第25話 『博識』と『エルタニア大霊山』
「『博識』のスキルの情報源は、過去にこの世界の誰かが得た知識らしい。その情報を俺がもつ地球の情報と統合して、理解可能なものが知識として現れるようなんだが……今回の知識は、多くの人間の記憶や記録が統合されている。民俗学者や歴史学者の何人かの知識以外は……全て神官や僧侶、宗教学者の知識のようだ」
家族全員の前に沈黙が降り積もり、異世界の風がガサガサと巨木を揺らす音だけが響いていた。頭上に輝く二つの太陽の光が、俺たちの影を不自然に二つに引き伸ばしている。
自分たちの意思とは無関係に、巨大な何かによって『盤面』に放り出されたのだという冷酷な現実。巨木の葉音だけが流れる中、沙織が絞り出すように声を漏らした。
「まぁ、……そうよね。こんなこと出来るなんて、私の知る限り『神様』しかいないわね」
「そうだよねぇ。神様だよねぇ」
瑞葉もどこか諦めを含んだ声で頷く。現実離れした出来事の連続に、女性陣は「神の仕業」として一旦納得しようとしているようだった。その声には、自分たちの運命が姿の見えない高次元の存在に握られているという、根源的な畏怖と恐怖が滲んでいた。
だが、理屈屋の優翔だけは違った。まだ納得出来ないといった表情で、さらに深い思考の海に潜っていこうと険しい目つきで俺を見つめ直す。
「神がいると……仮定して。偶発的な事故で俺たちは異世界転移したのかな?……異世界召喚の可能性もあるのかな?――何より『救済措置』がわざわざ用意されるほどに、この状況ってマズイ状況なの?」
俺も抱いたその疑問に、当然の如く優翔も辿り着いた。俺との違いは優翔は現状のわずかな状況の考察で答えを導き出さなければならないのに対して、俺は『博識』によってある程度の知識を得ているということだ。
(それにしても、本当に頼りになる息子だな)
と感心を抱く半面、現状をはぐらかす事が叶わず、俺たちが置かれた苦境を詳らかにする他なく、苦々しくも思えた。
――『英雄召喚』
――『勇者召喚』
ラノベ好きならば現状を鑑みて、その可能性に胸を躍らせて、現実逃避をすることだろう――だが優翔は違った。
圧倒的なスキルに浮かれて、神に守られていると喜ぶのではなく、わざわざ「救済」が必要なほど自分たちが絶望的な状況に置かれているのではないか、と考察したのだ。
(優翔は勿論、沙織も瑞葉も中々鋭いからな。御為ごかしの言葉で、不安や絶望を先延ばしにしても、直ぐにその綻びに気が付くだろう。そうなれば、まだまだ脆弱な信頼はたちまち失われる――今の俺たちの危うい家族関係で、隠し事は致命傷だ)
俺はゆっくりと家族全員の顔を見回した。不安に震える妻、すがるような目で俺を見る娘、そして真実を確かめようと強い眼差しを向ける息子。
俺は腹を括り、覚悟を決めて語り掛けた。
「偶発的な『異世界転移』か、人為的な『異世界召喚』か。明確な答えが出てはいないが、俺は召喚の可能性が高いと考えている。ただ俺たち家族を狙って召喚したとは考え難いけどな」
「えっ?私達、『英雄召喚』されたんじゃないの?」
「『英雄召喚』……ラノベによくある戦力を求めての召喚なら、言い方は悪いが若者だけを召喚した方が意識操作は掛けやすいし、耐久年数も長い。ある程度の規模でできるなら、それこそクラスごと召喚して選別する方が割が良い」
「本当に悪い言い方ね。ドライビジネスすぎるわよ」
「あぁ、すまんな。いずれにせよ、俺たち家族を一括で召喚するメリットがよくわからないんだ。「下手な考え休むに似たり」だ。とりあえず 召喚の話は横に置いておいて、俺が知り得たここまでの情報を皆で共有したいと思っているがいいかな?」
「うん」
「いいよ」
「お願い」
頭上を渡る風は、湿気とは違う粘り気を感じる、地球には存在しない何かを含んでいるのかも知れない。湿度は、この世界でも変わらず存在するようで、何かしらの胞子の匂いを微かに鼻腔へと運んでくる。
空に輝く二つの太陽は、最初に見上げた時は連なるように瞬いていたが、時が経つにつれて、その距離は開き始めていた。異なる角度で二つの光が降り注ぐせいで、地上では陰影が複雑に変化して距離感が上手く掴めない。
車も、電柱も、遠くに見える建物の影すら一切存在しない。視界を覆うのは、過剰なほど鮮やかな草木と、無機質な地球のキャンプ場の土だけだ。文明から完全に置き去りにされた俺たち四人の存在の小ささが、皮膚の表面から刺すような不安となって伝わってくる。
キャンプ前の『中伊達家』ならば、俺が何かを言えば、優翔は露骨に溜め息をつき、瑞葉はスマホに目を落とし、沙織は諦めたような笑顔を浮かべていただろう。
今は、皆が俺の言葉を真剣に待ってくれている。——だがそれは、頼もしい父親として完全に復権したからではない。この『異世界の情報を持つ唯一の大人』であり、『信頼出来る大人』という、微妙な関係性であることを俺は冷静に感じ取っていた。
自業自得――覚悟は決まった。
俺は気持ちを切り替えて 、まずはこの情報を得るに至った経緯を説明することにした。
「ここまでの確認だが。最初のスライムは期せずして聖域結界の内側から安全を担保しての討伐となったわけだが、魔核と雫型のドロップ品は結界の外に落ちた。それを拾うために俺は無自覚に結界の外に出ることになった。そこでキャンプ場の茶色の土と異世界の見覚えのない草花との境界線上に空間の歪みを見つけることが出来た。その歪みを意識した瞬間、鑑定のスキルが発動して、ここで初めて聖域結界だと認識したんだ。そこからは一連の流れで、結界への強い興味で固有スキル『博識』が発動し、転移者に対する『救済措置』を知るに至った……ここまではさっき話した通りだな」
家族は静かに頷く。俺は少し間を置き、言葉を続けた。
「だが、話はここで終わらなかったんだ。さっき優翔も口にしていたが。俺たちのユニークスキルや結界という破格すぎる『救済措置』の内容を考えれば考えるほど、逆に『俺たちが置かれた現状は、それほどの救済を必要とするほど切迫した危険地帯なのではないか』という嫌な予想が頭をよぎった。……超越者の存在や身の危険を間近に感じて、俺は結界内に戻るのも忘れて思わず天を仰いだ。そこで目に入ったのが……」
俺は視線を遥か彼方に見える大山へと向けた。
「天にも届きそうな、異常な存在感を放つあの巨山だったんだ。最初に見た時はとんでもなくデカい、異質な風景――そう、どんなに異質でも風景の一部に過ぎなかったんだ。それが自分たちの現状に強い危機感を覚えた俺には、大切な情報源――調べるべきものへと意識が変化したんだ。そのことで目に見えるすべてに対して強い興味を持ち、無意識に意識を集中させた。……すると、その遥か遠くに聳え立つ巨山にまで『鑑定』のスキルが発動したんだ」
「えっ……? 鑑定って、野草を見分けて毒消しやポーションの採取の役に立ったり、ダンジョンで宝箱の中身の価値を見極めるみたいなスキルじゃなかったの?」
瑞葉が目を見開き、素朴な驚きを口にする。それに続くように、優翔も身を乗り出してきた。
「万能系の鑑定でさえ、人物の情報を読み取るのが限界のはずだろ。山を丸々一つのモノとして鑑定できるなんて異常だよ、父さん……!」
子供たちの興奮気味な反応に対し、異世界知識があまりなく、実感が薄いからこそ落ち着いている沙織が、俺の目を見つめて静かに問いかけてきた。
「それで、あなた……その山の鑑定には、なんて出たの?」
「あぁ、それなんだが……」
俺は『ホウレンソウ』の実行の如く、読み取った内容を丁寧に説明し始めた。
【エルタニア大霊山】
別名『降魔の大霊山』とも呼ばれる。
強力な魔物の生息域として知られ、度々『降魔雪崩』と呼ばれるスタンピード《魔獣氾濫》を起こしている。
その一方で独立峰でありながら東西南の三方向に水量豊かな三大河を生み出し、一部の民族から『母なる山』とも呼ばれている。
赤竜大陸の中北に位置し、今はアイナヤーゴ帝国の北限の国境線とされている。北限の裾野は『赤竜の砂漠』の西端に位置し、その西側は砂漠の民や森の民、海の民などが乱立しており現在、統一国家は存在しない。
登頂したものはおらず、標高は15000メルト(メートル)を優に超えるとされている。
「標高一万五千メートル……魔物の氾濫……」
俺が読み上げたその規格外すぎる数値と単語に、家族全員が息を呑み、重い沈黙が再び場を支配した。
聞き終えた優翔はどこか怪訝そうな表情を浮かべたまま押し黙り、脳内で状況の整理を試みているようだった。この説明文だけでも、俺たちが置かれている状況が絶望的にマズイことだけは痛いほど伝わったはずだ。




