8話 やりやがった……
良い匂いがする……。
その鼻腔をくすぐる感覚に意識が覚まされた。
夢か現実かいまいちはっきりしないまま、目をこすりながら身を起こす。窓から差し込む夏の日差しが目に痛んだ。
「あっ、お姉ちゃんおはよう!」
外の太陽を具現化したような元気な声。寝起きに大声はやめてほしいんだけど。
いや、それよりも先にとある疑問が湧いた。
「おはようって……いやいや、何してるの?」
自身の目を向ける先、そこには一昨日拾ったポメラニア……ポメッコがいた。
いやまあ、それはいいんだけど、それよりその光景が気になるよね。
なんでフライパン持ってんの? しかもキッチンに立ってるし。
「ん? なんでって、料理してんの」
うん、見ればわかるよそんなの。そういうことじゃなくてさ……。
「……なんでキミが料理してんの。てか、普通に良い匂いなんですけど」
「えっへん! 朝起きてネットで調べたんだ! お姉ちゃんにおいしいごはん食べてほしくってさ!」
廃棄予定だった新聞紙の山を土台にして立ち、八歳児が一丁前に料理をしている。その違和感も甚だしい光景は、まだ夢を見ているのかと思うほどだ。
何がすごいって、けっこう料理の手際がいいんだよ。ほうれん草なんか、フライパンでプロ並みの手つきで炒めているじゃないの。
「ネットって……使い方わかったの?」
「ちょっと使えばすぐにわかるよ。早起きして、お姉ちゃんのパソコンで勉強したの!」
「早起き……。って、もうこんな時間!?」
スマホに目をやると、すでに昼の十二時を過ぎていた。初めてだ、こんな時間まで寝ていたの。いつもなら最低でも八時には起きてるのに!
「うわぁ、すごい時間を無駄にした気分……!」
今日のバイトは午後からで、時間的にはまだ余裕がある。だからこの時間に起きようが問題ないんだけど、それでもなんか罪悪感がある。いや、そんなもの感じる必要ないんだけど、なんかね。これも普段から貧乏生活を送ってきた性なのかなぁ。
「まあまあ、別にいいじゃないの。僕もたくさん寝るの好きだし。たまにはゆっくり休む日もあっていいと思うな!」
「……そうっすね」
ちびすけの心遣いが逆に辛い。なんというか、こんな小さい子に慰められるのが情けない。自分もう高校生ですよ? まあ、すでに中退していますけども。
「お待たせぃ! 今日のお昼ご飯だよー!」
小さな円卓に並べられたのは、目玉焼きにしゃけ、バターで焼いたほうれん草。そして味噌、白米といった献立だ。食のテンプレと言っていいような、とても健康的な並びだった。まあ、昼食というより朝食っぽいメニューだけど。
「……すごーい」
普段自分が作るもやし炒めと比べたら、上等なものだ。なんかちょっと、食べるのが勿体無いくらいだよ。
「ふふん、がんばったからねぃ!」
八歳の子供な上、日本に来てまだ一週間も経っていない。それなのに、ネットを使いこなして料理までできるとは。さすがは異世界の王子といったところか。
久しぶりの人の手料理を前に、お姉ちゃんも感激を隠しきれないよ。
「ありがとう。なんか、すごい嬉し……い?」
と、思った気持ちを返してほしい。台所に目を向けると、すぐさま絶望に苛まれた。
「……なにこれ?」
なんか、油がすごい床に飛び散ってるんですけど……。ていうか、卵とかめっちゃ割れてる。……あれ? なんか皿も割れてない?
「……ちょっと、あれ」
「ん……? あっ! 何これすごい汚れてるじゃん!」
「こっちのセリフだわ! どんだけ散らかしてんの!」
「あはは、集中してて忘れてた。そういえば、上手く作れなくて卵全部使っちゃった。あと、お皿も何枚か割っちゃった。てへへ」
「てへへ、じゃないよ! ……って、まさか!」
嫌な予感がした。いや、しなくてもなんとなく想像つくけど。
弾かれるように冷蔵庫を開けた。そしたら案の定、中身すっからかんですわ……。
「……卵、特売で買った卵、全部ない。というか、食材が何も残ってない……」
「あはは、ごめんごめん。なんか、悪い夢でも見てるみたいだよ……」
こっちが夢だと思いたいわ……。
「何してくれてんのよぉ。どうすんのよぉ……。こちらとら計算してギリギリ生活できる量買ってたんですけどぉ!? 必死にお金貯めて買ったんですけどぉ!? それが一気に無くなってんですけどぉ!?」
「ごめん! ごめんなさい! 泣かないでお姉ちゃん! 生きてればいつか良いことあるよ!」
何言ってんだこいつ。
「励まし方ズレてるよ……!」
あぁ、もういいか。いや、よくないけど。借金がないおかげでバイト代を正面から生活費に当てられる。そう考えたら、これからのやりくりで立て直せることはできるでしょ。
「私も手伝うから、掃除するよ。あと、これから何かする時は一声かけてね」
「ラジャー! 了解であります!」
「……本当にわかってるのかな」
あらかた片付けをし終え、机の上に並べられた料理にようやく手をつける。幸果の分だけ作って、自分の分を作り忘れていたらしいので、二人で分けながら食べた。
その後はバイトの時間だ。ポメッコに見送られ、そのまま幸果は家を発った。
このトラブルメーカー小僧を一人にするのはなかなかクレイジーだけど。帰ったら部屋が燃えてましたとか、洒落にならないよ。まあ今は、また何かやらかさないことを願うばかりだ。
「お疲れ様でーす」
さあ、憂鬱なバイトタイムだ。基本はレジで接客して、時間になればパンの割引シールを貼るだけの仕事なんだけど、いかんせん退屈で一時間が二時間のように思えてしまう。
まあ、忙しすぎるのも嫌だけどさ。
「えーっと、これはこれで……」
本日はすでに十六時を過ぎているので、規定通りパンに割引シールを貼っていく。これは何も考えずにペタペタ貼っていくだけだから、存外のこと楽なんだよね。
「花守さん、さっきの焼きそばパン、バーコードをちゃんと隠して貼れてないわよ」
はい、本日も鹿島さんがおいでなすった。この人、苦手なんだよなぁ。
「あぁ、すみません」
「お金もらってるんだから、ちゃんと真面目にやりなさい」
「……はい、以後気をつけます」
相変わらずの強気口調だなぁ。
別に不真面目にやっていたわけじゃないのに、もうちょっと優しく言ってくれてもいいじゃないの。
この人、絶対友達いないよ。というか、いてたまるか。
絶対自分のこと嫌ってるよ。と思いながら値引シールを貼る幸果。
こんな居心地の悪い思いをしながら、なんとか本日もお金のために耐え凌いだ。
退勤時間がやってきたのなら、いつも通り廃棄のパンを盗ん……調達してさよならだ。
でも、今日はそのまま帰宅というわけにはいかない。バイトを終え次第、同じフロアの隣に設けられたスーパーへ足を運んだ。




