秘密のご奉仕
*
振り返れば
誰かの口にのぼることも
目に触れさせることも、耳にするのも
拒否したい思い出のひとつやふたつ、あるだろう。
思い出せば、枕に顔を押し付けながら身悶え
願いが叶うならばー、そう、できることなら
いまだ心を抉ったままの羞恥が残した爪痕を
記憶から完全消去したいほどだ。
人はそれを“黒歴史”という。
どうだろう、パッと思いつくほろ苦さは
諸君らの頬を染めるか?
それとも、落ち着きがなくなるか?
騒ぐでない。ー、聞け、
『現実を受け止めてこそ、未来への一歩が開ける』
けどさ、そうは言っても心の準備とか
トラウマだから触れないで欲しいとか
ほっといてくれよ!!と、触るものみな傷つけたりするじゃん。
向き合う?無理無理、誰しもみな
スネに傷あるからね。そ〜っと隠しとこ。
だから、自分のことは置いといて
まずは他人の黒歴史を覗いてみよう、そうしよう。
以下は、黒歴史となった
とあるネズミの独白から始まる。
*
私が魔女を嫌いか、と?
愚問だ。
私は魔女の使い魔である以上のことはない。
ー あれが“魔女”なら。
あれは、魔女ではないが、魔女だ。
過去、以前の魔女を知っている。
今の”とんでもない”行動の数々に、魔女の気が狂ったとー。
この瞬間ですら思っている。
だが、魔女の魔法は、以前のまま膨大で強力で
いとも簡単に家を作り替えてしまった。
暗く、空気の動かなかった部屋に、あたたかい光と
涼やかに通り抜ける風。
テーブルにはー、花まで飾ってある。
どういうことだ。
魔女が料理をしている。
包丁を持つ手が、誰かを殺すためじゃないなら
料理をしてると言っていい。
まな板の上をリズミカルに何かを切る音がした。
音を聞きながらー、
アイスクラピウスが言っていたことを思い出す。
『接吻によって使える魔法時間は3分だ』
3分という制約、これは誓約に近い。
最強の魔女に使用されるようなものではないはずだ。
この世界で魔女は、頂点に君臨するほどの魔法使いだ。
誓約とは、“誓う”ものだ。ー 何に?
だが、私はこの誓約の何たるかをー
知っているような、・・・答えるには時期尚早だ。
話が少々脱線したようだ。
私は魔女の使い魔となって100年余りの、ネズミだ。
使い魔として、と言うと聞こえはいいが
雑用だけじゃなく魔女の魔法補助もしてきた。
主に、魔女が次に起こすために必要な予備機動する魔法陣を敷く。
以前の魔女と会話があったか、と?
いや、ない。必要がないからだ。
魔女が私を呼ぶことはない、勝手に連れ戻され
勝手に飛ばされ、指示のサインがあるだけだ。
それだけに魔女の所業は、100年余り目の当たりにしてきただけに
この目の前の現実がどうにもー。
受け入れ難い。
この今いる魔女は何かを隠している。
では、”何”を隠してる?
ヘラヘラ顔した魔女の腹に、何を思うか
私は知らない。
ずっと、
魔女の秘密に私が入り込む余地はなかった。
魔女の感情は動いたことなどなかった。
私は使い魔として、使われるだけだ。
ただの道具として使われる。
用がなくなれば死の運命が隣にある状態で
私はー。
それが、使い魔だ。
魔女が以前と違うと言ったな、それにはいくつか理由がある。
それは、魔女の言動、行動に関係する。
”呪いを解く”
自分がかけてきた呪いを解くだなんて
魔女の頭がおかしくなったと思うに決まってるじゃないか。
呪いを解くだなんてー。
ああ、それに。
魔女は妖精を逃す行動をしていた。
なぜだか知らないが、腰を痛めていたようで
それもまた、不思議な光景だった。
魔女は通常怪我をすれば、すぐに“妖精の粉”を使用する。
その薬の元を使用するどころか、ー 逃そうと?
瓶を持ち、蓋を開けようと力一杯回そうとしていた。
これをおかしいと思わないはずはない、事実あの魔女が
唸りながら蓋を回そうとしていたのだよ。
それらすべてが、すでに魔女のやり方ではなかった。
本棚から覗いていたがこの行動だけで
私を困惑させるには十分だった。
聞けば
姫君にかけた呪いを解くつもりでいるらしい。
ー なぜ?
答えはこうだ。
「“金枝”、あれほしいんだよね〜」
簡単にいうが、魔女、それは ー。
これもまた、魔女の真意が掴めない以上
私が特筆して申し述べることはない。
だが、これからいう事実こそが
私がこの魔女を、以前の魔女とは思っていない理由であり
最も、警戒に値すると言っていい。
魔女が私の名を、呼んだ。
自分の名を呼ばれたのは、久しい。
誰も、もう、私の名を呼ぶ者はいないのに。
その名を呼び、これからも呼ぶと言う。
『名』こそ、個を、事象を特定するものだ。
そう、私の名は“ラース”。
長いこと、自分の名を呼ぶ者はいなかった。
鼻をくすぐる油炒めの匂いを嗅ぎ
私は出窓から1日の名残を見つめていた。
まだ、わからない。ー あの魔女だ。
信ずるに値はしないが・・・経験則に基づくなら
魔女のやることに裏があることは分かる。
「ラース?」
振り向くと、魔女が腕まくりしたまま腰に手を当て、笑っている。
私にとってみたら、その笑いが空恐ろしいのだが。
「何だ」
「もうすぐご飯だから、お風呂入ってきてって〜。
さっきも言ったよぉ〜。」
「フン」
風呂に入る振りをして、どこかへ行こうとした。
「1人じゃ入れない?一緒に入ろっか?」
「ななななっ!と、とんでもない!1人で入れる」
「ふふふ〜。遠慮しなくっていいよ〜?私、お風呂の介助だって上手だよ。」
「かい...じょ?」
「あっ!いや、その背中流すの得意ってこと!」
「いや、結構だ」
どうも調子が狂う。
こんなこと、使い魔になって初めてだ。
魔女はニコニコしながら、タオルと石鹸を手渡してきた。
「これ、ラース仕様のタオルと石鹸ね。
ちゃんと洗わないとダメだよ!
ラース用のお風呂だって準備してるよ!
あっ!ちゃんと洗ったかどうか
後で見にいくからね!」
「んなっ?!」
魔女は鼻歌混じりに台所へ向かった。
その背中を見ながら、私は明日にでもこの世界の崩壊か
はたまた、警戒のあまり、逃げもせず
若干のやるせなさと一緒に風呂場へ向かった。
風呂に入るのも相当ひさしぶりだ。ー。
いつもは雨水か、その辺の川の水を浴びる程度だ。
風呂場は白いタイルに水色のモザイク柄で彩られた
スッキリしたものだ。華美なデザインは好まないから
この程度で十分だ。
大きなバスタブの横に並べられた椅子の上に
私専用のバスタブが備え付けられていた。
かすかに眉をひそめてしまった。
「これに入れ、と言うのか...」
私はタオルと石鹸を手にしたまま
しばし立ち尽くしていたように思う。
入るのが嫌なのではない。
魔女の意図するところがわからないのだ。
私はネズミだぞ?・・・。
バタバタと、駆け足でこちらに来る音に
我を取り戻した時には
魔女が風呂場のドアを開け放し、息を切らせていた。
「ラース!体、洗ってあげる!!」
眉間にしわが寄るのがわかる。
「何をいってるのか、お分かりか、魔女。」
「だって背中洗えないじゃん!!」
「?背中?」
「腕、届かないでしょ?!」
「・・・」
「それにほら、ー、相棒でしょう?」
くぐもった風呂場の湯気に魔女の顔は見えなかったが
”相棒”という言葉だけが私の頭上から降ってきた。
(ー 相棒...?)
使い魔だぞ、主従の関係だ。
使い魔の契約をしているのであって、仲間ではない。
なんだ、この魔女は。ー 誰だ、お前は...誰なんだ。 ー
「な、何をする」
言い切る前に、魔女は私の体を鷲掴みし
大きなバスタブに張られた湯に浸けた。
「暴れないでね〜ぇ、汚れを落としますよ〜」
暴れるだと?ー 馬鹿言ってもらっちゃ困る。
魔女を目の前に暴れるなどとは愚行だ。
大人しくして
それこそ魔女の気が済むのを待つしかない。
ー 私は使い魔のネズミだ。
私は身動きせずに魔女を見続けた。
相変わらずにこやかな魔女は
私を湯の中で毛並みを撫でるように洗う。
時々、手や足の先を揉むように優しくさする。
こうして鷲掴みされ、湯の中で体を揉まれるのも初めてで
私はもはやまな板の鯉、ならぬ
湯の中のネズミだ。
そのうち別のタオルの上にそっと置かれた。
「石鹸泡立てるから、待っててね」
「い、いい!もうやらなくていい」
私の声なんて、聞いてないんだろう。
そのへんは魔女のままだ。
器用に石鹸を泡立て、魔女はまたしても私を鷲掴みした。
「おい、や、やめろ」
「石鹸つけますよ〜」
魔女は私の腹あたりに泡を乗せ、くるくると洗い始めた。
ー くすぐったいのだが。
「かゆいところはありませんか〜?」
「(あっても言わない)」
もはや、人形遊びしてる子供の体だ。
この魔女に聞く耳などない。
「尻尾も綺麗にしましょうね〜」
自分を人形だと思うことにした。
何かを言えば、魔女を喜ばせるだけになる。
何故と魔女に問えば、思わぬ答えにまた戸惑うだけだ。
「ねえ、ラース。」
湯気の中、魔女の声が静かに響く。
「・・・なんだ」
「なんで、呪いを解くのかって聞いてきたよね」
指先は優しく、撫で洗う手つきに
「・・・ああ」
「“金枝”がほしいって言ったじゃん」
「・・・ああ」
尻尾から背中へ泡と指は移行した。
「私、ラースとした約束、覚えてるからね」
「?!(約束だと?!)」
くるりとひっくり返され、目が合う。
「約束とはー」
魔女の人差し指が私の額を、耳を、頭を撫でる。
まるで、壊れ物をそっと触るように、私の顔を撫でている。
「え〜?覚えてないの〜?」
魔女がクスクス笑う。不思議と嫌悪はなかった。
そっと、指先は顔を撫でた後、顎の下を擦る。
「〜〜〜〜っま、魔女っ、く、くすぐった」
「あれ、くすぐったかった?
ごめーん、力加減わかんなくって。」
ーこれだ。すぐ謝る...。あの魔女はそんなこと、一度も...。
「最後はお尻と前、洗うね」
「 は? 」
血の気が引く。
「魔女、も、もう十分だ。あとは自分で」
ぬるん。
「っぁん!?」
おネズミさまの思い出が乱れておりますので
以下、文字化することをご了承ください。
「らっらめえっ!そっそこ弱いのぉおっ
そっそんなところっぐりぐりしないでえっ
悔しいのに感じちゃう!らめっ、おひりっ
あ゛ひぃっ!はふーんっっ」
ーしばらくお待ちください。ー
チャポン。
「お湯加減はどうですか〜?」
私は、小さな私専用のバスタブに入っている。
魔女は覗き込む。
私の頭には折り畳まれたタオルが載せられているが
私は抵抗することはない。
すでに私の何かは失われた。何かは聞かないでほしい。
魔女は立ち上がり
捲り上げた袖口を引っ張り出して
私を見下ろし満足顔だ。
「ふふ、綺麗になってよかった。
じゃぁ先行ってるから、体を温めてきてね。」
私は返事すらままならない。
そして、魔女は付け加えた。
「ねぇ、ラース。綺麗な毛並みだったんだね。
汚れてたけど、今は金色で、とっても綺麗。
目も黒いかと思ってたけど
アメジストみたいな紫色なんだね。
ー 何だか、得した気分だよ。
あとさ、・・・魔法、使えるようにしてくれて
“ありがと”。」
静かにドアを閉めた。
私は、ラース。
魔女の使い魔で、ネズミのラース。
あぁ、魔女が嫌いか、と聞いていたな。
愚問だ。
軽蔑はするが、最強最悪の魔女に違いない。
*




