4.贖罪と献身
彼女は、一命を取り留めた。
医師たちが必死に命を繋いでくれた。
けれど、戻ってきたのは、身体だけだった。
彼女は一日の大半を眠って過ごした。
目を開けることはあっても、彼女の瞳は私をうつしてはくれない。
呼びかけても、ほとんど反応を示さない。
自分で起き上がることも、歩くことも、以前のように笑うこともない。
ただ、長い微睡みの中にいるように横たわっていた。
彼女が両親に宛てた手紙には、感謝と謝罪が彼女らしい優しい筆跡で綴られていた。
私が彼女にしたことは、そこには何も綴られてはいなかった。
ただ私と婚約破棄をしたいと。
そこに、私を責める言葉は一つもなかった。
それが、何よりも苦しかった。
私は自らの罪を彼女の両親と私の両親に話した。隠すことなどできなかった。彼女を傷つけ、ここまで追い込んだのは、他でもない私なのだから。
彼女の家族は私に何も言わなかった。
しかし、その目には明らかな侮蔑が浮かんでいた。
私の父親にはその場で殴られた。
私は抵抗すらしなかった。いっそ殴り殺してくれてもよかった。そうすれば彼女の所に行って直接謝ることができるかもしれない。
ぼんやりとそこまで考えたところで、あぁ彼女はまだ生きている。と思い直す。
彼女との婚約を破棄することを、私は拒否した。
たとえ、彼女の私への最後の願いだとしても、それだけは受け入れられなかった。
それから、私は婚約者として彼女のもとへ通い続けた。
普通であれば、彼女には会わせてもらえなかっただろう。しかし、幸いにも家格は私の家の方が彼女の家より上であった。
そのため、彼女への面会を求める私が追い返されることはなかった。
彼女の家の使用人たちから向けられる冷たい視線も。彼女の両親から向けられる刺すような憎悪も、すべて受け入れる。むしろ、直接罵ってほしかった。殴ってほしかった。
その方が、まだ楽なのに。
私は少しの間も彼女と離れたく無かった。
今の私は彼女がいなくなってしまいそうな不安で押しつぶされそうだった。
夜も眠れない。やっと眠れたかと思うと、あの日の彼女の夢を見ては叫びながら目が覚める。
私は壊れてしまったのかもしれない。
ただ彼女のそばにいる。
それだけが今の私が息をする方法だった。
彼女のためにそばにいたい。
そう思っていたが、結局は私は私のために彼女のそばにいたいのだ。と気づいた。
ほとほと自分には失望する。
「ごめん……」
何度言っても、届かない。受け取ってはもらえない。
「君を傷つけるつもりなんてなかった」
そこまで言って、私は首を振った。
「……違う」
つもりはなかったはいい訳でしかない。つもりがなければ、なんでもゆるされる訳ではない。
事実彼女は傷ついたのだから。
「ねぇ、もう一度、私の名を呼んで….」
彼女からの返事はない。
窓から差し込む光が、美しい彼女の頬を照らしていた。
以前なら、何気なく触れていた。
髪を撫で、頬に触れた。
だが今は、彼女の頬に触れることさえ、私にはできなかった。
いくつかの季節が巡り月日は流れた。
しかし、彼女の状態がそれ以上回復することはなかった。
食事は自力での摂取は難しく、流動食を注入する方法がとられた。
身体を清潔に保つことも、着替えることも、日々の生活のすべてに、誰かの手が必要だった。
本当は、すべて私がしてあげたかった。
しかし、面会のみを許されている私は、二十四時間彼女のそばにいることはできない。
彼女への配慮もあり、一部の世話や医療的な面は女性の看護人を私が雇うかたちで彼女についてもらっている。
それでも私は、できる限り彼女のそばにいた。
彼女の髪を整え、頬を濡らした布で優しく拭く。
手に触れる。返事がなくても、話しかける。
「おはよう」
「今日は天気がいいよ」
「庭の花が咲いたんだ」
「君が好きだった花だよ」
彼女は今も、私にとって可愛い大切な人だった。
私の友人や家族は、もう彼女の事は忘れろと言う。
運が悪かったのだと。
私は私の幸せを考えるべきだと。
私の幸せ?
彼女がいなければ正気も保てないのに?
欲しかった幸せはもうないのに。
私はどうすれば幸せになれるのだろう?
やがて私は、彼女との婚約を、結婚へとすすめたいと思うようになった。
私の周囲は反対したが、私の意思は固かった。両親たちは私を説得することはあきらめたようだ。
そして、私は彼女の両親の前で、静かに頭を下げた。
「彼女と結婚をさせてはいただけないでしょうか」
返答はなかった。
彼女を私に繋ぎ止めるための結婚。
それは償いなのか、ただの執着なのか。
純粋な愛からの願いなのか。
もう、自分でも分からなかった。
ただ一つだけ、分かっていることがある。
私は彼女のそばから離れることだけはできないということ。
出会ったあの日、彼女が花を受け取って笑ってくれた瞬間から、私は彼女との未来を当たり前のように信じていた。
彼女が私の隣にいる未来を。
けれど、私が信じた未来を壊したのは、他の誰でもない。
私自身だった。
私は自分を許せない。
それでも。今日も、私は彼女のそばにいる。
私の謝罪の言葉は何の意味もない。
彼女には受け取ってもらえない。
それでも私は、彼女の手を離さなかった。
さらに月日が流れる中で、彼女の両親は私と彼女との結婚をみとめてくれた。




