第23話 結界と変異スライム
10メートル程しか離れていない場所から、息を切らすように急ぎ足で戻ってきた俺の目つきは、異世界転移を宣言した時でさえ見せなかった明らかな焦燥に満ちているはずだ。
不安げに身を寄せる家族の問いかけが、一度に俺へと投げかけられる。
「あなた、何かあったの?もしかして怪我でもした?!」
「『わらび餅』は討伐できたんだろ?何か また、変な表示でも出たの?」
「他にもモンスターがいたとか?」
「あぁ、スライムは無事に倒せたんだが……それどころじゃないことが分かったんだ」
焦る気持ちをどうにか抑え込み、俺は優先すべきことだけを手短かつ断固とした口調で伝えた。
「ちょっとした問題が起きた、……と言うか解ったことがあるんだ。詳しくは後で説明するから、先ずは周辺にスライムや他の魔物がいないかの確認をしたい。みんな手伝ってくれるか?」
「ええ、分かったわ」
「うん。いいよ」
「さっさと確認して、何があったのか教えてよ」
皆の協力に御礼を述べながら、現状の説明と指示を出した。
「キャンプ場の土が広がっている、この円形の場所には結界が張られているらしい。境界の外にいるモンスターは結界内へ入ることができないらしいから、高原の草地にモンスターが居ても慌てずに報告して欲しい。念のため本当に入って来れないかの確認は必要だが、まずはキャンプ場の地面、結界内側にモンスターがいないかの確認に重点をおいてくれ」
「「「――っ!」」」
俺の報告に皆、驚きや疑問を抱えながらも付いてきてくれた。
〈……どういうことだよ? 結界が張ってあるなんて、さっきまで何も言ってなかったじゃないか。それに……結界で守られているっていうなら、夜中のアイツは何だったんだ?無残に変形して、壊れかけの食料保管庫や、象が暴れ回ったような足跡は何だったんだ……?〉
理屈屋の優翔の頭の中で、疑問が嵐のように渦巻く。論理的に考えて辻褄が合わない。だが、父親のあの目……まるで自分たちには見えない『世界のルール』でも直接読んでいるかのような確信に満ちた瞳に気おされ、口を挟むことができない。
〈お父さん……どうしちゃったの……? なにを見てるの……?〉
瑞葉は今までに見たこともない焦燥感を漂わす父親の雰囲気に不安が膨らませ、沙織の服の裾を強く握りしめた。
沙織もまた、不安に震える瑞葉を抱き寄せながら、先頭を歩く夫の背中を冷や汗交じりに見つめていた。
数週間前、「キャンプをしよう」と半ば強引に話を進める夫に、思うところはあったが、最近の夫は昔のようにしっかりと自分たちを見てくれている気がしていた。
異世界転移という信じられない出来事が起こった後の夫の対応は、慎重なタイプでありながらも決断を次々と決めていく、昔の頼れる夫そのものであった。
だが今の夫は沙織が知る、どの夫でも、子供たちが知る、どの父親でもなかった。自信に溢れていた時は勿論、自信をなくし余裕がなくなった時でさえ、夫が慌てるということだけは一度もなかった。
中伊達裕翔という人間は、根幹が慎重であり穏やかなのだ。
それが、知らない何かに追い立てられるかのように、慌てている。
どのような状況でも、――それこそ異世界転移などという天変地異よりも不条理な事案に対してさえ、己を律し、乱れを見せなかった夫が、父親が、焦燥をあらわにしている。
そのことが皆に底知れぬ不安と恐怖を与えていた。
そんな家族の視線と疑問を背中に感じつつも、今の俺には説明している猶予はなかった。テントや炊事場の周辺、車はもちろん、車体の下、隅々を確認していく。そしてあらかた確認が終わった頃。
「お父さん! あれ!」
瑞葉の声に視線を走らせた先には、無残な姿をさらす金属製の食料保管庫、その扉付近に纏わりつく半透明の物体。
すぐさま俺はそいつを鑑定する。
【スライム Lv2】
変異種、地属性。異世界の金属をわずかだが溶解したことにより地属性を得た。強酸性の体液による溶解と吸収が主な攻撃方法。表面硬化のスキルを持つが低レベルのために差して影響はない。
【討伐条件】
魔核への物理攻撃か、魔法での一定以上のダメージをあたえる。
「なっ……!? なんで結界の『内側』にスライムがいるんだよ!?結界なんて本当にあるのかよ!」
少し混乱した優翔の肩を軽く叩きながら、俺は瑞葉に声を掛ける。
「瑞葉、ありがとう。助かったよ」
明確にやるべきことが一つ見えたことで、焦燥に駆られた俺の心は少しだけ軽くなった。穏やかな口調で娘に礼を述べるとパニック気味だった優翔も含め、家族全員の雰囲気が少しだけ穏やかになったような気がした。
自分の不安や焦りが家族にも伝播していたことに俺はこの時ようやく気づき、深く反省した。
俺は皆にスライムの鑑定内容とレベルが2であることを報告して、速やかに討伐の準備を始める。
万が一に備えて優翔に『熊撃退スプレー』を渡し、3メートルほど後まで下がらせた。最低限の安全が担保できたのを確認して、俺は火かき棒を構える。
少しメタリック調に見える今度のスライムは、茶色のスライム《わらび餅》に比べて、体を動かす時の音が少し重厚な感じがする。俺はスライムのリズムに合わせて火かき棒を振り降ろした。
――カンッ!
棒はスライムの体にヒットはしたものの、さっきのスライムよりも若干硬い身体に阻まれて、核を破壊することはできなかった。
ゼリー状の見た目に反して、火かき棒の一撃で金属のような甲高い音をあげた。次の瞬間、俺はスライムから明らかな敵意を感じた。
(来る?!!)
反射的にそう感じた俺は、火かき棒を目の前に戻して正眼に構えた。
――ドムン
低く濁った音が響いた後、スライムは俺目掛けて飛びかかってきた。
レベルアップしたお陰で俺の動体視力は驚くほど良くなっており、飛びかかってきたスライムを火かき棒の鉤爪の部分で引っ掛けるようにして地面に叩きつけた。
その衝撃で薄く広がったスライムの体内の魔核が明瞭に確認できた。俺は最低限の挙動と力で魔核に狙いを定め、火かき棒で打ち据えた。
――キーンッ!
スライムを火かき棒がとらえると、鉄琴を叩いたような澄んだ金属音が響いた。
【スライムLv2を討伐しました】
先ほどと同じようにドロップ品を注視すると、目の前に半透明の鑑定結果が浮かび上がった。
【スライムの魔核】
地属性。傷がついているがレアなので価値は最低限担保される。
【スライムの雫】
用途不明の雫型の何か。地属性を持つが用途不明のため、価値はゼロ。
鑑定内容はさっきのものとほぼ変わりがない。さっきと同じように魔核と雫を手に持ち、利用方法を考える。
すると――
(……やっぱりだ。先ほどと同様に鑑定の次に見える表示を読み込んで俺は確信した)
俺はゆっくりと振り返り、息をのんでこちらを見つめる三人の顔を真っ直ぐに見つめた。
「みんな色々聞きたいことはあるだろうが、先ずは俺から1つ 報告だ。『博識』の起動条件がわかったぞ」
「「「っ!」」」
俺たちを取り巻く過酷な現実の一端を、俺はどうやって家族に説明すればいいのだろう。
俺の葛藤を嘲笑うかのように異世界の空は変わらず、どこまでも青いままだった。




