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(1)再出発

 ヴィルニア大陸の最南端には、ハルドラグ・ポイントと呼ばれる切り立った入江がある。まるで巨人が大剣を振り下ろしたかのように二分されたフィヨルドにはうっすらと雪が降り積もり、谷の間に収まった水面深くには毬藻の群れが透けて見える。その上を名も知らぬ渡り鳥の群れがカラカラと不思議な鳴き声を上げながらつかの間の休息をとっていた。


 そこから少し離れた大陸の境に位置する港もまた、渡り鳥と引けを取らぬ大勢の人で溢れていた。遠い国から持ち込んだ食材や魔道具などが露店に並べられており、係船柱が並ぶ堤防付近では釣り上げられたばかりの魚に水を掛ける漁師の姿もあった。


 しかしそんな彼らより圧倒的に目を引くのが、砂と泥まみれになった研究者たちだろう。

 ハルドラグ・ポイントでは、毎日のように五千年前の太古の化石が出土する。魔王が封印される以前の時代の記録は現代まで残っておらず、当時を知りたがる歴史研究家にとってここはまさに宝の山だった。そのため露店の一角が丸々化石専門店と化しており、巨大な魔物の頭の骨から小さな貝殻の化石までもが、貴重な遺物とは思えないほどの値段でたたき売りされていた。地元民の話によると昔は高額で化石を売りつけまくっていたのだが、研究者たちの不買運動で痛い目を見て今の価格に落ち着く羽目になったという。


 マルクとミレイユはそんな地元民たちの清濁混ざった露店を冷やかしながら、大陸を越える船が来るのを待ち続けていた。


「マルク! 鳥の化石売ってる!」

「うん? げっ、ブランオスターだ」

「私まだこの骨持ってるよ! でもお店の方が大きいね!」

「大人の足だからじゃないか?」


 粗末な布の上に乗せられただけのブランオスターの胴体の骨を見ながら憶測を口にしてみる。化石には首と足がなかったが、ミレイユの言う通り全体像を想像すると白霧の森にいるものよりはるかに大きそうだ。

 すると、少し離れたところで一緒に露店を巡っていたヨランダが澄まし顔で言った。


「五千年前は今より魔素が多かったから、魔物の身体も倍以上あったみたいよ。魔素の濃度が高い分餌になる生物も多かったからだとか、豊富な魔素を効率よく摂取するために大きくなったから、なんていろんな学説があるの」

「へぇ、さすがヨランダさん。博識ですね」

「王国だとこのレベルが常識よ。研究都市に行く前にマルクも軽くお勉強しましょうか?」

「け、結構です」

「私は勉強するー!」

「ミレイユは偉いわね」


 即決して飛び跳ねるミレイユにヨランダは慈悲深そうな笑顔を向け、マルクには冷ややかな視線を送った。そんな目を向けられても、マルクはカエヌディにいた時からじっと座って勉強するのが苦手だった。冒険譚で呼んだことと生活に必要なこと以外の知識は覚えられない体質なのだ。勉強なんて無理に決まってる。


 冷たい空気に居たたまれずにマルクが目を泳がせていると、


「おーい、みんな船が来たっすよー!」


 と、ナイスタイミングでジョンスからお呼びがかかった。あの様子だと、ディマオンが上手く船乗りたちに話をつけてくれたのだろう。夕食は船の中で取ることになりそうだ。


「あら、これで観光もおしまいね」

「えぇーもっと見たかったのにー」


 ミレイユは眉を下げながら名残惜しそうに港を見回した。まだこの港に来てから一時間しか経っておらず、露店もすべて見て回れていない。それにミレイユは家族を見つけたらカエヌディに戻ることもないから、最悪この街に訪れるのはこれで最後になってしまうだろう。

 マルクはほんの少しだけ頭をひねってから、ヨランダにそれっぽい言い訳を言ってみた。


「ヨランダさん。船の出港までまだ時間ありますよね」


 ヨランダはすぐにマルクの意図を察して、仕方がなさそうに頷きながらミレイユの背中を押した。


「あまり遠くに行っちゃだめよ」


 ミレイユはきょとんとヨランダを見上げた後、じわじわと意味を理解したようでマルクに勢いよく飛びついてきた。


「マルク大好き!」

「ははっ、じゃあ船が出る前に早く行こうか」

「うん! あ、もふもふも一緒に行こう?」


 後ろを振り返りながらミレイユが叫べば、露店の向こうに立っていたジョンスが怒るふりをしながら駆け寄ってきた。


「もふもふじゃなくってジョンスって呼んでほしいっす!」

「もふもふはもふもふ!」

「こいつ! まぁいいっすよ! いつか絶対ジョンス様って呼ばせてやるっすよ!」

「欲望丸出しかよお前」


 変なところで熱意を燃やすジョンスに呆れながら、マルクたちはまだ行ったことのない海側の店へと歩き始めた。人混みを抜けるたびに、南のほうでは美しく煌めく入江と、その先に広がる広大な海が視界に映る。水平線の先にはうっすらと青みがかった大陸の影があった。


「あの向こうが、フィローゼスのあるティアズニル大陸か」


 アシル村に来た時も、白くない大地。色のある生物に驚かされてばかりだったが、その次は、冒険譚でしか聞いたことのない海と新大陸と来た。最初から予定通りに進んでいない旅だが、こうして人のいる街へ出ると充実した旅を送っているんじゃないかとも思う。


 ティアズニル大陸を目指して出発するマルクたちに、アシル村の人たちは盛大な宴を開いてくれた。用意された料理や踊りは、あそこで暮らした数か月の終わりに相応しい豪勢さと民族的な雰囲気があって、今もマルクの胸の中に暖かく火を灯してくれている。辛い出来事から始まったアシル村の人々との関係だが、マルクにとってはあそこが第二の故郷と言っても過言ではなかった。


 目の前の海を越えたら、彼らとも長いお別れだ。そう思うと、海すら知らなかった過去の自分から随分遠い場所まで来たような気がした。まだ旅は序盤の序盤だというのに感傷的になってしまうあたり、まだまだだとマルクは自嘲した。


 文字として知覚していた外の世界は、マルクが想像していた以上に壮大で美しかった。ティアズニル大陸に向かえば、もっと自分が見たこともない景色が広がっている。ドレイクや両親、ゾーソンへの土産話が増えていくことを思うと、胸が躍り出してしょうがなかった。


「そういえばもふもふって、フィローゼスってところから来たんでしょ? この港にも来たことあるの?」


 マルクとジョンスの手を握ったミレイユが尋ねると、うおっほんとわざとらしい咳が聞こえてきた。


「もふもふじゃなくてジョンスっす! 港は一瞬だけ通っただけで、すぐに出発しちゃったんで見てる暇なかったっすね。でもまさかこんなに観光客が多いなんて知らなかったっすよ。ほとんど冒険者じゃなくて研究者っすけど」

「ヴィルニア大陸の冒険者はみんなカエヌディからほとんど出てこないし、熟練の冒険者でもなきゃ、わざわざ大陸を越えてまで雪を見に来ないもんな」


 マルクは言いながら改めて道行く人たちの格好を観察した。どれもこれも探窟帰りの研究者か小奇麗な商人ばかりだ。武器を腰に下げている人間はマルクたちぐらいしか見当たらない。


「そもそも、ヴィルニア大陸には白霧の森って禁域があるんだから、よほどの死にたがりしか来ないって話っすよね」

「それっておまえの話か?」

「オレはそもそも白霧の森が禁域だって知らなかったんすよ!」


 顔を赤くしながら憤慨するジョンスを笑っていると、唐突に店頭の化石と向かい合っていた小太りの男が飛び出してきた。


「今、白霧の森って言ったか!?」

「だ、誰っすかあんた」


 男はジョンスの声を無視して、砂で汚れた掌でそのまま彼につかみかかった。


「お前ら黒い狼を知らないか!? アシル村の方から来たんだろう!?」

「ちょ、なんなんすか!? マルク助けて!」


 そういえばジョンスは護衛対象だった。マルクは慌てて二人の間に割って入ると、あえて低い声を出しながら冷静に注意した。


「すみませんが、その人から手を放してくれませんか」

「いや、すまない、悪気はなかったんだ。ただどうしても黒い狼を追いかけなくてはならなくてね」


 黒い狼。マルクが思わずミレイユの方を見ると、彼女は愕然と赤い目を見開いて固まっていた。

 ディマオンたちとの船の約束とミレイユとで逡巡した後、マルクは男の手をつかんだまま問いかけた。


「あなた、この後の予定は?」

「いや、一旦隣の港に戻る予定だがね……」

「では船で続きを聞きましょう。おれたちもその狼を探しているんです」


 簡潔に告げると、小太りの男は小さな丸眼鏡越しに目を剝いていた。

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