↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱庭の夢  作者: 清水
2/5

2.初恋と花言葉

 



 私は高位貴族の家に生まれた。

 そのため、結婚は義務だった。


 家のために相応しい相手を選び、家同士の繋がりを強固にする。それだけのもの。

 だから、結婚に夢など見ていなかった。

 そこに愛などなくていい、そう、割り切っていた。


 そんな私の結婚に対する価値観が、彼女と出会ったことで、跡形もなく粉々になってしまうとは。



 年頃になった私は、そろそろ女遊びをやめて、真面目に結婚相手を決めろと両親からせっつかれるようになった。


 幸い、私は容姿には恵まれていたし、家柄も良く金もある。貴族が通う学院でも優秀だったし、友人にも恵まれた。

 性格は優しそうに見えて腹黒と、よく友人に言われるが、貴族においては褒め言葉だ。


 本音を言うなら、結婚相手なんて、見た目がそれなりに好みで、性格もそこそこ良ければ誰でもよかった。

 しかし、まだ遊んでいたかったし、一人の女に決めるなんて御免だった。


 だが、今回は両親も本気だった。


 いつものように軽くあしらって逃げることも、のらりくらりとかわすこともできなかった。

 そしてとうとう、母が私のために開いたガーデンパーティーという名の見合いに参加させられた。


 ギラギラとした令嬢たちに囲まれ、精神的に疲れ果てた私は、令嬢同士で言い争いが始まった隙を見て抜け出し、友人たちとこっそり庭の隅で管を巻いていた。


「なんだか、みんな同じ顔に見える。もう誰でもいいよ。どうしても選ばないといけないなら、石でも投げるか。…当たった子を嫁にしよう」


 冗談半分にそう言って、石の代わりに、そこらに飾られていた花を手に取った。

 何の花かなど、見もしなかった。


 そして、無造作に放り投げた。

 それが、通りかかった令嬢に当たった。


「……っ」


 花は桃色のブバルディアだった。

 ただの花とはいえ、茎で令嬢に怪我をさせていたら大変だ。

 私は慌てて駆け寄った。


「申し訳ない。怪我はないか?」


 目で確認した所、令嬢に傷などはなさそうだ。

 しかし、私の胸ほどまでしか身長のない小柄なその令嬢は、俯いたまま、手の中に落ちた花をじっと見つめている。


 返事がない。

 私は内心、眉をひそめた。


 機嫌を損ねたか?

 面倒なことになったな。さて、どう機嫌を取るべきか。


 そう思案していた、その時だった。

 目の前の令嬢から、鈴を転がしたような笑い声が聞こえた。


「大丈夫ですよ。びっくりしただけです。」


 顔を上げた彼女が、私が投げた花を手に持ち、眺めながら困ったように微笑む。


「綺麗な花ですね。これは……私が頂いても?」


 そう言って、彼女は私を見上げた。


 そして、笑った。

 まるで、花が咲くように。言葉が出なかった。


 美人というわけではない。

 女性らしい身体つきをしているわけでもない。

 つまり、私の好みではなかった。


 そのはずだった。

 なのに。


 柔らかな茶色の髪は、陽の光を受けてさらさらと輝いていた。青い瞳は光を宿してきらきらと揺れる。


 一目惚れだった。

 生まれて初めての経験だった。


 あまりにも突然のことで、私は彼女の名前すら聞けなかった。

 私は彼女が去った後も、真っ赤になったまま、その場に固まってしまい、そんな私を見た友人たちに散々からかわれた。


 だが、幸いなことに、参加名簿を調べ、彼女の名と家名を知ることができた。

 私はその足で父のもとへ走り、告げた。


「結婚したい女性がいる」


 父は目を丸くした。

 当然だろう。

 あれほど結婚を嫌がり、気が向いた女と適当に遊びばかりしていた息子が、初めて自分から結婚を望んだのだから。



 彼女を誰かに取られたくない。

 自分だけが彼女に触れ、慈しみたい。

 そんな感情を、私は生まれて初めて抱いた。

 人生で、あれほど一生懸命になったことはなかった。


 早く彼女と婚約しなければ。


 誰かに見つけられる前に。

 誰かに奪われる前に。


 そう焦るほど、私は彼女に夢中だった。


 婚約の顔合わせの時、私はガーデンパーティーで花を投げつけたことを再度彼女に謝罪した。

 そのことをすっかり忘れていた彼女に、そんなに私に興味がなかったのかと少しショックを受けたが。


 そうして始まった私たちの婚約と、それからのあゆみは私の人生で最も幸せな時間だった。


 彼女と過ごす時間が愛おしかった。


 顔を合わせるだけで嬉しく、名前を呼ばれるだけで胸が高鳴った。


 彼女が笑えば、それだけで幸せだった。






 しかし、ただ、一つだけ。私には不満があった。


 自身の、肉体的な欲についてだ。

 これまでの私は、適当な女と関係を持つことで、それを簡単に処理してきた。


 そういう相手を選び、後腐れなく。

 欲を満たすだけなら、それで十分だった。


 けれど、今は違う。


 私の婚約者は、十六歳になったばかり。

 そして何より、私は彼女を大切にしたかった。

 愛しくて、慈しみたくて、だからこそ安易に手を出したくなかった。


 彼女もまた、そのような素振りを見せることはない。

 ただ抱きしめるだけで、耳まで真っ赤にしてしまう。


 それがまた、どうしようもなく可愛いのだが。


 正直に言えば。

 彼女と欲を与え合えるのなら、私は天にも昇るような幸福を得られるだろう。

 だが、それは今ではない。

 そう、自分に言い聞かせていた。


 しかし、一人で悶々としていた私に、隙がみえたのだろう。ある時、過去に度々肉体的な関係を持った女から、誘いがあった。

 茶色の髪、青い瞳、成熟した、大人の女。

 彼女と同じ色を持っている。


 ほんの一瞬。

 その姿に、私の婚約者を重ねてしまった。


 そして、その時、魔が差した。


 深く考えることもなく、私はその女との約束を取り付けてしまった。軽い気持ちだった。

 ただ、これまでと同じように欲を処理するだけ。

 それだけのことだと、思っていた。


 女と会う約束の日の前日。


 婚約者の彼女が、明日街へ使いに行くのだと言った。

 そして、私を街に誘った。


「一緒に行きませんか?」


 その言葉に、私は強く心を揺さぶられた。

 彼女のそばにいたい。一緒に出かけたい。

 そんな気持ちは、当然のようにあった。


 けれど、今の私が悶々としたまま彼女のそばにいたら、彼女に手を出してしまうかもしれない。


 いや。きっと、手を出してしまう。

 そう思った。


 これまで好き勝手に遊んできた私にとって、こんなことで悩むのは初めてだった。

 十九歳という若さが持つ欲に、いつまで抗えるのか。


 自分でも分からなかった。

 だから、彼女を大切にしたいという気持ちを言い訳に、私は泣く泣く彼女の誘いを断った。


 決して、彼女を蔑ろにしたつもりはなかった。




 けれど。


 今思えば、私はいつの間にか、彼女がそばにいることに慣れてしまっていたのだ。

 彼女と共に過ごすこと。

 彼女が笑ってくれること。

 彼女が私の隣にいること。

 それらすべてを、当たり前のものだと思ってしまっていた。彼女との未来もまた、当然のように私の目の前にあるのだと。


 決して揺らぐことのない、確かなものなのだと。

 そう、思い込んでいた。


 彼女と過ごせる日々も、彼女が私の名を愛しそうに呼んでくれることも、彼女と共に描く未来も。

 決して、当たり前のものではなかったのに。


 私はそのことに気づくのが遅すぎた。


 まさかこの先、死よりも辛い後悔が、自分を待ち受けているなどとは。

 この時の私は、知る由もなかった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。