第29話異世界の金属とスライムと
異世界から飛ばされてきた俺たちが生き残る道はただ一つ。コツコツと経験値を稼いで強くなること——それしかない。
腹をくくった俺たちの最初の目標は、長女、瑞葉のレベルアップだった。
俺たちは戦闘のド素人だ。
いくらスキルが発現しようが、経験不足やメンタルの弱さを完全に補えるかが不明な今。遠距離攻撃や広範囲攻撃で安全の担保が期待できる瑞葉のユニークスキル『魔導の極み』はかなり有用だと思う。
瑞葉のレベルアップは中伊達家にとって優先事項だ。
だがそれ以上に喫緊の課題、最優先事項がある。それは……水が残りわずかだということだ。
幸い調味料はキャンプに向けて新品を準備していたので一ヶ月以上は持つだろう。特に岩塩と食塩の2種類が手つかずであるのは心強い。
キャンプを始めてわずか2日目だが、水はテントから炊事場が近いと予め知っていたこともあり、2リットルのミネラルウォーターが4本しか用意していない。
水分全体で考えても、ハイボール用の1リットルの炭酸水が3本。子供たちの炭酸ジュースや紅茶などの1.5リットルペットボトルが6本、あとはお茶の2リットルペットボトルが4本あるだけだ。
ウイスキーやブランデー、ビールなどはまだあるが、アルコールを水分としてカウントするのはマズいだろう。
家族水入らずの時間を過ごすために飲み物は多めに持ってきたつもりだったが、それはあくまでもキャンプ場での3日分の準備に過ぎない。
万が一、異世界転移を想定してパッキングしている人間がいたなら、今の俺は尊敬するが、それ以外の人間からはあれだろう。
そうは言っても、ここは設備の整ったキャンプ場ではない。肉体労働や生命の危険を伴う緊張で、いつも以上に水分を消費するのは目に見えている。
飲料は持って3日——それが俺の予想だ。皆も口には出さないが水不足への危機感は強く抱いているはずだ。
「あなた、休憩中にちゃんと水分補給をして下さいよ」
「お父さん。ボーッとしてお水、零さないでよね。貴重なんだから……」
「そうだな。二人とも、ありがとう」
ステンレス製のマグカップを握り、考え事をしていると沙織と瑞葉が声を掛けてくれた。
つい数日前まではろくな会話も無かった妻と話し、最近はスマホばかり見ていた娘と視線が合う。異世界転移なんて碌でもない現状にあって、家族のほころびかけていた絆が修復されつつあった。
家族関係の修復のためにキャンプを選んだのだが、このことに関しては『異世界キャンプ』の方が遥かに効果がありそうだ——まぁ、誰かに勧める訳にもいかないし、勧める相手もここにはいないが。
異世界転移における唯一の吉事である家族関係の修復。この状況を乗り越えるために必要不可欠なもの、それが個々の能力や絆を含めた『家族力』だと、俺は考えている。
家族関係の修復は焦らず、騒がず、じっくりと丁寧に進めて行くしかない。
だが、個々の能力アップは一刻を争う課題だ。先ずは、娘の瑞葉のレベルアップに注力するつもりだ。
超レアなユニークスキル『魔導の極み』。その補正効果を見れば、レベルやスキルを高めていけば、いずれは最強職の一角に至る可能性は十分あるだろう。
それ以前に期待しているのがレベルが上がれば、水や火の魔法を覚えて水不足を解決してくれるかもしれないことだ。
だが、そんな才能を与えられた瑞葉も、現在のレベルは1だ。魔法のスペル一つ取得しておらず、腕力も素早さも平凡な日本の中学生に過ぎない。能力以前に基礎体力がこの状況についていけていないことは明らかだ。
そんな少女が真正面からスライムと対決して勝利出来るものなのだろうか?
「お父さん、何言ってるの? 相手は『あの』スライムだよ。最弱モンスターの代名詞。ゲーム初心者のチュートリアル。スライム討伐なんて楽勝、大丈夫に決まってるじゃん」
そんな俺の不安をよそに、息巻く娘に押し切られる形で、瑞葉のレベル上げは始まった。
聖域結界から少し離れた場所にある、高さ2メートルを優に超える、見たこともない草の繁み。
その根元に意識を集中すると鑑定のスキルが起動し、繁みの影に紛れていたスライムの輪郭が、マーカーで囲んだようにはっきりと浮かび上がった。
人外への第一歩を踏み出したようで複雑な思いもあるが、この世界で生き抜くため、使えるものは何でも使わせてもらう。
「瑞葉は結界内で待っていなさい。父さんが、ここまで連れて来れないか試してみるよ」
「……うん」
スライム討伐には自信を見せていた瑞葉だったが、他にどんな魔物が潜んでいるかも分からない高原で、見通しの利かない繁みに不用意に近づく危険性は理解しているようだ。
俺は繁みのスライムが正面に来るよう、結界内を移動した。そこから直進すれば背後には結界があるため、背後から襲われるリスクを減らせる。左右の警戒は結界内に待機する沙織と優翔に頼んだ。
左手に『熊撃退スプレー』、右手に『火かき棒』を構え、摺り足で繁みへと向かう。
モンスターを警戒して集中してはいるが、頭の片隅で深夜の記憶が蘇った。
視界いっぱいに展開された半透明ウィンドウ——【グレートボアを討伐しました】。
俺が討伐したことになっているが未だ見ぬグレートボアだが、今そいつの襲撃を受けたとして、俺は勝てるのだろうか? 生き残ることができるのだろうか?
怪我のリスクを考えれば、沙織のユニークスキル『癒し』こそを優先してレベル上げするべきではないのか?
正直、かなり悩んだ。だが、水不足のストレスは確実に全員の精神を蝕む。瑞葉が水魔法を覚えてくれれば、大きな希望になるはずだ。
……それに、色々と取ってつけたような理由は並べられるが、結局俺が瑞葉のレベル上げを選んだ一番の理由は、これまで子育てを蔑ろにしてきたことへの贖罪や、グレー企業で燻ってきた自分の存在感を示したいという身勝手なエゴなのかもしれない。
無事に繁みの前に到着した俺だったが、レベル9とはいえ、戦闘は、ずぶの素人。魔物相手に攻めあぐねていた。
俺とスライムの距離は一定以上開いており、攻撃を当てるには繁みに一歩踏み込まねばならない。繁みの中には他のモンスターはもちろん、病原菌や毒虫のリスクもある。治療の目処が立っていない以上、不用意に足を踏み入れるべきではない。
俺はスライムの気を引くべく、繁みの草を叩いたり小石を投げつけたりしてみた。だがスライムはその場でゆらゆらと揺れるだけで、さして反応を示さなかった。
俺は間合いを測るため、目いっぱい腕を伸ばしてスライムに向かって火かき棒を差し出した。
(あと1メートルと言ったところか……)
すると、それまで波のように揺れていたスライムが、小刻みに震え出した。
そして、水風船が緩やかな坂を転がるような動きで、ゆっくりとこちらへ移動を開始したのだ。
(警戒してるわけじゃないよな? 攻撃を仕掛けてくる様子もないし……どういうことだ?)
その行動を見極めるため、俺は一歩、二歩と後退る。するとスライムは繁みの縁で移動を止め、再びゆっくりと揺れ始めた。
少し様子を見ていると、凪いだ水面のように静まり返りながら、繁みの奥へと戻ろうとしていることに気づく。
そこで俺は火かき棒を前に突き出し、熊撃退スプレーを左腰だめに持つ構えでスライムとの距離を縮めてみた。
すると——先ほどと同じように、スライムが小刻みに震えてこちらへ動き出した。
(まただ……まさか!)
俺は右手に持つ火かき棒の手首を返し、右方向へと向けてみた。するとスライムは、ゆっくりとそちらへ進行方向を変えたのだ。
(火かき棒に反応しているのか? なぜだ……!)
そこで俺は先ほど討伐したスライムのことを思い出した。食料保管庫の扉付近に纏わりついていたスライム。あの時の鑑定結果は。
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【スライム Lv2】
変異種、地属性。異世界の金属をわずかだが溶解したことにより地属性を得た。
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食料保管庫はおそらくステンレス製だ。では、この火かき棒はどうだ? 熱による焦げ跡はあるものの、サビは浮かんでいない。塗装はされておらず、先端は熱焼けで赤茶けているが、根元は銀色に鈍く輝いている。商社にいた頃の知識が蘇る。焦げた色合いから判断するに、ステンレス鋼——SUS304あたりか。
その瞬間、火かき棒に意識が集中したことで、新たな鑑定結果と『博識』の情報が視界に展開された。
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【火かき棒】
異世界の野営道具。特殊な金属で作られている。ドワーフや一部の魔法鍛冶師が取り扱う事が可能。耐熱、耐食、に優れる。
地属性
耐魔性向上。魔力増強の効果あり。
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【一部モンスターによる金属の吸収行動について】
一部の魔物が自らのレベルアップや変異のために金属を吸収するという特異行動が報告されている。
通常の鉄や銅等での報告は少なく、ミスリルやアダマンタイト等のレアメタルでの報告多数。耐魔性や増魔性、魔力の高含有等の特性を持つ金属に限定された行動だと推測される。
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(やはり、そういうことか……!)
地球の高品質なステンレス鋼(SUS304)が持つ「耐食性・耐熱性」に異世界の特性「耐魔」や「魔力増強」がついて、この異世界においてドワーフが鍛えた『耐魔性金属』と同等、あるいはそれ以上の希少金属として判定されているのだろう。
スライムはゲームや小説でも変異種の多い魔物だ。そのスライムからすれば、ステンレスは喉から手が出るほど欲しい高級な「餌」に見えているに違いなかった。
仕組みを理解した俺は、スライムを結界のすぐ近くまで誘い出すことにした。
目の前にステンレス製の火かき棒をちらつかせながら、ゆっくりとモンスターを誘導してくるシュールな光景を目にした瑞葉が、呆れ気味に声をかけてきた。
「お父さん、……なんなのそれ?」
「あぁ、スライムは異世界の金属が好きらしくてな——」
「ふ~ん」
俺は『博識』で得た情報を家族に共有した。様々な反応を見せる皆と話し合いたいところだが、まずは連れてきたスライムを始末するのが先だ。
俺は結界の内側へと戻る。するとスライムは、結界の不可視の壁に阻まれ、境界線から一定の距離を保ったまま動かなくなった。
その様子を観察しながら、俺は火かき棒を瑞葉に手渡す。
「瑞葉、この火かき棒でスライムの『魔核』を壊すんだ。魔核の位置は分かるか?」
「何かを感じるし、何となくだけど、透けて見える気もするよ……」
俺がスライムを何体か観察してようやく感覚で掴めた魔核の位置を、レベル1の瑞葉は直感で捉えているようだった。魔力を感知する資質がずば抜けているのだろう。ユニークスキル『魔導の極み』は伊達ではないようだ。
「スライムは結界の効果であれ以上近寄ってこない。間合いとしては少し遠いが、安全を担保するためにも、結界の内側から大きく打ち下ろす感じで魔核の破壊を狙ってみてくれ」
「分かった」
素直に頷く瑞葉に違和感を覚え、声を掛ける。
「弱気すぎるって笑われるかと思ったが……いけそうか?」
「笑わないよ……。だって近くで見ると、溶けかけた変な虫がいっぱい体に入ってて、すごく気持ち悪いもん。……ホントに『モンスター』なんだね」
瑞葉は顔をしかめスライムを見つめた。それでも、ほどなくして火かき棒を構え直して、一歩前に進むのだった
「……」




