第26話エルタニア大森林とナグール大河
俺の説明があまりに細かく明瞭であったため、聞き終えた優翔はどこか怪訝そうな表情を浮かべた。その表情を浮かべたまま何も口にせず、押し黙る息子。今までの出来事を整理して状況の再検討をしているのだろう。その気持ちはよく分かる。
「お父さん、凄いね。四十四歳でよく覚えてるねぇ」
瑞葉が凍りつきかけた場の雰囲気を解すかのように、どこか茶化すような、軽いノリで俺を褒めてきた。
「ありがと、瑞葉。父さんまだ、四十三歳だけどな。……覚えているわけじゃないんだ。履歴が見れるんだよ。視界に半透明の文字が映し出されて、それが視界の邪魔にならない上にすごく読みやすいんだ」
「へぇ……それで本でも読むような感じだったのね」
沙織の納得したような言葉に、俺は少し照れくさそうに首をひねる。
「そんな感じに見えたか? 俺は書類や本を読んでいることを周りに気づかせない、自然な音読には自信があったんだが……」
俺の答えに、沙織は小さく頭を振って微笑んだ。
「昔、優翔や瑞葉に絵本の読み聞かせをしていた時の表情のままだったから……すぐ分かったわ」
「……そうか」
妻の口から出た意外な言葉に、胸の奥が少し痛む。仕事にかまけ、家庭内でどこか浮いた存在になっていた俺のクセを、沙織はちゃんと覚えていてくれたのだ。
「お父さんって、私にも読み聞かせなんてしてくれてたんだ」
夫婦の会話に割り込んだ瑞葉に、沙織が柔らかく微笑みかける。
「何言ってるの。あなたが今でも蝶々のデザインが好きなのは、完全にお父さんのせいなのよ」
「えっ? どういうこと?」
「青虫が蝶々になるストーリーの絵本がお父さんのお気に入りだったのよ。あなたが眠る前は必ず読み聞かせをしていてね。『途中で飽きられたらダメだから』って、歌を歌ったりぬいぐるみを使ったり……そうこうするうちに、青虫と蝶々のぬいぐるみを瑞葉自身が肌身離さず持ち歩くようになったのよ」
「えぇ~! 本当に?! 全然覚えてないよ……」
照れくさそうに笑う瑞葉だが、確かに今でも蝶の型の髪留めやシールを愛用している。そうか、あれは俺の読み聞かせが原因だったのか。
失われていたと思っていた家族の時間が、こんな異世界のただ中で、少しだけ手繰り寄せられたような気がした。
そんな温かい空気を切り替えるように、優翔が冷静な声で口を挟んだ。
「……母さん、父さん。昔話はあとにして、話を先に進めてくれないかな。今、大事なのは、僕たちが置かれてる状況の話だろ?」
家族の過去の話を聞きたいという気持ちと、厳しい現状――エルタニア山の鑑定結果にかなり焦りを感じている心情が見え隠れしている。
「ああ、すまない。話を戻すよ」
俺は息子に謝罪し、表情を固くし直した。
「次に、山の北限が『赤竜の砂漠の西端』という鑑定結果だったから、周りの森の広がりから俺たちの現在地が大まかにでも分かればと思ってな。森を眺めて、目印になる川も探してみたんだが……」
「……鑑定できなかったの?」
俺の急な歯切れの悪さに、優翔が鋭く聞き返す。その声には若干の落胆と焦燥が含まれていた。
「いや。普通に鑑定できたよ」
「えっ?じゃあなんで、そんな難しい顔をしてるんだよ」
息子の少し子供っぽい尖った言い方に、緩みそうになる口元にぐっと力を込め、俺は表情を変えずに答えを返した。
「それは……鑑定の結果が、中々厳しいものだったからだ」
【エルタニアの大森林】
別名『魔の森』と呼ばれ、魔物の一大生息域として知られる。
エルタニア山に生息する魔物は寒冷を好むため、滅多に森には降りてこないが、極稀に縄張り争いに敗れた個体や怪我等で山地での生息が困難な個体が森林の環境に適応して生息することがある。
生息する魔物は多種多様で最下級のスライムから上級ヒドラやアースドラゴンの生息 報告あり。最上級種であるドラゴン等の目撃情報はない。
【ナグール大河】
エルタニア山の三大河の一川。赤竜大陸中央部を流れ、アイナヤーゴ帝国の帝都を経て水竜の大海へと至る。残りの三大河は西に向かう『アバ大河』と東に向かう『カセ大河』がある。
水性の魔物が多く生息しており 流れも強いため 小舟での渡航は不可能。
俺が得た情報を皆に開示する。その内容に家族全員が言葉を失う。
15,000メートル級の霊山とスタンピードのリスク。危険な魔物が蠢く『魔の森』、そして巨大な大河。
提示されたあまりに絶望的な情報を前に、理屈屋の優翔でさえ脳内で整理を試みるため押し黙ったままだ。
その横顔には、圧倒的な世界の広さと自分たちの無力さに対する戸惑いが色濃く落ちている。
その沈黙を埋めるように、瑞葉がどこか感嘆したように声を漏らした。
「……やっぱりすごいね、固有スキル『博識』は……一瞬でそんな世界規模の情報が分かっちゃうんだから」
瑞葉の言葉に、俺は静かに首を振った。
「いや……瑞葉。ここまでの情報は、あくまで『鑑定』が表示したものに過ぎないんだ。『博識』のスキルが本当の意味で発動したのは……この後だったんだよ」




