(11)その身に潜むもの
「マルク────ッ!!」
白い魔物の群れは津波のようにうねり、あっという間にマルクを飲み込んでいく。
進軍の真っ只中に取り残されたマルクは、最後に獣に頭を齧られて、水っぽい音を立てながら赤く弾けた。その上を、無数の魔物たちが踏み潰していく。
「そ、そんな」
「なんてこと……!」
愕然とするジョンスとヨランダの声を聞きながら、ミレイユはその場に崩れ落ちた。
目の前でまた誰かが死んだ。
ミレイユの脳裏で、ウェンドベアに殺されていった奴隷の仲間たちや、血まみれになって戦うハイヴの姿、商人によって燃やし尽くされた孤児院の光景が何度もフラッシュバックする。
なぜ自分の周りにいる大事な人たちは、こうも簡単に死んでしまうのだろう。
「ミレイユ! しっかりして! 立って頂戴!」
横でヨランダが叫んでいるが、どこか遠くの出来事のように感じる。いまだに魔物たちは進軍を続けており、すでに外壁のそばまで迫ってきていた。
外壁を閉じなければ、みんな殺されてしまう。おぼろげな思考に突き動かされて、ミレイユは両腕に魔力を集めた。
「おい! 早く壁を閉じろ! このノロマ!」
「死にたくねぇ! 死にたくねぇよぉ!」
外壁の下では負傷した村人たちが早く入口を閉じてくれと喚いている。
殺意が沸いた。
お前たちが逃げ切れたのは、一体誰のおかげなんだ。
自分のことばかりで、助けようともしないで。
ミレイユの中でドス黒い感情がとぐろを巻く。
──こいつらを助ける価値があるのか?
ミレイユの赤い瞳が、外壁の下の有象無象へ向けられた。魔力も自然と彼らへ矛先を変えていく。
マルクが雪のシミになる瞬間を見てから、ミレイユはなんだか自分の意識が一つ高い場所に昇っていったような気がした。
孤児院のシスターから学んできた倫理観がすべて無価値だ。あの時の商人のように、アシル村の人間を魔物に食わせた方がよほど自分のためになる。踏みつぶされていく村人たちの悲鳴を聞くのは、さぞ気持ちがよかろう。
そうだ。自分はそのために生まれてきたのだから。
ふと、村の一角から声がした。
「ディマオン、あんた足が!」
一人の村人が、粗雑な敷き藁の上に寝かされたディマオンの元へ駆け寄った。
ディマオンにはもう意識がなく、四方から村人に名前を呼ばれても目を固く閉じたままだった。顔からも血の気が失せており、傷を負った腹と背中からはだくだくと血が流れ続けていた。
クジマは必死の形相でディマオンの止血をしながら村人たちに謝っていた。
「お、俺のせいだ。俺が前に出過ぎたから、ディマオンの旦那が俺を庇って……!」
「クジマ、てめぇこの野郎! この人が戦えなくなったら、一体どうやって助かるってんだ!」
「そ、そんなこと言ったって! 俺だって必死だったんだぞ! ディマオンの旦那の役に立ちたかったんだ! こんなこと俺だって望んじゃいない!」
「うるせぇ! てめぇのせいでこの村は終わりだ! 全員死んじまうんだ! てめぇが代わりに死んじまえばよかったんだ!」
醜い争いが繰り広げられるのを眺めていると、不意に横から激しく肩を揺さぶられた。
「ミレイユ、ミレイユ!」
虚な目で見上げてみれば、蒼白になったヨランダが、屈むようにしてミレイユの顔を覗き込んでいた。
「私が魔物を一掃する。だから貴方はここで壁を守ってちょうだい。一人でもできるわね?」
言われた意味を理解する前に、後ろの方でジョンスが喚き出した。
「待ってほしいっすヨランダさん! たとえ英雄だって言われたアンタでも、あの群れ相手じゃ無理っすよ! それに今ディマオンさんを治療しないと! あれじゃ放置したら助からないっす!」
「分かっているわ。でも」
ヨランダは立ち上がると、鋭い双眸に決意を漲らせながらジョンスに告げた。
「一人でも多くを助けるためには、見捨てなければいけない命もあるの」
「……っ!」
尋常ではないヨランダの気迫に、ジョンスは一歩後ずさった。そして彼は苦虫を噛み潰したような顔で、小さく吐き捨てた。
「英雄でも、結局ただの人間ってことっすか」
嘲りを含んだ言葉に、ヨランダが何かを言いかけた。しかし、森の方から響いた不気味な咆哮がそれをかき消した。
「何か来る!」
更なる緊張が走る中、ヨランダの目が森へ向く。釣られるようにミレイユもそちらを向いて、静かに目を細めた。
森と村を隔てるように、吹雪の壁が渦を巻きながら迫ってきていた。吹雪の向こう側は全く見通せず、巻き込まれた木々が根元からへし折れて宙を舞う。魔物たちもその吹雪から逃れるよう、村の方へなだれ込んでくる。
明確な意思を持って迫り来る吹雪の嵐を、ミレイユは以前にも見た。
『アイスブロック・テンペスト』
「そうだ……お前は……お前が……!」
ミレイユは瞳を真っ赤に染め上げながら、怒りとも喜びともつかぬ歪な笑みを口元に刻んだ。
どうして忘れていたのだろう。大事なものを奪い去っておきながら、悠々と生きている神獣風情が。
ミレイユは無言で立ち上がると、両手を吹雪の向こう側へかざした。ヨランダがそれを見て何故か慌てたように立ち塞がる。
「ミレイユ、何をする気!? 魔力を集めるのをやめなさい!」
空気中の魔素が、ミレイユの小さな身体へ大挙して押し寄せてくる。それはあっという間に周囲の魔素を食い尽くし、さらに遠方の、濃密な魔力を含んだ白霧の森にまで食指を伸ばした。
「なんすか、これ……!」
ジョンスが見上げる先には、空から降ってくる巨大な魔素の渦があった。周囲の雲を薙ぎ払ってまで集まってくる魔素は一切の光を通さず、渦の中では雷鳴が響き渡っていた。
『グオオオオオオオオオ……!』
吹雪の中で憤怒の咆哮が噴き上がる。白霧の森を守護する神獣には痛手であろう。これだけの魔力が消え去ってしまえば、森に太陽の光が差し込んでしまうのだから。
雪が溶けた時、白霧の森は崩壊する。
全て、滅びてしまえばいい。
「ミレイユ! どうしてしまったの!? こっちを向いて!ミレイユ!」
ミレイユはなおも騒ぎ立てるヨランダを押し退け、空気中に巨大な魔法陣を構築し始めた。
アシル村も、隣の人間がどうなろうとどうでもいい。
大事なものを壊していったすべてを、滅茶苦茶にしてやる。
やがて、ミレイユの腕を中心に展開した魔法陣は、虹色に輝きながら左右へ広がった。蝶が翅を広げた形のそれは、空から降ってくる魔素を吸ってドス黒く染まっていた。
やがて魔力が臨界点に達する、その直前──。
ウオオオォォォン………。
聞き覚えのある、胸の空くような美しい遠吠え。
今のは。
集中力が途切れ、目の前で綿密に組み上げた魔法陣が大きく揺らぐ。
まずい、と思ったときには、既に魔力が暴走し、陣の中心が甲高い音を立てながら眩く発光していた。
「ミレイユ!」
ヨランダがミレイユを庇うように覆いかぶさった。
爆発の衝撃は──来なかった。
代わりに、自分達のすぐ横で豪速で何かが通り過ぎる。
その数秒後、ミレイユが作り上げた巨大魔法が、遥か遠方で炸裂した。瞼の裏から感じるほどの光が天高くまでそそり立ち、同時に今までの寒さが吹き飛ぶほどの熱が押し寄せてきた。
立っていられるのが不思議なぐらいの暴風が過ぎ去った後、ヨランダがミレイユの頬を両手で挟み込んだ。
「ミレイユ、無事!?」
「な……んで……」
ミレイユは戸惑いながら、ヨランダの肩越しに吹雪の壁を見た。
吹雪の壁があった場所には、燃え盛る森と、溶けた雪の蒸気が吹き荒れていた。森から村にかけての道は全て焼け焦げ、真っ黒な大地が雪の下から剥き出しになっている。
あれほどいた魔物の群れは壊滅していた。
代わりに、焼け焦げた大地のはるか上空に、一人の男が浮いていた。アシル村伝統の衣服をはためかせ、黙して焼野を見下ろすその男の額には、神に選ばれし刺青が刻まれていた。
「あ、あれは……まさか、ゾーソンっすか!?」
ジョンスが驚くのも無理はなかった。ゾーソンが纏っている魔力はおよそ人とは思えないほど膨大で、彼の周囲が陽炎のように歪んで見えた。
「山神様だ!」
「助けに来てくれたのだ!」
「ああ、神よ!」
外壁の内側で村人が口々に叫ぶ。
ここまで来て、まだこいつらは変わらないのかと、ミレイユは忘れかけていた憎悪に再び燃え上がった。しかし、どんなに殺意が激ろうとも、この身体ではもう魔力を集めることはできなかった。
先程の巨大魔法の反動で、ミレイユの両腕は赤黒く焼け爛れていた。もはや動くことすらままならず、ヨランダに抱き止められていなければ、今頃顔から床へと倒れ込んでいたかもしれない。
口惜しい。ようやく身体を手に入れられたというのに。
「ミレイユ、貴方一体……」
「待ってヨランダさん。ゾーソンがこっちに来るっす」
ヨランダの当惑した声はジョンスによって途切れた。
見れば、空に浮かんでいたゾーソンが、なにかを抱えながらこちらへ降り立ってくるところだった。
ジョンスは即座に腰から剣を抜いて、ミレイユとヨランダの前へ立った。もしゾーソンが山神に肉体を乗っ取られているのなら、こちらに何をしてくるか分からない。ゾーソンとの盟約でアシル村を守ると山神は言ったが、それが旅人であるジョンスたちにまで適用される保証がないからだ。
ゾーソンはジョンスの剣を恐れることなく、悠々と外壁の上へ降り立った。
彼の腕の中には、血まみれになって息絶えたマルクの姿があった。
それを見た瞬間、ミレイユの中で怒りや憎しみが全て吹き飛んだ。
「ま、マルク……!」
ヨランダを押し退けてマルクへ駆け寄る。遅れてジョンスが剣を地面に置きながら、ゾーソンからマルクを受け取った。
「これ、もう死んでるんじゃなんすか……?」
「そんな!」
ミレイユはマルクへ縋りつき、何度も肩を揺さぶった。
「マルク! マルク起きて! ねぇ!」
手のひらから伝わるマルクの体温は冷え切っていた。ミレイユは胸が焼け付くような激しい感情に突き動かされて、焼けた両腕に再び魔力を込めようとした。だが、どう頑張っても魔力を操れない。
「ヨランダ! 治癒魔法! はやく!」
「……無理よ。マルクはもう、この傷では助からないわ」
「なんでそんなこと言うの!? あなたも私から奪うの!?」
「そうじゃないの。私には無理なのよ……人間には、どうしても手が届かないことがあるの。マルクはもう、私では助けられないの」
「どうして! ヨランダは英雄っていうすごい人なんでしょ!?マルクが言ってたもん!」
「……ごめんなさい。どうか分かって頂戴」
睫毛を震わせながら唇を噛みしめるヨランダを見て、ミレイユは理解してしまった。幼い思考なりに、現実を真正面から受け止めてしまった。
どんなに魔物を蹴散らしても、アシル村の人間に憎しみを持っても、マルクは帰ってこない。
全部手遅れだった。
「そこの娘」
愕然としたまま動けずにいたミレイユに、男と女が混ざり合った不気味な声が降ってきた。顔を上げると、額の刺青を黒く脈打たせながら、ゾーソンがこちらを睥睨していた。
「その男を、助けたいか」
「そんなの、助けたいに決まってる!」
「ならば、血の契約を結べ」
その瞬間、周囲の気配がすべて遠ざかった。驚いてミレイユが目を見開くと、近くにいたヨランダもジョンスも、凍ってしまったかのように止まっていた。さらに外壁の下を見ても、村人たちまでもが微動だにしていなかった。
何が起きているのか分からないまま、ミレイユはゾーソンへ覚束なく言葉を繰り返した。
「血の、契約?」
「そうだ。貴様に私の力を貸し与えよう。私の魔力さえあれば、この者を生き返らせるのも容易い。その代わりにお前は、私の眷属となれ」
眷属という言葉に、とてつもない嫌悪感が湧き上がってきた。魂の奥底から本能的な拒絶が沸き上がり、消えたはずの殺意までもが牙を剥きそうになる。
だが、またハイヴのように誰かを失ってしまうぐらいなら、山神に従った方がいい。もう大切なものが目の前から奪われていくのを見るのは嫌だ。
ミレイユがはっきりとそう決断を下すと、荒れ狂っていた嫌悪感が急速に小さくなっていった。
「……なんでもする。だからマルクを助けて」
「では、手を」
言われるがまま、ミレイユはボロボロになった右腕をゾーソンへと差し出した。ゾーソンはその場に片膝をつき、ミレイユと目線を合わせると、蛇の牙で手の甲へと食らいついた。




