(7)常識
大変遅れました。申し訳ないです。
山神へ向かうための準備を終え、四時間ほど仮眠を取って目が覚めると、すっかり日は上って気持ちの良い青空が広がっていた。マルクは寝ころんだまま伸びをして、残り火が弾ける焚火を横目に眺めた。焚火をはさんだ反対側にはジョンスがおり、そこからぐるりと見回しながら身を起こすと村全体が朝もやに埋もれて白んでいた。
マルクは靄の切れ目をくぐって薪をもらってくると、焚火の真ん中にそれらを差し込みながら傍に寝ころんだままのジョンスへ声を掛ける。
「ジョンス。朝だぞ、起きろ」
「んぅー……もう一時間」
「いい加減起きろって。昨日もそれ聞いたぞ!」
「……うーなんでオレも起きるんすか。オレは山神のとこ行かないっすよね」
「いや、おまえが寝た後に山神のところへ行くことに決まったぞ」
「……はぁ!?」
驚愕で飛び上がったジョンスに呼応するように、死にかけの焚火が息を吹き返した。マルクは炎の先端から少し離れたところで指先を温めつつ、すっかり目が覚めたジョンスへ淡々と説明した。
「なんか、村の防衛が手薄になるのがいやだから、一緒に行くはずだったヨランダさんがこっちに残って、代わりにジョンスが一緒だって」
「なぁんでオレっすか!? 村よりも山神のほう危険じゃないっすかねぇ!? だったら強い人が行くべきじゃないっすか!」
「決まったことだ。……村人も、わざわざ死地に戦力は出したくないってことなんだろ」
後半は小さな声で言ったものの、ジョンスにとってはその事実だけでかなり衝撃だったようだ。
「だからって、だからってなんでオレなんすか!」
「ああ、その気持ちはよくわかるよ……」
マルクもカエヌディを立つ前はギルドマスターに文句を言ったものだ。いや、あの時の文句は自分が選ばれた理由についてだった気もするが、それももう遠い過去の話である。
「とりあえず、もう決まったことだからな。早く支度してくれ」
「嫌っす! オレはテコでもここを動かないっす!」
「またおまえは……」
こいつどうしてやろうかとマルクがひっそり拳を握っていると、ジョンスの腹部へ向けて、突然ミレイユがダッシュで頭突きをかました。
「わがままいわないのー!」
「ぐぼぇあ!?」
奇妙な悲鳴を上げて吹っ飛んでいったジョンスの前で、ミレイユはきゃらきゃらとはしゃいでいた。
「あははー! もふもふ吹っ飛んだー!」
「この……こいつ……! この……!」
口汚くミレイユを罵りたそうであったが、子供の手前で理性による歯止めがかかっているらしい。おかげでジョンスは顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせるという、かなり滑稽な姿になっていた。それがまたミレイユを喜ばせ、ジョンスが怒り心頭になるという謎循環になっているので、マルクはミレイユを後ろから抱きかかえて退散することにした。
「ミレイユ、いきなり人に飛びかかっちゃダメだろ」
「でもマルク困ってたよ?」
「それは助かったけど、もっと穏便なやり方でね」
「んー?」
ミレイユはわざとらしく首をかしげながらそっぽを向いた。その姿にマルクも憎たらしさを感じたが、久しぶりにミレイユを抱えて、腕の重みが大きくなったことに気づいて、もう全部許すことにした。
「昨日はちゃんと食べたか?」
「うん! お肉たくさん! みんながくれたの!」
「そうか。よかったな」
「うん!」
これから生贄にされるかもしれないというのに、ミレイユは明るいままだ。幼いせいで物事をうまく理解できていないのかもしれないが、それにしたって、ミレイユの行動はどこか幼すぎるように思える。少なくとも十歳を迎えたか否かぐらいの見た目に見えるのに、仕草は一桁の幼児のそれだ。ミレイユがあまり自分のことを覚えていないことや、あまりまともな大人がいなかった環境のせいかもしれない。
マルクは腕の中で大人しく身を預けているミレイユの後頭部を見下ろしながら記憶について尋ねることにした。
「なぁミレイユ、何か思い出したことはないか?」
「思い出したこと? うーん」
ミレイユは考え込むように眉を顰めて、あっと声を上げた。
「あるよ! 今日、じゃなかった、昨日の夢に出たの!」
「夢?」
「うん! 奴隷になる前にいた場所!」
「本当か!?」
思わず大きな声を上げると、近くを通りがかった村人に胡乱気な目を向けられた。マルクは急に気まずくなって、そそくさと馬車のほうへ移動しながら話を聞くことにした。
「それで、場所は?」
「えっと、教会があって、シスターがいたの。そこであったかいスープを飲んでて……でもシスターの顔は思い出せないの」
「すごいじゃないか。教会なら十分場所を絞れる! ああそうだ、スープの具材はなんだった?」
「えっとね、真っ赤でジャガイモがごろごろしてたの。あと短く切ったソーセージ!」
赤い、という事はきっとトマトスープだ。そこにソーセージの出汁がたっぷり出たスープとは、想像するだけで涎が出そうである。カエヌディでも食べられる料理だが、なかなかあの国ではトマトが取れないので、もしかしたらミレイユは温暖な気候でとても良い環境の教会で暮らしていたのかもしれない。魔法の使い方も、もしかしたらその教会で学んだ可能性がある。
ともかくこの調子で思い出してくれれば、ミレイユの故郷は案外すぐに見つかるかもしれない。マルクは楽観的に思いながら、ミレイユを馬車の座席へ座らせて、その向かいに跪きながらぎゅっと彼女の手を握った。
「ミレイユ。これからみんなで山神様に会いに行って、旅の安全を祈ってくるんだ。それが終わったら、その教会を探しに行けるよ」
「ホント?」
「もちろん。ちゃんと山神様を説得して見せるから」
「うん、マルク頑張って!」
「ああ!」
ミレイユは心配のかけらもない朗らかな笑顔でマルクの手を握り返した。しばらくそうしていると、馬車の外からサクサクと雪を踏みしめる音が聞こえてきた。
「準備は終わったかしら」
「ええ。ヨランダさん」
振り返りながら馬車から降りると、村人から貸してもらったのか新しい服を着たヨランダがいた。相変わらず美しい立ち姿に見惚れそうになるが、マルクは咳ばらいをして気持ちを切り替えた。
「あとはジョンスが準備を終えたらすぐに出発できますよ。ヨランダさんは村の護衛ですよね」
「ええ。不本意だけど、アシル村の人たちがどうしてもと言うから。私も、戦える人が減ったこの村を放っておくのが忍びないわ」
「残念ですけど、仕方ないですよ。今は本当に人手が足りませんからね」
「あら、まるで自分は人手に含まれていないような言い方ね?」
「実際そうでしょう。お二人に比べたらおれはただの一般兵みたいなものですし」
「村人の中では貴方も十分戦力扱いらしいけど。少なくともイノシシの首を何度も輪切りにできる人間って、カエヌディの外では結構強い部類よ。冒険者で言えば銀級かしら?」
「いやいや、銅級の間違いでしょう」
いくらなんでもその基準はおかしいに決まってる。カエヌディにいる冒険者がほぼミスリル級、低くても金級の人間が多い。だから彼らの実力をよく知るマルクには、自分に銀級の実力があると言われても信じられるわけがなかった。今まで知り合った冒険者の一つ二つ下の階級にいるわけがない、と。
しかしヨランダは何か可哀想なものを見るような目になって、こう言った。
「貴方の上司のドレイクは、カエヌディの外の常識も教えるべきだったわね」
「?」
「いいのよ。分からないならそれで。でも一応言っておくと、貴方はこの村の人たちと比べれば結構な実力者よ。ゾーソンと同じぐらいね」
ヨランダは諦めたように嘆息した後、思い出したように付け加えた。
「そういえば貴方達の監視役はゾーソンに決まったわ。ちょうどあそこで朝食を食べているから、一緒に食べてきたら?」
「そうですね。ジョンスもしばらく遅れそうだ」
マルクはジョンスのいる焚火のほうを盗み見て、文句を言いながらだらだら荷物をカバンに詰めている彼の後姿に肩を落とした。いくら行きたくないからと言って作業を遅らせるのは大人としてどうかと思うのだが。ヨランダもジョンスの姿を見て絶対零度の視線を向けた後、にっこりと暖かな笑顔でミレイユに振り返った。
「ミレイユ。今日は私と一緒に朝ご飯食べない?」
「食べるー!」
ミレイユは猫のように馬車の中から飛び出してヨランダに抱き着いた。かなりの衝撃だっただろうに、ヨランダは全くぐらつくことなく受け止めて、滑らかにミレイユを地面に着地させた。
「それじゃあ私たちは行くわね」
「はい。また後で」
「ばいばーい!」
手を振ってくる二人に同じように手を振り返した後、マルクはもう一度ゾーソンのほうを見る。普段緊張するような人見知りではないし、相手は知り合いなのにマルクは彼の方へ歩くのをしばらく躊躇ってしまった。
ゾーソンはさっきからずっと、もう使えなくなってしまった家財が焚火となって赤々と雪を溶かしているのを見つめて動かない。火にかけられた鍋がふつふつと泡立っていて美味しそうな香りを出しているのに、彼が手に持っているスープの器はほとんど減っていない様子で、はた目から分かるほどそれは冷めて固くなっていた。食欲がないことは明らかだし、焚火に使われている木片が、彼をそうさせているような気がして声を掛けにくかった。
マルクは遠くからゾーソンが身じろぎするのを待ってみたが、それより早く自分の足がかじかんで体が震えてきた。自分でも抑えられないぐらの寒さに諦めて、マルクはようやくゾーソンのほうへ、勢いをつけた大股で歩き出した。
ゾーソンは近づいてくるマルクにすぐ気が付いて、少し横にずれながら隣の地面を叩いてくれた。
「よ、おはようさん。良く寝れたか?」
「ああ」
「嘘つけ、クマが出来てんぞ」
目ざとくマルクの睡眠不足を指摘するゾーソンにマルクはつい照れ笑いをする。まだ知り合って一日しか立っていないのに、すっかり兄貴分のようだ。村のためにディマオンに噛みつけるほどの度量もあるのだから、ゾーソンは本当にこの村のことを大切に思っているのであろう。その姿がマルクには眩しく直視できないものだったが、肩を小突いてくるゾーソンの手は嫌ではなかった。
「さっき聞いたよ。ゾーソンが監視で同行してくれるんだって?」
少し茶化すように言ってみると、ゾーソンは片頬で笑いながら新しい器にスープをよそってマルクに渡してくれた。遅れて乱雑にスプーンが突っ込まれて、危うく中身がこぼれそうになる。ゾーソンは慌てているマルクに気づかないまま自分の固いスープを混ぜ始めた。
「監視つっても、ただ一緒にいるだけだけどな。お前、ぎりぎりで逃げるようなタマじゃねぇだろ」
「信頼しすぎだと思うけどな」
「はは、嫌に卑屈じゃねぇの。なんかあったのか?」
いや、と断りかけたが、ヨランダに言われた銀級という言葉が喉に引っかかった。あんな風に褒められて嬉しくなかったわけではないのだが、逆に過大評価なんじゃないかと不安だったのだ。
「自分の実力がどんなもんか、いまいちわからないんだ」
「ふぅん?」
ゾーソンは上がり調子な声と一緒にマルクを一瞥した後、食べかけのスープを器ごと火に近づけて温め始めた。ゆるゆると縁のあたりから油脂が溶けていくスープを見下ろしながら、マルクは反撃をするような心持で口を開いた。
「そういうゾーソンも、元気がないんじゃないか? さっき焚火を見て黄昏てたじゃないか」
「んだよ、見てたのかよ」
照れ臭そうにゾーソンは笑ってから、火が根を張っている炭をじっと見つめた。
「村が襲撃されてから、この冬を越えるために蓄えた薪はほとんど湿気っちまってな。燃やせるものと言ったら、誰かの家にあったタンスや机ぐらいで、中には大事にしてる本も、読めないからって焼いちまったやつがいる。生きるためとはいえ、当たり前にあったもんがこうして燃やされてるのを見るとやるせねぇよ」
「ゾーソン……」
彼に共感できるようにマルクも精一杯身の上を想像してみたが、所詮は想像でしかなく、ゾーソンに寄り添えるような言葉や感情は浮かばなかった。ゾーソンはようやく全体が溶けたスープをスプーンですくってみたものの、結局食べることなく、喋るために口だけを動かした。
「いつか来る未来だって頭の中で分かってても、突然こうして村が潰されるまでどうなるか分からないな。いつでもこうなった時にどうするべきか考える時間はあったのに、誰も考えようとしなかった。それでも、生きてるのが不思議だよ。俺の友達はほとんど死んで、つい最近墓を作ったのに、その墓まで、昨日壊されちまった。進んだと思ったら全部壊されて、なのにまだ俺は生きてるんだよ」
想像以上に重い独白にマルクは無言になってしまった。気の利いた励ましの言葉が欲しくて語っているわけではないのだと思うが、だからと言って黙っているままというのも、人としてどうかと思う。マルクは安っぽい何かを吐こうと浅く息を吸ったが、結局、ただの呼吸をしただけで終わった。
ゾーソンはマルクが何も言わないのに気にしていない様子で、膝の上に二の腕を気だるそうに乗せて、顎を僅かに上に向けた。
「生まれてこの方、ずっとこの村に住んで外を知らないで終わるもんだと思ってた。このまま村も壊滅して、みんなで仲良く凍死するんじゃないかって三日前まではずっと考えてたんだぜ。なのにお前ら旅人がタイミングよく来て、狩りの仕方まで教えて、今まで自分たちがどんだけ馬鹿な方法で獲物を捕まえようとしてたのかよくわかったんだ」
「……狩りの仕方、そんなに違うものだったのか?」
「ああ。根本が違うんだ。俺達は基本、罠を仕掛けて獲物がかかるまで待つか、遠くで待ち伏せして弓で仕留める。だがディマオンの旦那がやったのは自分で探し出して、解体用に使うナイフで止めを刺していくんだぜ? 普通は危険だってのに、ディマオンが言ったようにやれば簡単に倒せるんだ。魔物相手だと多少苦労するが、それでも罠を待つよりかは断然早い。ちょっと考えれば誰でも思いつくことなのによ」
ゾーソンは悔しそうだったが、同時に清々しそうに笑っていた。
アシル村のように雪に覆われ近くの村や人間との交流が取りずらい場所では、外からの情報もあまり入ってこないのだろう。しかも近くに町があるわけでもなく、日々自分たちの暮らしで精いっぱいだから、どこかへ行く余裕もない。競ったり協力する他の村がなければ、自然と古くから続く村のやり方以外を模索しようとは思わないだろう。だから、ゾーソン達がディマオンの方法に思い至らなかったのはごく自然なことだ。
だがゾーソンはそれで終わりにしたくないようだった。すっかり滑らかさを取り戻したスープを粗末な木製のスプーンでかき混ぜながら、彼は赤くなった鼻の下で白い息を吐いた。
「ずっとここにいて外を知ろうとしないんだから、あんな風に、魔物に皆殺しにされたっておかしくない。進化をやめた生物に自然はこの上なく容赦ないらしいぜ」
「考えすぎだろ。知ろうとしなかったのは、仕方がないだろ」
「いんや。自然ってのはそういう風にできてる。新しいことを望まなければ、進化に押しつぶされるんだ。俺達はたまたま進化が外側からやってきた。運が良かっただけなのさ」
ゾーソンは底の浅いスプーンで器の底に沈んだ肉を拾い上げると、弛緩した表情でそれを口に入れた。そしてマズそうに眉を顰めながらマルクへ笑った。
「はぁー、昨晩配ってくれたお前たちのスパイス、旨かったな。あれってカエヌディにあんのか?」
「いや、カエヌディは魔石と交換でああいうのを買ってるんだ。確か南の方にあるクザグ帝国から輸入してたんだったかな」
「南、か。どれぐらい遠いんだろうな」
マルクは幼いころによく見ていた世界地図を頭に引っ張り出して、考えをまとめながら口を動かした。
「ここから南にある入り江に面したニルヴィニア王国を抜けて、中央平原とシエーナ渓谷の先にあるんだ。おれも地図で見たぐらいだから、どれぐらい距離があるのか分からない。でも、カエヌディからここへ来るまでに一か月半かかったから、もしかしたら一年かかるかもな」
「ひっろいな。世界ってそんなもんなのかよ」
「らしいな。昨日のスパイスはおれたちよりずっと世界を旅してたってことだよ」
「ははっ! 人間がスパイスに負けるなんてな。本当にとんでもねぇな、外ってのは」
ゾーソンはくしゃりと顔のしわを寄せるように笑ってから、手元のスープを一気に呷った。マルクもつられて匙を動かし、柔らかな肉を噛んでみる。夜に食べた串焼きと違って、長時間煮込まれた肉は驚くほど柔らかく、筋状に解けながらあっという間に消えてしまった。味はデミグラスソースに似ているが、食べなれたものより薄く、獣独特の臭みもあった。
「不味いだろ?」
「いうほど不味くはない……げほ、ごほ」
「ほら見ろ、やっぱ不味いじゃねぇか!」
バシバシと背中を叩かれて余計にむせながら思わずマルクが笑うと、ようやく馬車の方へ荷物を運んでいるジョンスの姿が見えた。
「そろそろジョンスも準備が終わりそうだ」
「出発か?」
「時間もいい頃合いだしな。片付けたら行こう」
そう答えるとなぜかゾーソンは顔をひきつらせた。
「あおのジョンスってやつには朝飯を食わしてやらねぇのか」
「あいつ待ってたら日が暮れるだろ。なに、馬車には干し肉がまだまだあるから」
「あったかい飯があるのに、難儀なやつだ」
マルクの発言を聞き終わると、ゾーソンは悲しいものでも見るかのように馬車にいるジョンスの背中を一瞥した。
…
……
………
村人に見張られながらマルクたちは山神のいる山の洞窟へ向けて出発した。祭司の老婆に渡された地図に沿って進んでいるが、ほとんど一本道な上、意外にも洞窟までの道が綺麗に整備されているため地図は必要なさそうであった。
雪のせいで隠れてしまっているが、洞窟へ続く道にはところどころレンガの様な橙色の石が敷き詰められていた形跡があったり、階段の様なものが風化した姿で放置されていたりと、人工物が点々と道に残っている。丸みを帯びてところどころ色あせたレンガからは、気が遠くなるほどの歳月を感じられる。
それらを御者席の上から観察しながら、マルクは隣にいるゾーソンへ問うた。
「昔のアシル村は栄えていたのか?」
「随分昔だよ。村どころか、大きな街だったんじゃないかって村長は言ってたぜ。まぁ、全部遺跡として放置されてんだけどよ」
「遺跡ですか」
「そう、アシル遺跡。古代に栄え、何らかの理由で滅亡した。山神様の洞窟近くにもっとこういうのが転がってるぜ」
遺跡を見るのは初めてで、だからこそカエヌディという国家は特別だったのだとマルクは思った。カエヌディは巨大な洞窟の中に作られた国であるがゆえに、文明が衰退し流れゆく先もない、人間たちの箱庭だ。洞窟を開拓しない限りは土地が広がることがないから、建物は常に再利用であるし、大災害も滅多にないからそこに住む人間もいなくならない。転送魔法も発達し、技術と物資の往来が格段に簡単になった今では、古いものは新しく作り替えて、歴史は書物の中にしか残らないのがカエヌディの常である。
だから、このように文明の衰退が物質として残っているというのは不思議でたまらなかった。仮にも自分たちの先祖が住んでいた街が残っているのなら、アシル村の先祖の人たちは、遺跡になる前にもう一度作り直してまた住もうとは思わなかったのだろうか。それとも、できない理由があの場所にあるのだろうか。
そんな風に思いをはせていると、あっと馬車の中からミレイユが叫んだ。マルクは意識を引き戻して背後を振り返る。
「どうしたんだ?」
「うさぎさん!」
「あ、ちょっとこら、ミレイユちゃーん!?」
動転したジョンスの声がしたと思えば、ミレイユが馬車の扉を蹴り開けて外に飛び出すのが見えた。
「はぁ!?」
「何やってんだおい!」
マルクがあんぐりと口を開けて、ゾーソンは顔を真っ青にしてミレイユの後を追いかけた。ここで生贄に逃げられるのはまずいと言うのもあったが、みすみす子供を一人にするわけにはいかないという良心も働いていたように思える。それぐらいゾーソンの動きは俊敏で必死さも醸し出されていたのだが、ミレイユは村人からもらったぶかぶかの靴をものともせず、あっという間に段差を飛び越えてゾーソンを振り切ってしまった。
マルクはブレーキをかけて馬車を止めると、中で硬直したままのジョンスへ叫びながら急斜面へ飛び出した。
「ジョンス! 見張り頼んだ!」
「えぇ!? また置いてけぼりっすかぁ!」
ゾーソンの足跡を頼りにマルクが走り、数メートル先にあった斜面から下を見下ろしてみると、意外にもすぐに二人の姿は見つかった。ミレイユは何かを抱きかかえたまま涙目になっており、ゾーソンがガミガミと叱りながら指先を突き付けているのが見える。
「ったくうさぎが欲しかったんなら言えばよかっただろ!」
「だって……だって……逃げられちゃうって思ったら……」
「あーもー、我慢ってのが出来ないのかお前! お前もだぞマルク!」
近くに行くなり急に矛先をこちらに向けられて、マルクはびくっと飛び跳ねた。
「な、なんでおれ?」
「お前らが甘やかすからミレイユがこんなことするんだ! ちゃんと分別ってもん教えてやらねぇとダメだろ!」
「ご、ごめん?」
「てめぇ分かってないな!? ちょっとそこで正座!」
「ここで!?」
「当たり前だ! おいミレイユ逃げるな! 情けない大人ってやつを目に焼き付けるんだ!」
「性格悪いなぁ!」
ゾーソンによる公開処刑とも呼べる説教は、きっちり十分も続けられた。




