37話 異世界からの使者
その夜、ポメッコはタイミングを身測りながら、ベッドからこっそり身を起こした。傍には、すっかり寝静まった幸果と城ヶ崎がいた。後者が前者に抱きつき、どんな夢を見ているのか頬にキスをしている。幸果は息苦しそうに悶えているけど。
なんだかんだ仲良しだなぁと、ポメッコは二人を眺めながら顔をほこらばせた。
二人を起こさぬようそっとベッドから降りて、忍びのごとく部屋を抜け出そうとした。
しかし——
「んー? ……あらぁ、ポメッコちゃん? どうかしたのぉ?」
「ぎくっ! ……お、お姉ちゃん」
部屋のドアノブに手をつけた瞬間、ふいにベッドから声をかけられた。城ヶ崎である。
「いやー、ちょっとおトイレにねぃ!」
「あらそうなの? でしたら、わたくしがついていってさしあげますわ。夜は怖ーいお化けが出るかもしれませんよぉ?」
手を前に出してお化けのポーズをする。ポメッコを怖がらせて、自分に甘えてもらえたいのだろう。
「だ、大丈夫だよ! 僕もう八歳だもん! 一人でトイレくらい行けるもん!」
「まあまあ、そう遠慮なさらずに——」
「あー、漏れるー! もう出そうだからちょっと行ってくるねぃ!」
「あっ、ちょっとポメッコちゃん!?」
急いでドアを開き、逃げるように部屋を飛び出した。今は城ヶ崎に来られると都合が悪いのだ。気持ちだけ受け取っておこう。
「ふぅ、やれやれ……」
そのままポメッコは廊下を進み、玄関へとやってきた。ゆっくりドアを開き、外へと出る。魔法で身体を浮かせて門を飛び越えたのなら、城ヶ崎の敷地から脱出完了。
その足で、薄暗い路地裏へと入っていった。
「……ハーネス、来たよ。出てきてよ」
先の見えない闇の中に向かって、ポメッコはその名を呼んだ。
すると、カツカツと足音を鳴らしながら、その人物はこっちらに向かって姿を現した。
「お久しぶりでございます、坊ちゃま。……いえ、ポメッコ王子」
男は再会の喜びを堪えながら、涙を抑えた上擦った声でそう言う。
ハーネス・ジャルダック。ポメッコが生まれたその日から、彼に仕え続ける執事だ。白髪をした老紳士であり、黒を基調としたスーツをピシッと着込んでいる。
すでに六十歳を超えているのに、その老いを感じさせないきっちりとした佇まいと言葉使いは、まるであらゆる戦場で修羅場を潜り抜けてきた軍人のように感じられる。
「久しぶりだね、ハーネス。まさか君がこの世界に来るなんて思わなかったよ」
「恐れ入ります王子。しばらくはこの世界で安泰な暮らしをしたいとおっしゃっていましたので、わたくしめも王国で勤めを果たしておりました。しかし王子、申し訳ございません。事態はすでに変わってしまったのです」
「どういうことかな?」
ハーネスの顔つきが、より一層真剣なものになった。その影を帯びた表情から、ポメッコも固唾を飲む。
「単刀直入に申し上げます。王子、今すぐお国にお戻りください」
「……何があったんだい?」
「魔族が我が国に攻めてきたのであります。今までは国兵力の統制がとれていたため、何とか凌いでいましたが……それももう限界でございます」
「……何か、あったの?」
声のトーンが下がり、どことなく嫌な予感がした。ハーネスは躊躇うように間を置き、口を開く——
「……王が、お父様が持病で倒れられたのです」
「…………父上が?」
身体が一瞬にして凍りついた。ハーネスは、ポメッコの気持ちを察して、心を痛めながら続けた。
「元々心臓に持病があったことはご存知でしょうが、つい三日ほど前、急激に悪化してしまったのです」
「そんな! でも、お医者様からは生死に直結するようなものじゃないって、言われてたじゃないか!」
「それが、今回の魔王軍新略により多忙を極めておりまして。おそらく、それが原因かと」
「……」
ハーネスは続けた。
「王子が世界を旅立たれてから、あらゆる役目の穴埋めをやってまいりました。手が回らないこともあり、兵力が機能せず、国の統制がとれていないのであります。王も命に別状はありませんが、国の兵力はすでに機能しておりません。それにより、魔王軍の侵略も防げずに……」
「……そんな」
「幸いにも、まだ死者は出ておりません。侵略も何とか防げてはいますが、それもいつまで持ち堪えられるのか。現状ポナペティア王国は、いつ滅んでもおかしくない状態にあります。申し訳ありません。わたくしにお任せいただいたというのに、こんな有様となってしまいまして」
「……違う。そんなの、僕のせいだよ」
「いえ、わたくしの責任であります。どうか、何なりと処分を」
ハーネスはポメッコの前で跪き、頭を下げた。細やかな動作と言葉使いから、覚悟を決めた本心で語っているのだとわかる。長年ポメッコに仕えてきただけのことはあり、主人への忠誠心は本物であった。
「……やめてよ、ハーネス。君のせいじゃない。全部、僕のせいだ」
後悔をする時は、いつだってすでに遅いのだ。自分がぬくぬくとこの平和な世界で遊んでいる間に、故郷は危機に見舞われていたなんて。自分は、一体何をやっているのだと。
……でも、違うんだ。自分はただ、ちょっとだけ休みたかっただけなんだよ。王家に生まれて自由もなくて、一度くらい思うがままに息をしてみたかっただけなんだ。
いや、それも全部言い訳だよね。自分は、王子失格だ。
「ポメッコ王子、どうか一刻も早く国に戻ってきてください。あなた様は王家の中でも最上位の魔術の使い手であらせられます。王子がお戻りになられれば、魔王軍の侵略も止められるのです」
「…………」
戻るしかない。話を聞いてすぐにそう決めた。国に戻って、王子としての責任をとらないと。父上にも、ちゃんと会って謝りたい。
「わかった、戻るよ」
「異世界転移魔法陣の行使は、上級魔法な故に三日は時間を要してしまいます。三日後のこの時間に、また王子の元までお迎えに参ります。それまでわたくしは、どこか人目のつかない場で身を潜めておりますので」
「わかった。ハーネス、いつも迷惑をかけてごめんね」
帰還は三日後となった。自分で巻いてしまった種なのだ。迷う権利などない。
もう充分楽しかった。充分自由を満喫できた。そろそろ自分の本来の役目に戻らないと。
しかし、一つだけ思い起こされるのは、やっぱりこの世界に来て初めて出会った、大好きな命の恩人。
幸果ちゃんに、なんて説明しようかなぁ……。




