頃と変わらなぬ格式高い口調を意識しながらヒーラは声をあげる。
「お初にお目にかかかります。皇帝陛下より典礼司の職をお預かりしておりますケイン・ハイデル・エレ・セレモネと申します。
火急かつ重要なお話と先触れを頂きましたので、余人を排してお待ちしておりました」
穏やかさの中に威厳が漂う声でケインが応答する。互いに略式の挨拶を済ますとヒーラは案内役に声を掛ける。
「家令殿。お忙しいところ時間を取らせてしまい申し訳ございませんでした。ご案内ありがとうございました」
労いの言葉を掛けながら略式の祈礼を捧げるヒーラ。ケインに会えた喜びから、いつもの司教の荘厳な笑みとは違う暖かく華やいだ笑顔を向けられ、男の返答が一瞬遅れた。
「・・・私はこれにて失礼させて頂きます。共に参った衛士を室外に待機させておきますので、退室の際はお声がけ下さい」
副家令はヒーラの笑顔に魅入られ、返答が瞬刻遅れた事等歯牙にも掛けずに退室して行った。
「流石は海千山千の大貴族が潜入させた 密偵だけの事はあるな……」
聞き取れる無いほど小さなケインの呟きを聞いたヒーラだが、その意味が解らず質問をする。
「海千山千とは何ですか?」
自らの呟きが聞き取られるとは思っていなかっただろう。ケインは一瞬驚きの表情を浮かべたが直ぐに微笑を浮かべてヒーラに答えた。
「五年ぶりの再会なのに直ぐに質問とは相変わらずだねヒーラは。海千山千は異界の言葉で経験を多く積み、物事の裏までも知り尽くした賢しい人という意味だよ」
月日を感じさせない昔通りの遣り取りに自然とヒーラの気持ちは軽くなる。
「あの副家令殿が三侯爵のいずれかの密偵なのですか?」
「あぁ。今更送り送り返すわけにもいかないからね」
「そうですか。それにしてもケイン様は魔法の腕を一段と上げられましたね。此処での会話は外に控える衛士には声は小さく途切れ途切れで何を話しているか解らないようにされているのですね?……色々混ざっていますが主軸は風の精霊…トゥーリエですか?」
「流石はヒーラだな。よく気が付いたね。風の精霊術と地属性の硬化魔法と無属性の重力魔法の多重魔法だよ。音を完全に遮断するのは今の技術では困難だからね。言葉として認識できない程度に音をかき混ぜる魔法だよ。風の精霊の気まぐれさに苦戦したけど僕の自信作だよ」
自らが苦心して作り上げた自作魔法を容易く見破られても、ケインに落胆した様子は無い。変わらない幼馴染の優れた才能と探究心を、嬉しそうに見つめている。
「防音の三原則でしたか?」
感慨深く頷いていたケインはヒーラの言葉に驚いたようだ。
「そんな話を昔したような…よく覚えていたね」
「内容が衝撃的でしたからね。御父上にイタズラをしようとしてコテンパンにされたとお聞きしましたので」
「コテンパン…誰がそんな事を。もう少し良い言い方があるだろうに。まぁいい…そうか父上に挑んだ時の話をしたんだったね」
16年以上も昔、ケインが血気盛んな十代半ばだった頃。
当時円熟期を迎えていたタリムの剣技は圧倒的で剣先が残影に掠る事すらなく自分の成長にさえ懐疑的になっていた。
同じく父に手も足も出ないでいた兄タインを巻き込んで鍛錬後にちょっとした奇襲を仕掛けた事がある。
防音の三原則に則った当時のケインとしては会心のオリジナルを駆使しての奇襲だったがタリムには一瞬で気付かれてしまった。
振り降ろした藁巻きの棒はいつの間にか持ち主をタリムへと変え、ケインとタインに襲い掛かった。
思い返せば正にコテンパンな結末であった。
作戦を練り、連携を密に取り、当時の兄弟で出来る限りの準備をして挑んだ奇襲だったが父は一言。
「違和感だ」
それだけで渾身の自作魔法が破られては溜まらない。自分の立場も顧みず喰い下がるケインにタリムは半ば呆れて仔細を口にした。
「最初は本当に違和感だけだ。
違和感の原因を見つけるべく辺りに気を張ってみると特定方向からの音だけが全く聞こえてこない事に気が付いてな。
そうなれば音のしない方に注意を張れる分、普通の闇討ちより対応は簡単だ。殺気が無いのも明白だったからなお前達だと予想もついた」
事も無げに種明かしをするタリム。
実力差以上に経験の差を実感したこの騒動が十代後半のケインの成長に大きく寄与するのだが、翌日から1ヶ月に渡り苛烈さを増した修練の記憶の方が鮮明なケインだった。
若き日の失敗に思いを馳せていると、いつの間にかヒーラの視線が窓際に向いている事に気が付いた。流石はヒーラだ。
「風の精霊、よく我慢したね。出ておいで」
「はぁ~い。ヒーラ、久しぶりなの〜」
ケインが言葉を掛けた途端、窓際のカーテンの横から銀髪の少女が姿を現し、ヒーラに抱きついた。
「トゥー、久しぶりね。魔法すごく上達したのね。それに上手にお話が出来るようになっていて驚いたわ」
トゥーリエの頭を撫でながらヒーラが眼を細める。
「そうなのぅ。魔法が上達して霊気を隠せるようになったら執務室に遊びに来ていいって言うから頑張ったの。そうしたら、いつの間にかお話もできるようになったのぅ〜」
褒められた事が余程嬉しいらしく、僅かだが床から足が浮き。髪が波打つ。
「トゥーリエ、霊力が漏れ出ているよ。抑えられるかい」
「ハイなの。気持ちがホクホクしたら、ポア~ンって出ちゃうの。気を付ければ大丈夫なの〜」
気分屋なところは有るが、トゥーリエは優しくて頑張り屋な精霊である。
微笑ましく眺めているとヒーラと目が合った。
「相変わらず精霊達に甘いんですね」
「いや。普通だと思うけど」
「甘いですよ。他の精霊も元気ですか?」
「元気と言っていいのかな?僕らとは次元が違うからね。皆良い子のままのんびり成長しているよ」
「他の子も話せるんですか?」
「木の精霊は相変わらずのんびり屋だけど話せるね。地の精霊は無口だけど返事はするよ。火の精霊は反抗期だけどよく喋る。水の精霊は気難しい所はあるけどたまに話掛けてくるなぁ」
「相変わらず大変そうですね。
でもみんな居るんですね。安心しました」
「大変って程でも無いかな。昔より意思疎通は楽になったし、反抗期や気難しいのも皆の個性だしね。何より皆な優しい良い子だよ」
昔から精霊達を子供扱いして甘やかすケイン。彼の目には 本当にみんなは子供に見えるんでしょうね。
言葉を話す者は少なくとも中級精霊以上の筈ですが。
ヒーラとケインは自身の現状を話し合った。途中トゥーリエが他の精霊達を呼ぼうとするなどで時間が足りなくなった。
まだまだ語りたいことは山とあるが、時が差し迫る今、まずは話すべきことが有る。
ヒーラの意識の変化を感じ取ってケインもまた姿勢を正した。
「典礼司様。改めてご報告と、総大主教猊下からの言伝てがございます――ロゼーヌ王国にて『英雄召喚』成功の気配あり。異世界から転移を確認したそうです」
時代を潮流が大きくうねり始めていた。




