第33話ウォーターボールとファイヤーボール
「次はどうするの」
なんでもないことのように優翔が尋ねてくる。だが、固く結ばれた唇の左端にわずかに力が入っているのを、俺は見逃さなかった。
妹に先を越された焦りと、元の世界で勉学に努力をしてきたという自負。それに反抗期特有の感情が混ざって、複雑に渦巻いているのだろう。俺は色々考えた末で敢えてそれに触れず、気づかない振りを決め込むことにした。
「そうだな。取り敢えず通常のウォーターボールをさっきの岩に向けて撃ってもらって、そのあと火魔法での攻撃も試してもらおうかな」
「それが終わったら、またレベル上げをしようよ! 魔法が使えれば、スライムなんて私の敵じゃないよ!」
「……」
すっかり調子を取り戻した瑞葉は、兄の微小な変化に気づいていない。だが、沙織は心配そうに優翔の横顔を見つめている。
瑞葉の逸る気持ちを押し留め、家族の足並みを揃えるのは俺の役目だろう。俺は努めて落ち着いた声で自分の考えを口にした。
「いや、それが終わったら瑞葉には、しばらく休憩してもらう」
「えっ! なんで!?」
「魔法やMPのことを色々と検証したいからね。攻撃魔法はかなり有用だと俺も思う。だが、飲み水の確保の方が家族全員の優先すべき問題だ。瑞葉が鍋に入れてくれた水の量はおよそ150cc、ステータスで確認したが消費MPは1だった。水の量が込めるMPの量に比例するとしたら、瑞葉の現状のMPが46を投入したとしても、生み出せる水の量は精々7リットルで家族4人分の1日の消費量には足らない。MPの管理は慎重にするべきだ」
「それなら尚更、レベルアップをするべきだよ! レベルが上がればMP上限も上がるはずでしょ!?」
「もちろん、俺も基本的にその考えだよ。だが、確認しておかなきゃいけない問題がある」
「MPの回復条件だね……魔法を使おうとした時にMP切れじゃあ困るから、減少数値と回復数値を調べるんだろ」
声変わりを終えたばかりの少年の声が、低く静かに響いた。
自分の焦りを抑え込み、理知的に話をしようと試みた為か、その声音はひどく大人びていた。そこに、かつて自分の後ろをちょこちょこと、ついて歩いていた幼い息子の面影はない。知らぬ間に成長し、自分で思考しようとする破蕾の季節を迎えた息子の姿があった。すれ違いの中で無駄にしてしまった時間のなんと膨大なことだろうか。
「ああ……そういうことだ。MPは時間経過で自然回復するのか、それとも睡眠が必要なのか、それをはっきりさせたい。他にもレベルアップ時にMPは全回復するのかも知りたい。俺たちは異世界のことを知らない。情報を得ようにも、ここは結界がなければ人跡未踏の地だと言われても納得の辺境地だ。 情報不足は当分の間、続くだろう。確かに魔法は強力だが、仕様を理解して管理できなければ、いざという時に足元をすくわれるだろう。……火魔法の確認ができ次第、一度休憩だ。いいな、瑞葉?」
「ぶぅ〜……わかったよ」
とんでもないしかめっ面で返事をする娘には、まだ中学生らしい幼さが残っていて、俺は胸の内で少しホッとした。
「よし、じゃあまずは通常の『ウォーターボール』だ。ターゲットは、さっきと同じ岩だ」
結界の境界線から数メートル先、背の高い異色の草むらにあって、はっきりと存在を示す記念碑ほどの大きさの岩。先ほどのウォーターボールで濡れた部分はすでに乾いている。周りの草や土の状況は分からないが、同じように乾いていることだろう。
「瑞葉、ウォーターボールを通常出力で撃ってくれ。ただし、必要以上に魔力を込めすぎないこと。【魔導の極み】がどれ程効果があるか検証出来ていない今、無茶をする必要はない。俺たちの安全が第一だからな」
「わかったよ。でもなんで水魔法が先なの? 力を抑えた火魔法の方が安全なんじゃない?」
「もっともな疑問だな。先に通常威力の水魔法を撃ってもらう目的は二つあるんだ。
一つはさっき話した通り純粋な威力とMP消費量の計測。
そしてもう一つ——こちらがある意味本命なんだが——この後に行う『火魔法』の検証に備え、標的の岩とその周りの草むらを水で徹底的に濡らしておきたいんだ」
「あぁ、そういう事か」
優翔が納得の声を上げる。
瑞葉はピンとこなかったようで首を傾げている。
「紫やオレンジの見たこともない色ばかりの草むらだが、草が燃えやすいのは異世界でも変わらないだろう。もし火魔法の試射で火が燃え移り、広大な山火事にでも発展したら目も当てられない。結界内は安全とはいえ、風は吹いているのだから単純に熱風や煙は入ってくるかも知れない。そうなれば一瞬で終わりだ」
「そっかぁ…。そうだよね。火事は駄目だよね。動物にも被害が出るかも知れないし」
そう言うと瑞葉は表情を引き締めて頷いた。沙織と優翔は食糧保管庫の影へ退避した。瑞葉は保管庫の右横に立たせ、俺は瑞葉のさらに右斜め前に立つ。暴発などのアクシデントに備えるためだ。
「いくよ……!」
皆が配置についたことを確認した瑞葉が、その白い手を胸の前に突き出す。
直後、ふわりと大気が震えた。彼女の周囲の魔力が恐ろしい精度で手元へと集積していく。先ほどより明らかに洗練された所作は【魔導の極み】の補正か、それとも瑞葉の生来の『器用さ』の賜物か。
「───(聞き取れない呟き)───ウォーターボール!」
瑞葉の呟きと共に放たれたのは、先ほど鍋に注いだものとはまるで次元の違う、ビーチボールより一回りほど大きい水塊だった。
水塊は空気を切り裂く突風を伴い、一直線に岩へと着弾する。
——バシャァァンッ!!
けたたましい音が辺りに響き渡り、大岩へと衝突した水球が一瞬にして爆散した。それは大量の水飛沫となり辺り一面をびしょ濡れにしている事が遠目に見てもはっきりと分かった。
水煙が引いた後、全員が目を見張る。轟音を上げたとはいえ、所詮水の塊である。記念碑ほどもある大岩に損傷はないものだと思っていたのだが、その右上が大きく崩落していたのだ。
「うそ……凄っ!?」
瑞葉本人が一番驚いて自分の手を見つめている。
初級水魔法でこの威力を叩き出せるのは間違いなくユニークスキル【魔導の極み】の補正——「攻撃魔法のダメージ50%アップ」と高い攻撃ステータスによるものだ。すでに通常の物理攻撃を凌駕する、恐ろしい火力を秘めている。
そして、俺の狙い通り、砕けた岩の周辺の草むらは大量の水でぐっしょりと濡れた。これなら多少の火を放っても燃え広がる危険は少ないだろう。
「ステータスを確認したぞ。今の通常撃ちで消費したMPは『5』だ。威力を上げるとMPの消費も増えるな」
俺の報告に、優翔がゴクリと唾を呑み込んだ。妹の――『魔導の極み』の持つ圧倒的な破壊力を目の当たりにして、焦りとともに「この世界の魔法の恐ろしさ」を実感しているのだろう。 レベル2の魔法使いがこの威力の魔法を9発放つことができる。どう考えてもオーバースペックだ。
「よし、岩の周囲はしっかり湿ったな。瑞葉、次は『火魔法』の検証をしよう」
「うん……! 火魔法は、最初だから威力を少し抑えて撃ってみるね」
瑞葉が再び手を前にかざす。
『聖域結界』という絶対の盾に守られているからこそ、俺たちはこうして冷静に未知の魔法の検証ができている。周囲を囲む不気味な異世界の森林も、結界を認識した今となっては、不思議と以前ほどの底知れぬ恐怖を感じさせなくなっていた。
「───(聞き取れない呟き)───ファイアボール!」
瑞葉の掌の先に、バレーボール程の大きさの赤々と燃え盛る火の玉が揺らめき出た。
その熱気は不思議と一番近くにいる詠唱者《瑞葉》本人には伝わらないようで、熱がる様子も慌てた様子もない。だが俺たちはキャンプファイヤーの炎を前にしたような身体の芯に伝わるような熱量を感じた。その後、火球はすーっと尾を引いて空を走り、先ほど水球が濡らした岩の側面に直撃した。
——ドォンッ!
爆発音とともに赤い炎が花開く!
直後、さきほど水魔法で濡らしておいた岩肌と草むらのそこかしこから白い蒸気があがり、「ジュッ!」とくぐもった音がした。その後は、どこからも火が燃え広がることはなく鎮火した。
(ふぅ……成功だ)
あらかじめ水浸しにしておいたおかげで、延焼の危険は完璧に防ぐことができた。俺は胸の内で静かに安堵の息を吐く。
「すごい……! 本当に火が出た……!」
沙織が感極まったように声を漏らす。
火と水。文明の象徴とも言える二つの要素を瑞葉が手に入れたことで、この不条理な異世界サバイバルにおいて、中伊達家は決定的な「生活の基盤」を確立したのだ。
「MPの消費は『4』。火魔法も問題なく発動できたな」
俺がステータス画面から目を離して家族を振り返ると、そこには以前のような暗く沈んだ絶望の空気はなかった。
瑞葉の笑顔を見ながら、俺は瑞葉が少し疲れていることに気付いた。
「瑞葉、よくやった。……予定変更で一旦休憩に入ろう。MPの自然回復速度を測ろう。生活用の火種を作る検証は、その後にしよう」
「うん。さすがにちょっと疲れて頭がボーッとしてきたかも。ありがとう、お父さん」
瑞葉が満足そうに胸を撫で下ろし、沙織のもとへ歩み寄る。チラッと俺を見た沙織が、穏やかな笑みをたたえてお茶を差し出している。
火と水の確保という大きな第一歩を踏み出し、俺はほっと胸を撫で下ろした。
すると、崩れた大岩と立ち上る蒸気をじっと見つめていた優翔が、静かに俺の方へ歩み寄ってくる。
その瞳には、焦りを超えた真剣な覚悟が宿っていた。




