(13)蒼鉛の星空
すっかり夜も更けて、月明かりが森に影を落とす頃。
マルクたちはアシル村の人間と共に、雪原の真ん中に即席で作られた石窯の元へと向かった。窯の中には遺体が並べられており、いつでも火葬できる状態まで整えられていた。
老若男女、二十三名の遺体は、朝日が昇り切る前に灰になるまで燃やされる。炎の温度を高くするために、石窯の中には高純度の魔石と魔物の死体から回収した魔部が入れられている。天井と床にはヨランダと村の祭司が描いた魔法陣があるため、炎が外へ漏れ出たり、爆発することはない。
石窯の隙間からは天の川のようなきらめきが雪に照っていた。
「来れるものは、全員集まったな」
村長は石窯を囲う面々を見渡した後、隣に控えていたゾーソンへ目礼し、火のついていない松明を恭しく差し出した。
「聖火を」
「ああ」
ゾーソンは両手でそれを受け取ると、油を吸った布の先端へ右手をかざした。数秒ほどして、淡い風が彼の手元に吹き込み、真っ青な炎が音もなく松明に灯った。ゾーソンの吐く白い息に揺られて、青い火の粉が渦巻きながら虚空へ消えていく。
ゾーソンは燃える松明を一度頭上へ掲げると、ゆるりと円を描くように回した。
それを皮切りに、祈りの言葉が冷たい風に乗って空へと流れ始めた。
「我らアシルの民 ファニドスに生まれ エルスに生き抜く者なり 移ろい月より昏きに泳ぎ オルカを駆りて薄氷に乗り──」
マルクはそれを聴きながら、うろ覚えの、ドレイクから学んだ古代文字を思い出した。
ファニドスは、巨人。
エルスは、人。
オルカは鯱だったか、鯨だったか。
祈りは続く。
唄の端々からは、短い夏を迎えたアシル村の生活が垣間見えるようだった。屋根に藁を干して狩りを行い、少ない果物を集めて秋の祭りに備え、星を見ながら冬の到来を悟る。
マルクが見たのは、すでに魔物に踏み荒らされてしまったアシル村の景色だけだったが、去年の春は、きっと想像した通りの麗らかな光景が広がっていたのだろう。無事に今年の春を迎えられたなら、マルクもいつか豊かなアシル村の姿を見る機会があるかも知れない。
長い祈りが終わると、ゾーソンは静かに雪を踏みしめながら、眠りについた仲間の元へと歩き出した。暗く閉じ込められた石窯へ青い炎を差し出すと、熱に反応した魔石が燃え上がりながら拍動を始める。やがて、魔石に刻まれた魔法陣へと周囲の魔素が集結し、窯の中で大きな炎の渦を作り上げた。
マルクたちが吐く息よりも、より純度の高い白い煙が石窯から噴き上がり、一筋に纏まりながら空へ吸い込まれていく。
やがて全てが燃え尽きるころ、石窯が内側から崩壊を始めた。
今夜は雪が降るだろう。火葬の痕跡は雪に埋もれて、元通りの銀世界になる。しかし春になれば、石の隙間からは美しい若芽が顔を出すはずだ。
そうと分かっていても、失われた命のことを考えずにはいられない。もっと自分に力があればよかった。ディマオンたち英雄に全てを任せてしまうような、弱い人間でなかったなら、この悲劇を食い止められたかもしれないのに。
マルクは真っ黒になった石窯の残骸を見下ろしながら、ただ唇を強く噛みしめていた。
…
……
………
魔物たちの襲撃を退けてから、約二か月後。
降り積もっていた雪は徐々にその量を減らし、時折雨となって氷を張りながら、じわじわと黒い地面を露わにしていった。
「そろそろ春だな」
修復したばかりの藁家の前で汗を拭いながら、ゾーソンは晴天を見上げた。彩度の強い蒼の向こうでは、見事な日暈が丸い虹を描き出している。肌に触れる日差しも暖かく、焚火のそばで昼寝をしたらさぞ気持ちがいいだろう。
マルクは目の上に手で庇を作りながら、同じように空を眺めた。
「ディマオンさんから聞いたか? 明日おれたちが南に行くって」
「ああ。長いこと引き止めちまったからな」
「あんな状態の村を放ってまで旅なんか再開できるわけないだろ」
「お人好しだな、お前たちは」
ゾーソンは笑いながらマルクの肩を叩き「飯にしよう」と広場の方へ歩き出した。
魔物によってほとんどの建物が壊され、廃墟同然だったアシル村は、この二ヶ月で活気が戻りつつあった。雨風をしのげる程度だった小屋は、藁をたっぷりと使った立派な家に代わり、急ごしらえだった外壁もミレイユの手によってさらに丈夫な構造へと作り替えられた。
激闘で荒れ果てた森も、春が近づくにつれて命が戻りつつある。魔物の襲来のせいで大きく歪んでしまった生態系も、数年後には元に戻っていくだろう。
唯一気がかりなのは、神獣グラトニーが作り上げたあの断崖絶壁だ。
崖の表面からは相変わらず白い木の根が顔を出し、こちら側の地面へ取り付こうと昼夜問わずに蠢いている。ヨランダたちの調査によると、日に日に触手の伸びる距離が近づいてきているという。
あの木の根がアシル村側まで到達したらどうなるか、マルクたちには皆目見当もつかない。山神なら何か知っているのかもしれないが、彼はあの一件以降現れる気配はなく、ゾーソンから呼びかけても返事すら帰ってこないらしい。ゾーソンの額には刺青が残ったままなので、契約を解消したわけではないのだろうが、こうも沈黙を保たれると不気味だった。
結局、神獣たちが封じたという『霧』も、あの木の根の正体も分からないままだ。だが、断崖の向こう側にはマルクたちの故郷があるため、分からないままで終わらせるわけにはいかなかった。
そのため、マルクたちはミレイユの家族探しがてら、世界有数の禁書庫へと赴く予定を立てていた。
ディマオンの話では、今自分たちがいるヴィルニア大陸の入江を抜けた先に、世界中の歴史的書物を集めた研究国家があるらしい。そこであれば、白霧の森に関する伝承も『霧』のことも何か分かるかもしれない。
ただ、マルクにはもう一つ気がかりなことがあった。
「……ミレイユを人にする、か」
山神が囁いたあの言葉が、深くマルクの肩にのしかかる。
数か月を経た今でも、マルクは山神の言葉の真意を推し量れずにいた。殺せと言っておきながら、まるでミレイユを助けてほしそうな言い方だった。死に際の夢に見た謎の黒い男も「ミレイユを頼む」と言っていたが、一体彼女には何があるというのだろう。
ミレイユと一緒にいたという黒い狼のことも気になる。マルクたちをアシル村に案内してくれたクジマの話によると、黒い狼と村人の二人が、魔物の襲撃の前日に行方をくらませたのだったか。もしその狼がミレイユの探しているハイヴなのであれば、白霧の森に潜む『霧』のことも知っているかもしれない。
「また難しい顔してるな」
ゾーソンに人差し指で眉間を押され、マルクは大きく後ろにのけ反った。あやうく倒れそうになってヒヤリとしながら、マルクは仏頂面で文句を言った。
「おい、いきなりはやめろって」
「ぼーっとしてるのが悪いよ。ほら、冷めないうちに食えよ」
そうして差し出されたのは、肉汁が今にも滴りそうな鹿肉の串焼きだった。表面には見覚えのある赤いスパイスが乗っており、旨そうな香りがマルクの胃袋をくすぐった。
「これ作ったおかげで村のスパイスはもうなくなっちまった。また持って帰ってきてくれ」
いきなりスパイスのビンを放られて、マルクは狼狽えながらもキャッチした。中身はすっからかんで、透明なガラス越しにマルクはゾーソンへ笑いかけた。
「もったいなくて使えないんじゃなかったのか?」
「気が変わったんだよ。旨いもんを食いたくなったんだ」
言うや否や、ゾーソンは勢いよく串焼きに齧り付いた。見事な食いっぷりにマルクも胃を刺激され、てっぺんの肉を大きく噛みちぎる。肉汁滴る熱々の肉が、噛めば噛むほど甘じょっぱく口に広がった。
しばらくはこの絶妙な焼き加減の肉も食えないと思うと、マルクはしみじみとした気分になった。
「……早めに持ってくるよ。一生食いきれないってぐらい山積みでな」
「そんなに稼げるのかお前?」
「言ってろ」
「土産話も忘れるなよ。ディマオンに負けないぐらいデケェ話がいいな」
「期待してるのかしてないのかどっちなんだ」
思わずツッコミを入れると、ゾーソンはゲラゲラ笑いながらもう一切れ頬張った。とても山神を身に宿しているとは思えない天真爛漫な姿に、マルクはついこんなことを口にしていた。
「次はゾーソンも一緒に行くか?」
「ああ、行けたら行ってやるよ」
「その言い方は絶対行かない奴だろ」
「さぁ、どうだろうな」
ゾーソンは意味深に笑うだけで、また食事に戻ってしまった。マルクはもどかしいようなくすぐったいような気持ちで口をムズムズさせた後、外壁の外に聳える巨大な杉の木を見上げた。
いつかまた、ここに帰ってくる日が来る。その時の自分は、果たしてどれだけ強くなっているだろうか。
遠い未来へ思いを馳せながら、マルクは焚き火の音にしばしの間耳を傾けた。




