(6)伝承
外に取り残された村人や怪我人を中へ入れた後、マルクは杉の木のてっぺんと同じぐらいにまで伸びている外壁を改めて見渡した。内側から見ると、余計にこの外壁を一瞬で作り上げたミレイユの技量が信じられないものだと分かる。アシル村は小さな村だったとはいえ、広さは普通の一軒家が十も入ってもなお余りあるぐらいであるから、これだけの広さ、そして均一な分厚さを持つ壁を一人で作り上げるなんて本当に規格外だ。村人たちもあまりにも立派な外壁に文句はないようで、焚火の傍でどっかりと地面に臀部をつけていた。
ミレイユのおかげでイノシシ型の魔物たちを追い返すことが出来て、村の被害はそこまで甚大ではなかった。女子供に怪我人はなく、戦っていた男達にも死者はいない。だが半数以上は骨折や打撲で動きに支障があるようだ。一刻も早く治療をしなくては次あのホワイトボアに襲われたときに対処のしようがない。
マルクはそんな危機感を抱きながら、動けない怪我人を担いでヨランダの近くに横たえた。襲撃が終わって一時間も経過しているが、ヨランダはずっと魔法陣を広げて、怪我人の治療に専念していた。昼間使った治癒魔法を何度も使っているせいで、彼女の顔は土気色に染まっている。
「ヨランダさん。そろそろ休まないと」
声を掛けると、雪に反射していた魔力の明かりが静まってヨランダから疲労に満ちたため息が漏れ聞こえた。
「駄目よ。感染症になったら助けられなくなるわ」
「でも、せめて食事だけでも取ってください。宴の時にあまり食べてないでしょう?」
「他の人に分けてあげて」
こうも頑なに断られては引くしかない。肩を落としながら引き下がろうとすると、とんと肩に大きな手が乗せられた。思わず見上げると、そこには返り血を拭き終えたディマオンがいた。
「ヨランダ。お前が倒れたら誰がこいつらを治すんだ。もう休め」
「でも、もう少しなの……」
「もうかすり傷程度なら布でも巻いておけばいい。それに魔法で無理やり完治させたところで、すぐに戦えるようになるわけじゃない」
「……分かったわ。少し休むわね」
ヨランダは魔法陣に流し込んでいた魔力を止めると、地面に敷かれていた布の上から立ち上がった。ディマオンは自然にヨランダの身体を支えながら、持ってきた干し果物を渡して馬車のほうへと歩き始めた。
マルクは彼らを見送った後、簡易的なベッドの上でうめいている怪我人の世話を始めた。一番近くにいる男は腕を骨折したらしく、ずっと腕を抑えたまま蹲っている。マルクは近くの丈夫そうな枝を拾い上げて、ヨランダが座っていた場所に置かれていた清潔な布と一緒に患部に巻き始めた。
「手慣れてるな」
あまり聞き覚えのない声の主を見やると、ゾーソンが水の入った桶を持ちながらこちらを見下ろしていた。あれだけ酷い戦いだったのに、ゾーソンには目に見えるほどの傷を負っていないらしい。昼間狩りに出るときに、わざわざディマオンに呼ばれただけはある。
ぼんやりと見上げたままでいると、返答を求めるようにゾーソンの眉が上下に動いたのを見て、マルクは視線を落として作業を続けながらぼそぼそと答えた。
「……門番をやってた時、しょっちゅう怪我人の手当てをしてたんだ」
「へぇ。やっぱりどこの地域でも、治療の仕方ってのはあんまり変わらねぇようだ」
「かもな。まぁ、同じヴィルニア大陸ってのも少しはあるんだと思うけど」
「なんだ、アンタこの大陸から出たことがないのか」
ゾーソンが意外そうに声の調子をはねさせながら、桶をおいて中に入っていた布を絞り始めた。桶の水は焚火で温めた後らしく、目を凝らさずともかなりの量の湯気が沸き立っていた。マルクは流れてくる湯気の温かさに目を細めつつ、ぐっと怪我人の腕を固定させた。
「カエヌディの周りには、やばい魔物が大量にいるからな。生半可な実力だと外に出るのは許されないんだ」
「じゃあアンタは強いってことだな。さっきの戦いぶりからして結構強いようだし」
その言葉は彼にとってはなんて事のない発言だったのだろうが、マルクはつい作業の手を止めてしまった。
「いいや……おれは弱いよ。今回旅に連れて行ってもらったのだって、ディマオンさん達が一緒にいるからだ。他の冒険者だったら別の、もっと優秀なやつがここに来てたよ」
「そうか? 過小評価な気がするがな」
ゾーソンは布の水気を絞り終えると、それで怪我人の汗を優しく拭ってやった。その横顔にはもう、マルクたちが初めてアシル村に来た時とは全く違って穏やかである。
「前の襲撃で、五十人もいた村人が半分も殺された……今回もそれぐらいの人間は死ぬかと思ったんだが、こうしてみんな生きているなんて、今でも信じられねぇよ。本当に助かった」
「それは……ディマオンさんに言ってくださいよ」
「いいじゃねぇか。あんただって頑張ってたんだから受け取ってくれよ」
ゾーソンは眉をこそばゆくひそめた後、桶を持って別の怪我人のほうへと移動した。そして離れた場所から、先ほどより少し声を大きくしてこう尋ねてくる。
「あのホワイトボアってやつ、カエヌディじゃ珍しくもない魔物なのか?」
「カエヌディというより、白霧の森にいる魔物なんだ。ああいう白い魔物は滅多に森から出ないはずなんだけど」
「……やっぱり、山神が関係しているのかもな」
「山神?」
聞きなれない単語に首をかしげると、ソーゾンは固く口を引き結んで手を止めた。それから覚悟を決めたように顔を上げた瞬間、キャンプファイヤーのある広場のほうから言い争いが聞こえてきた。
「……こんな時に何やってんだ村の連中は」
ゾーソンは険しい顔つきでその方向を見た後、顎をしゃくるようにしてマルクを誘った。どうやら様子を見に行くらしい。マルクは手早く怪我人の治療を終えた後、遅れてゾーソンとともに広場へ向かった。
広場には治療を終えた怪我人を含むほぼ全員の村人が集まっていた。なぜかミレイユをかばうように村長と子供、女性たちが立っており、反対に男たちと見覚えのある老婆が対峙している。間にはディマオンとまごまごしているジョンスの姿もあった。
「何事だ?」
ゾーソンが近づきながら声を掛けると、村長が言いよどむように口ひげを震わせた。代わりとばかりに、男たちを率いていた老婆がしゃがれ声で言った。
「此度の襲撃は山神の怒りに触れたせいじゃア! 花嫁を差し出し損ねたせいで我々をこの土地から追い出そうとしておるのじゃア!」
「だからってこの子を差し出すなんておかしいわよ! ミレイユちゃんはこの村を救ってくれたのよ!? それに、村の子供じゃないんだから巻き込むのだって筋違いじゃない!」
「花嫁は魔力を持つ女子でなくてはならん! 今この村に魔力を持つ者はおらんじゃろう。皆が助かるためには花嫁が必要なのじゃ!」
そうだそうだ、と男たちが声を上げると、女性たちから罵倒の嵐が巻き起こった。今すぐにでも殴り合いの喧嘩が始まりそうな気配にびくつきながら、マルクはディマオンのほうへ駆けよった。
「いったい何なんですか?」
「……あの祭司のばあさんを筆頭に、この村じゃ五年に一度、魔力を持つ女の子を、山神の花嫁と称して捧げていたんだ。奴さんの主張じゃ、今年は花嫁に逃げられて、魔力のある子供も生まれなかったから、腹を空かせた山神の怒りで村に魔物が押し寄せたんだと」
「じゃあ、ちょうどミレイユが魔力を持っているから、生贄にしようって話に?」
「そういう事だ」
あまりにも身勝手ではないか、と最初に思ったが、村の惨状を見渡してマルクは考えを改めた。一度ならず二度までも立て続けに壊滅に追い込まれ、そこへ救いの糸が垂らされたら、どんなにひどい選択でもすがりたくなるだろう。次にまた襲われたら、今度こそアシル村は跡形もなくなってしまうと確信するのは、誰の目でも明白だった。
しかし、村を救うためにミレイユを花嫁に仕立て上げるというのは、たとえ彼らの事情を考慮しても認められなかった。マルクは拳をぐっと握りしめると、彼らの方へ振り返って目を大きく見開いた。
「話をしていいですか、皆さん」
「なんだお前は?」
「マルクです。山神の怒りを買ったせいだと言いますが、その山神とは一体なんなんですか?」
務めて相手を怒らせないよう、穏やかな口調で問いかけると、祭司の老婆が厳かに語りだした。
「山神はなァ、あの黒き山の洞窟にいらっしゃる、偉大なる存在じゃ。その姿は誰も見たことがなく、ただ一人花嫁だけが、見ることを許されるのじゃ」
「いつから、花嫁を出しているんです?」
それに答えたのは村長であった。
「アシル村ができる前からだと先祖から聞いておる。この辺りはこの通り雪ばかりで魔物も多い。この地へ降りた先祖たちは流浪の民でな、北の果てにある山の宝を目指して旅をし、その道中で山神様に会ったのじゃ。山神様は旅の平穏を約束する代わりに花嫁を所望し、民の何人かがこの地に留まることを選んだ。それ以来、アシル村から贄を捧げることで、この土地一体の平穏は守られていると言うわけだの」
流浪の民の話なら聞いたことがある。かつて財宝を求めて旅をした民族が、北の果てに到達し、見つけた財宝を元手に建国したという話だ。おそらくはアシル村の先祖は、カエヌディの先祖たちと同じ民族だったのだろう。
意外なところで故郷とアシル村の遠い関係を知ってマルクは内心で驚いた。それ以外にも、ヨランダから事前にこの村では口減らしが行われていると聞いていたから、山神にささげる花嫁というのもただの生贄の類だと思っていたのに、ちゃんとした理由があるように思える。花嫁に関しては古くから口伝に残されてきた昔話かもしれないが、こうして話を聞いてみる限り、やはり山神は無関係ではないように思う。
マルクは口を引き結んで考えをまとめた後、口を大きく動かすようにして言った。
「昔からの大切な祭り事だったのはよく分かりました。その上で、おれの話を聞いてほしい」
祭司の老婆は何か言いたげに皺だらけの口をむずむずとさせたが、村長が鋭い視線でそれをいさめた。冷え切った沈黙の中でぱちぱちと焚火が弾ける音が立て続けに響く。風に煽られた火の粉が頼りなく目の前を横切ったが、マルクはそれに目を奪われることなく、しかと祭司の老婆に顔を向け続けた。
「おれを、その山神様がいると言う場所まで連れて行ってください。本当に今回の襲撃が山神様の真意なのか確かめてきます」
案の定、村人たちがざわついた。批判的な色合いが強いささやきが聞こえ、その威を借るように老婆は口を戦慄かせた。
「なんと恐ろしいことを!」
「無理を承知なのは分かってます。もし山神様の真意であれば、ミレイユを……花嫁として捧げましょう。しかしそれ以外の何かが関わっていたとなれば、ミレイユは捧げません。これでどうですか?」
「お主は何も分かっとらん! お主の行動で山神様のお怒りが増せばこの村が無事では済まんのじゃぞ!」
「そうなったら!」
一喝すると、村人のざわめきがぴたりとやんだ。針の筵にさらされているような居心地の悪さを踏みつけるように、マルクは一歩彼らへ近づいた。
「そうなったら、おれが血樽になって、大量の魔石を抱えて魔物の群れに飛び込んでやる。自爆だけでも大半の魔物は殺しきれるだろ」
「マルク!」
ずっと事の成り行きを見守っていたディマオンが怒鳴った。だがマルクはおびえることなく、村人たちの顔を一つ一つ吟味するようににらみつけた。マルクの視線は、最後に村長へと注がれる。
村長は数十秒もの長い間マルクの顔を凝視したのち、何らかの覚悟を決めたようにゆっくりと頷いて見せた。
「お前さんの覚悟に免じて、任せよう。どうか山神様を頼んだぞ」
深く威厳のある彼の言葉をかみしめて、マルクは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。必ず、この村を救って見せます」
…
……
………
「馬鹿じゃないっすか! マジで馬鹿じゃないっすかぁ!」
「うるさい。決まったことなんだよ」
夜明け前の一番暗い時間、村の隅で起こした焚火の傍に座り込みながら、マルクはずっとジョンスに頭ごなしに馬鹿にされていた。村人の半分はマルクの提案を渋っている様子だったが、村長が説得に回ってくれたおかげでようやく意見がまとまり、朝日が昇ったらミレイユを連れて山神のもとへ向かう事になった。
ミレイユをそのまま花嫁として捧げる気はマルクには毛頭ないが、花嫁がいなければ山神が姿を現さないかもしれないと祭司の老婆が言っていた。本当は連れて行きたくないのだが、山神に会えなくては意味がないので仕方がない。また、二人だけで山神のところへ行かせるのも村人には不安らしく、村の男たち全員で監視役を決めているようだが、そっちの方はまだまだ時間がかかりそうだ。
「ほんっとに馬鹿っすぅ! 死んでも知らないっすよもう!」
「あーもー、さっきからバカバカうるさい! ジョンスが行くわけじゃないんだからいいだろ!」
もう数分以上も背中をどかどか殴ってくるジョンスの腕をひっぱたくと、彼は痛みでひっくり返り背中を雪塗れにしながらなおも喚いた。
「良くないっす! 山神っすよ!? 神様っすよ!? もしかしたら話が通じないバケモンかもしれないっすよ!?」
「それでもどうにかするしかない。何もしないままじゃただアシル村が潰されちゃうだろ」
「旅先で訪れた村っすよ。それ以上でもそれ以下でもないじゃないっすか。どうしてそこまで肩入れするんすか?」
「それ以上でもそれ以下でもないからだろ。世話になった人間が危険にさらされてるのに、みすみす見殺しにするなんてしたくない」
カエヌディから死地の白霧の森を越えてここまでたどり着き、自分が助けたミレイユがまた命の危険にさらされているのだ。であれば、自分がここに居合わせたのは村を救えと言われているようなものである。やらないわけにはいかないではないか。
「……はぁ、なんつーか、英雄にでもなりたいんすかね」
ジョンスはようやく諦めたように肩をすくめると、焚火の横に敷いてある毛布にゴロンと寝転がった。長いことそこに置いておいたから、雪を吸ってかなり毛布は湿っているだろうに、間もなくジョンスは大いびきをかき始めた。出会った当初から全く変わりもしないジョンスの姿にマルクは苦笑すると、手元の木の枝を焚火に放って、靴を脱いで足裏を温めた。じわじわと冷えた足先に熱が通っていく感覚を味わっていると、若干落ち着かない気持ちになってきた。このままじっとしていられないような、ともかくどこでもいいから走り回りたくなってくる。
「よぉ、よくもあんな啖呵切ったもんだ」
「ディマオンさん」
不意に両手に肉の串焼きを持ったディマオンが隣に座り、片方の串焼きをこちらに差し出してくれた。
「これ、もらっていいんですか?」
「ったりめぇだろ。襲撃があった時に幸い肉がまだ残っててな。戦って腹減っただろ。村の女たちが作ってくれたんだ」
言われて少し視線を斜めにずらせば、立て直した掘っ立て小屋の傍で談笑する女性たちと、その横で眠りにつく子供たちの姿があった。
「ミレイユはどうしました?」
まだ温かい串焼きを指先で持ちながらディマオンに問うと、彼は大口を開けててっぺんの肉を丸ごと食べながら言った。
「ミレイユなら、ヨランダと一緒に馬車で寝てるよ。二人とも魔力を使いすぎたからな。特にミレイユは、この外壁を作るのでかなり疲れたみたいだ」
「やっぱりですか。まぁ、あの小さな体でこれだけの魔力を使えるというのも十分信じられませんけど」
「だな」
ディマオンは笑いながら二つ目の肉をほおばり、おいしそうに高く唸った。マルクも食欲をくすぐられて、ディマオンと同じように一番上の肉を噛んで串から引き抜き、奥歯で緩慢に咀嚼した。噛むたびに肉汁が頬の内側を温めて、奥歯の根元に伝わる筋肉質な感触でますます空腹になるようだ。つい口の中にまだ肉があるのに次の肉を放り込んで、頬をリスのように膨らませると、隣から豪快に笑うディマオンの声がした。
「はっはっは! 焦って食うんじゃねぇ。またもらってくるからよ」
返事をしたかったが、口の中がいっぱいでしゃべることが出来ない。それを見たディマオンがまたおかしそうに笑って、空っぽになった串を焚火の中に弾きいれた。
「なぁ、ミレイユのあの力、お前はどう思う?」
「……どうって?」
肉の塊を強引に飲み込んだせいで喉が痛い。少し掠れた声で問いを返すと、ディマオンは一瞬穏やかな目をこちらに向けてから、また焚火へと視線を戻した。
「あの力は普通の人間じゃありえないものだ。ヨランダもまぁ規格外だがよ、あれはそれ以上だ。魔法の使い方もまるで法則に則ってねぇ。まるで別の不思議現象だ。世界中見て回ったつもりだったが、あんなもんは初めて見た」
「そんなに……おかしいんですか、あれは」
「ああ。普通、こんだけの外壁を作るってんなら、それ相応の巨大な魔法陣が必要だ。だがミレイユは、身体に魔力の線を引いただけだ。あの線に魔法陣に匹敵するほどの力があったとはとても思えないのによ」
改めて現象を説明されると、不可解なことばかりだとマルクでも理解できた。魔法陣は、空中にある魔素を取り込んで、そこに記された文字のとおりに力を発動するための媒介だ。いうなればジョウロに水を入れて、花に水をやるようなもの。しかしミレイユのそれは、直接手の平から水を出して花に水をやっている状態で、自然界ではまず起こりえない現象なのだ。
「……おれは、魔法に関してあんまり知識があるわけじゃないですけど、でもあの子は、悪い子じゃない」
「……はっ、そうだな。今はそれでいいかもしれないな」
いつも自信たっぷりのディマオンが、こんな風に片頬を歪めるのは初めて見た。マルクはディマオンをじっと見上げながら、ほとんど何も考えずにこう聞いた。
「ミレイユに、何かあるんですか?」
「あるかもしれねぇし、ないかもしれねぇ。ただ、これだけは覚えとけよ」
ディマオンは一度言葉を区切ると、静かに立ち上がり厳つい顔を歪めた。
「あの子を化け物にするかどうかは、俺達にかかってるんだ」
「……!」
マルクが初めてミレイユと出会った瞬間が脳裏で思い返される。あの時の彼女は半分野生に帰って、まったく言葉が通じていないような雰囲気であった。もしあのまま保護することなく見逃していれば、果たしてあの子は普通の子供のように自然に淘汰されて終わっただろうか。マルクにはどうしてもそう思えない。どちらかといえば、ミレイユをウェンドベアから助けた黒い狼を真似て生き残り、人間のさかしい知性を持って森を支配していた未来のほうが明瞭に描き切れる。挙句、ホワイトボアのように魔物を連れて人里を襲う姿まで……。
勝手な空想だ。全く根拠はない。しかしマルクは胸に沸き上がった恐怖を完全には否定することが出来なかった。どこかしらであの子に関することを間違えれば、自分たちは最悪の魔物を世に放つことになる可能性がある。ディマオンはそれを危惧していた。もしかしたら出会った当初からそのことを考えていて、だからヨランダにあの子の出会った当初の様子を黙っているのかもしれない。
顔を真っ青にして黙り込むマルクを見て、ディマオンはガシガシと頭を引っ掻いた。
「怯えさせるつもりはなかったんだがな。ともかく、ミレイユに関係することはなんでも、一人で全部どうにかしようと思うなよ。明日俺はお前達についていけねぇが、ヨランダが一緒に行くから安心しろよ」
「はい……って、え、ディマオンさん来れないんですか?」
「お前なぁ、誰がこの村を守るんだよ。ミレイユが離れたらこの外壁だって危ういかもしれねぇんだぞ?」
「あ……」
ミレイユを生贄にすまいとばかり考えていたせいで、村の防衛についてまでは全く考えが回っていなかった。唖然として言葉を失うマルクを見て、ディマオンは気が抜けたように太い眉を下げた。
「安心しろ。お前達が帰ってきたときに村がなくなってた、なんて最悪な結末は用意させねぇよ。お前はミレイユを守ってやんな」
「……すみません。ありがとうございます」
「いいってことよ。同じ旅仲間だろ? 次は西のフィローゼスに行かなきゃなんねぇんだからな」
「あはは、ですね」
まだ旅は、最初のヤマを乗り越えたばかりなのだ。まだミレイユの故郷にすらたどり着いていないし、ジョンスの護衛だって終わっていない。マルクが肩の力を抜きながら笑うと、ディマオンは太い唇を緩めて、ばしっとマルクの背中を叩いた。
「いてっ」
「早く肉食っとけ。もう冷めちまってんじゃねぇか?」
「あ!」
「ったく、もう一本食っとけよ。明日は忙しいんだからな」
ディマオンは最後にマルクの肩を励ますように揺らした後、盛り上がっている料理場の方へと歩き出した。その大きな背中を目に焼き付けながら、マルクは手元に残る肉をほおばってみる。すっかり冷めてしまった肉は固かったが、味は変わらず美味しいままだった。




