310話 アデルの遠慮
遠慮って言葉は、深謀遠慮の半分というか、なんか辞退するという用途にはもうひとつしっくりこないというか。
夜9時を過ぎて、アデルが僕の部屋にやって来た。
まだ年末興業が続いているから泊まってはいかないものの、ときどき部屋を訪れるようになっている。今夜もそうなのだろう。
「それでね、お婆ちゃんが、年末年始に別荘を使って良いって。どうかな?」
おっ。重要な話題だ。
「ベネディクテさんが。別荘って、ボランチェの?」
「そう。あそこなら、人も少ないし、温泉もあるし」
「いいねえ。僕の方でも、いくつか目星を付けていたけれど。ベネさんが言ってくれるなら。お言葉に甘えようか、でも……」
「ん?」
「食事を夏みたいにしないと。アデルは辛くない?」
「あぁ。メイドさんは、派遣しておいてくれるって」
「おおぅ。いや、うぅん」
人まで付けてくれるのか。
「え?」
僕の消沈ぶりを見て、よろこんでいた彼女の顔がすこし陰った。
「いやあ。ベネさんにそこまでしてもらって、いいのかなあって。ちょっと」
「それは、そうなんだけど」
ホテルとは違って、別荘だと対価を払うということがむつかしいよなあ。後援会長だから、アデルに尽くしてくれるのは良いとして、僕がそれに乗って良いのかな?
「ちゃんと、お婆ちゃん孝行するから大丈夫よ」
おそらく、ベネさんもそれを願っている……か。
「ふぅむ、頼むよ」
僕も間接的になるけれど、クランに貢献しないとな。
「よし、決まりね。日程はどうする? 年末公演は27日までだけど、28日はお父さんのところよね」
「うん。行くって返事したよ」
「じゃあ、29日に出掛けるでいいかな」
「そうしよう」
「じゃあ。私、戻る……ふぅん」
アデルは、立ち上がり掛けて、止まった。
「ん?」
「なんだろう。この部屋って、気のせいか喉が楽なのよね」
「ふふっ。あれを見て」
サイドテーブルを指す。
「ツボ? あんなの前から有ったっけ?」
「いやあ、1週間くらい前に置いたから」
立ち上がって歩み寄ると、魔導具の魔石に2度触った。まもなくツボから気体が噴き出した。
「へえ。蒸気?」
「うん。今は冬場で、空気が乾燥しているからね。蒸気を出して加湿していると喉が楽になるんだよ」
「加湿……」
アデルは、わかったようなわからないような風情だ。
地球というか怜央が居た日本では当たり前だったようだが、セシーリアに冬場に加湿という概念は一般的ではない。
「お風呂に居ると、喉が楽だと思わない?」
「ああ、そうかも……」
アデルも立ち上がって、寄ってきた。
「ここは、お風呂に近い湿度ってことなのね! でも、さっきは出ていなかったわよね」
「今は強制的に噴き出しているけれど。さっきまでは部屋の湿度に応じて加湿をする設定になっていたんだ。無駄に蒸気を出すと、蓄魔石の魔力を使ってしまうからね」
「なるほど」
アデルは、何か言い掛けたが、眉根を寄せて止まった。
反応がうすいな。
「あと。別の使い方として……こっちへ来て」
蒸気を止め、魔導具を持ってソファーへ持っていく、テーブルに置いて、ツボを傾けた。
再度魔石に触って、蒸気を出した。そして、顔に当たるように持っていく。
すると、魔石の色が変わった。
「えっ、レオンちゃん。熱くないの?」
「うん。気持ち良いよ。お風呂以上の温度にならないように制御しているからね」
「へえ……本当だ」
手を伸ばして、温度を試している。
「ちょっと。私もやってみても良い?」
「もちろん」
ソファーの場所を変わって、アデルが蒸気を浴び始めた。人感センサーを付けて、人間が近くに居る場合は、蒸気の元として壺内の水を使わないようにした。壺を使い続けるうちに、汚れていくだろうから、それとミストになった段階で瞬間加熱して殺菌もするようにした。また、人間が近傍に居続ける場合は最長15分で、運転を自動的に止めるようにしてある。
「わぁ。なんか気持ちが良い。顔だけ蒸し風呂に居るみたい」
5分くらいそうしていたが。
「あっ、ありがとうね」
「もういいの?」
「うっ、うん」
やや、眼を伏せ気味にして、やや唇を尖らせている。
「アデル。どうかした?」
「ううん……」
両肩を持って僕に向ける。
「何かあったんでしょ? アデル」
彼女は、何度か目を瞬かせた。
「ユリアさんが……何でも、レオンちゃんに頼るのは良くないって」
ああ。
「そうかな?」
「アーキ茶葉の件とか、ボイラーと冷蔵の魔導具とか。たくさん」
「もしかして、この前、レオーネの予約を自分でするって言ったのも?」
「うん。遠慮もなく、頼りっきりになるのはだめだって。アデルはそういう、厚かましい女になりたいのかって、叱られた。レオンちゃんも嫌でしょ」
むう。ユリアさんか。如何にも言いそうだ。ただ、この件は、相手が僕だからっというよりは、ちゃんとアデルのことを考えていそうだけど。
「アデルは、僕の他に、いろいろな人にねだっているの?」
ううんと首を振る。
「レオンちゃんだけよ。他の人には変な借りを作りたくないもの。それに、まだ新人みたいなものだし」
「じゃあ、問題ないと思うよ」
「レオンちゃんは。平気なの」
「僕はアデルに頼られる人間になりたいなあ」
「まぁ。うれしい」
一気に笑顔になる。
「じゃあ、これを持っていく?」
「いいのかなあ?」
「もちろん。アデルの喉の調子が良くなってくれることを願って、これを作ったんだよ」
「ええ、そうなの?! ううん。レオンちゃんたら」
抱き付かれた。
結局、部屋用と楽屋用、ふたつの魔導具を持たせた。
化粧落とし用途について、自分や皆の使用経験を踏まえて。
1.使用は、数日に1回に留め、1回15分未満にすること(切れたら再起動しない)
2.ニキビや肌荒れがある場合は使用しない(使用を止める)こと
3.顔に蒸気を当てた場合は、使い終わった後に化粧水や乳液を塗ること(逆効果が出る)
以上を納得させるとともに、書いた紙を渡した。
それから、他の劇団員には、今のところ渡せないからねと釘を刺しておいた。
†
「研究員レオンです」
学科長の部屋に呼び出されると、ジラー先生とターレス先生もいらっしゃった。
これは、ちょっと大事のようだ。離宮の件かな?
「ここへ。用件はこれだ。魔導アカデミーからだ」
アカデミー……か、離宮とは別件だな。開封済みの封筒を渡された。
「なんでしょう?」
中を改めると、3月中旬にある魔導学会全国大会の案内書だ。日程と場所は聞いている。
純粋光技術に関する……?
「光学・魔導部門合同特別講演実施の要請」
「そうだ。正式の要請だ」
特別公演とは、一般の講演というか講演者が自発的に内容を登録する形式とは異なる枠で、アカデミーの運営が企画する講演会だ。大体、偉い先生が実施するんだけどな。
ターレス先生を見つつ、読み進める。
内容としては、理論・技術面と学会が力を入れている倫理・社会面の2題目を依頼するとある。
「倫理・社会面の講演は、ターレス先生がやっていただけるんですか?」
「前者をレオン君が引き受けるのであれば、私としても引き受けるつもりだ」
「わかりました。では、お引き受けいたします」
そもそも、全国大会では一般講演に申し込む方向で進めてきたからな。
「ふむ。宮廷庁へは、公演を4月実施で希望を出しているが、そちらへの影響はどうかね?」
「持ち時間は55分。質疑応答10分ですね。予定の倍とはなりますが、実験結果で省略しようと思っていた内容を話せば、それほど大変ではないと思います。間隔が1週間空いていればなんとか」
学会活動が、研究員を置いた大学側の主目的だ。それも特別講演となれば、サロメア大学として技術業績となる。僕としても応える必要があるだろう。
「わかった。宮廷庁の方へは、魔導学会への出席を理由に、再度4月実施を申し入れる」
「よろしくお願いします」
†
61号棟へ戻って来た。ジラー先生の部屋に入って、3人で向かい合う。
「久しぶりだな。レオン君」
「予定を合わせることができず、申し訳ないです」
ジラー先生に会釈する。
「いやいや。研究員となった段階で承知している。問題はない。学会の方は心配していないが、宮廷庁の依頼はどうなのかな? 工学部、医薬学部の方もあるが」
ジラー先生は優しいな。
「はい。純粋光の演出に必要な、複数光源、複数反射鏡ですが、いまのところ単体の動きはできるようになりましたので、制御を詰めていきたいと思います」
いわゆる群制御までは行かないが、それなりに難しい制御が必要だ。特に動きの時間誤差を抑えていかないと、演出が崩れる。実にやりがいがある制御だ。
「ふむ。結構自信がありそうだな」
「えっ、いや、まあ……」
「いやあ、ジラー先生。レオン君は課題が難しいほど闘志を燃やす性格ですからねえ」
ターレス先生が、笑いながら混ぜっ返す。
「うん。ただ、これは……」
えっ、あっ。
ジラー先生が、書類を出した。
「なんです。求人票? トードウ商会じゃないですか」
ターレス先生が、僕を見た。
「ええ、代表に言われまして、学生課へ出しました」
「へえ。どういう人材が欲しいのかな?」
ターレス先生が、求人票を読み始めた。
「なるほど。レオン君と他の商会員との魔術技術の橋渡し、技術書類の作成、特許の出願補助ねえ。おっ、なかなか報酬が良いじゃないか。年齢制限は特になし……おおう、准教授になっていなかったら考えていたかもな。リヒャルト君とソリン君には見せないようにしよう。あっははは」
冗談ですよね。
「いやあ、最近その手の業務が増えていまして」
「そうかね。全ての単位を取りつつある学生は何人か居る。頭において置こう」
「よろしくお願いします」
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訂正履歴
2026/04/24 誤字訂正 (笑門来福さん 布団圧縮袋さん ありがとうございます)





