(2)少女
ひとしきり泣いて落ち着いたのか、少女はいつのまにかマルクの腕の中で眠っていた。時々引き攣るような呼吸をしているのが気になるが、幸い彼女は血塗れなだけで目立った外傷は見当たらず、マルクはほっと胸を撫で下ろした。
「お疲れさん!」
バシンと強く背中を叩かれてマルクはむせた。
「いてて……怪我してるんでもう少し手加減してくださいよ」
「ははは、言うようになったじゃねぇか」
ディマオンは歯を見せながらずいっとマルクと少女に顔を近づけて、しばし観察してから興味深そうに己の顎髭をさすった。
「ウェンドベアの毛皮に、加工された魔部か。遭難したにしちゃあ随分豪華な戦利品だ。意外と痩せてねぇし、食うもんにもあまり困ってなかったようだな」
「ま、待ってください。ウェンドベア……ってあの!?」
魔物には冒険者のように強さを表す等級があるが、ウェンドベアは上から数えて二番目に凶悪とされる上級の、しかも接触禁忌種に指定されている存在だ。ミスリル級以外の冒険者が接触した場合生きて帰ってこれないとまで言われるのだから、考えるだけでも恐ろしい。しかも、少女の腰に下がったウェンドベアの魔部らしき爪を見るかぎり、かの魔物の巨大さが分かろうと言うものだ。
少女がこうして腰に下げて歩いていられるのだから、この爪は見た目以上に軽いのだろう。だがその真っ青な色合いをみれば、この中に信じられないほどの魔力が込められているのは想像に固くない。オークションにかけたら城の一つでも買えそうだ。
「なんでこんなものを、こんな子供が」
少女の寝顔を凝視しながらマルクが呟くと、ディマオンはそっけなく肩をすくめた。
「さあな。まぁ、ここで考えたって仕方がない。その様子だと起きてすぐに暴れ出したりしないだろうから連れて帰るぞ」
「はい……ディマオンさん」
「おう?」
「手を貸してください。腰が抜けて……」
無事に少女を保護できた安堵と、落下の余韻が抜けきらないせいで足腰に全く力が入らない。気を失った子供を抱えているとなれば尚更だ。
「ったく仕方ないやつだなぁ!」
ディマオンはゲラゲラ笑いながら力強くマルクを引っ張り上げると、さりげなく少女を代わりに担ぎながら肩を貸してくれた。どんなに体重をかけても揺らがないディマオンの体幹に甘えて、マルクは自分の足を動かすことだけに集中した。
来た時よりも時間をかけて馬車の方へ戻ると、最初の頃より勢いが弱まった巨大な焚き火の側で屯するヨランダとジョンスが見えた。雑談がてら小さな干し肉を一緒に摘んでいたらしく、手元には温かい酒瓶が握られている。ほろ酔い気味のジョンスは干し肉の一欠片を口に放り込むと、こちらに気づいてやたら大きな声を上げた。
「遅かったっすね! なんかありましたぁ?」
「魔物はいなかったが思わぬ拾いもんがあるぜ」
そう言って、ディマオンは担いでいた少女を猫を摘むように見せびらかした。
「ちょ、ディマオンさん一応その子、怪我人だから!」
とマルクが慌てて少女を取り返した瞬間、ジョンスが幽霊でも見たかのような悲鳴を上げて少女から距離をとった。
「ひえええええ!? え、ど、どどどどこから誘拐してきたんすか! ダメですって! 元の場所に返してきなさいっす!?」
「バァーカ、誘拐なわきゃねぇだろ。一人で遭難してたんだよ」
ディマオンは蒼白になったジョンスの額を小突いた後、一瞬だけマルクの方へ視線をやった。人差し指を左右に振るディマオンの合図を見せられてマルクはすぐにピンと来なかったが、遅れて「黙っていろ」という意味だと悟った。おそらく、少女に襲われたことはここでは話してはいけない、と言うことなのだろう。実際のディマオンの伝えたかったことはどうあれ、余計なことを言わないよう、マルクは一歩引いた場所で静観することにした。
酔いが回って正常な判断ができないジョンスはまだ口をパクパクさせて座り込んだままだったが、ヨランダは静かな声音でディマオンに詰め寄った。
「ディマオン。ちゃんと説明してちょうだい」
「ああ。だがその前に肉くれ。小腹が空いた」
肩をほぐしながらディマオンは焚き火の横の木箱の上にどっかり座り、背中の大剣を脇に置いた。ヨランダはしばらく呑気なディマオンを睨め付けていたが、諦めたように嘆息して、手に持っていた干し肉を彼に投げつけた。そしてヨランダは酒瓶を片手にマルクの元へ歩み寄り、横抱きにされた少女を見下ろした。
「血塗れね……その子を貸して。私が拭いてくるわ」
「それならおれが……いや、お願いします」
ミスリル級に雑用なんてさせられないと思ったが、血を拭うには少女の服を脱がせなければならないと気づいて、マルクは素直に仕事を譲った。落とさないように慎重に少女をヨランダに引き渡そうとしたのだが、ヨランダは意外にもガサツな動作で少女を奪い取るや、片手に担いだままさっさと馬車の裏に回ってしまった。
魔法使いというのは大体が筋力が劣るものだと思っていたが、ヨランダの場合はいっそ普通の女性よりたくましいらしい。ミスリル級の魔法使いともなれば文武両道なのだな、と彼女の底知れなさを再認識しながら、マルクは深く安堵の息をついた。治癒魔法が使えるヨランダがいれば少女もきっと良くなるだろう。
ぱしっと両頬を叩いて気持ちを切り替えると、マルクは未だ雪の上で怯えているジョンスへ近づいた。
「ジョンス、まだ惚けてんのか? いくらなんでも酔いが回りすぎだろ。ちょっと子供を保護しただけだって」
「あ、ああそうだな。ただの、遭難した子供だな?」
ジョンスはパタパタと厚着したコートの襟を手で揺らし、大きく深呼吸をした。本気で動揺していたらしいジョンスに手を差し出しながら、マルクは心から彼を心配した。
「大丈夫か? あんまり酔いが酷いならもう寝た方がいいんじゃないか?」
「平気っすよ。すっかり目が覚めましたわ」
ジョンスはへらりと笑って頭を掻くと、木箱の上に座り直して再び酒を煽った。もうやめとけって、とマルクが苦笑しようが、ジョンスはガブガブと口の端から酒をこぼしながら残りを一気に腹に収めてしまう。
「ぷはぁ! ……んで、あの子本当に拾ったんすか?」
「だから、そうだって言ってるだろ」
「いやいやぁ、こんな場所に子供が一人ってのは変な話じゃないっすか。魔物が化けてるとかじゃないっすよね?」
「どう見たって魔物じゃなかっただろう」
「そうかぁ?」
ひっく、と甲高いしゃっくりをこぼしながらジョンスは首を傾けると、赤ら鼻から眠気を吐き出してまた木箱から転げ落ちた。これはちょっと重症かもしれない。
…
……
………
怪我の治療も終わり、破けてボロボロになった少女の服を別の服に着替えさせて数分後、ようやく少女は焚き火の横で目覚めてくれた。少女はディマオンが予想した通りいきなり魔法をぶっ放したり暴れ回ることはなく、興味深げにこの場にいる人間の顔を見回した。
「お兄さんたちだれー?」
まるで側を通りかかる人に誰彼構わず興味を持つ子供そのままだ。初対面の時の凶悪さを全く感じさせない少女の振る舞いに、マルクは思わずまじまじと彼女を上から下まで凝視してしまった。ディマオンだって驚いているだろうに、彼はそんな感情をおくびにも出さず平然と少女と会話を交わしていた。
「よぉ、嬢ちゃん。俺たちは冒険者で、世界中を回っている旅人みたいなもんだ。俺はディマオン。よろしくな」
「うん! よろしくねー!」
「私はヨランダよ。あっちの鎧を着ているのがマルク。あっちのもこもこはジョンスよ」
「あれって、オレはモノじゃないっすよヨランダさぁん!」
一人だけ酷い扱いを受けたジョンスが悲痛な叫びで訴えると、少女はきゃらきゃらと赤子のように笑った。
「もこもこー!」
「わぁもう変な覚え方された! 責任とって欲しいっす!」
バタバタと雪の上で暴れ回るジョンスを放置して、ヨランダは少女と目線を合わせながら微かに笑みを浮かべた。
「あなたのお名前は?」
「ミレイユだよ」
「そう。いい名前ね。どこから来たの?」
「えっと……えっと?」
ミレイユと名乗った少女は左右に何度か首を傾げ、答えようと口を開いてはまた黙り込んでしまった。ついにはぐずぐずと泣き出してしまい、ヨランダは困惑しながらミレイユを抱き寄せた。
「無理に言わなくていいわ。よほど辛い目に遭ったのでしょうね」
ヨランダの言葉にミレイユは弱々しく首を振ったが、何も言わずに強くヨランダの腰にしがみついた。貧困街の子供のように痩せ細ったミレイユの腕は震えていて、マルクは引っ込めたばかりの涙をまた目尻に滲ませた。
「ヨランダさん。我儘を言わせてください。どうか、ジョンスの護送が終わった後に……」
「言わなくていいわ。元からそのつもりだから。いいわよね、ディマオン」
ヨランダが長い髪の隙間からディマオンを見つめると、彼は立ち上がって胸を張った。
「いいぜ。嬢ちゃんの家族と故郷を見つけるまで、数年ぶりの旅と行こうじゃねぇか!」
男前なディマオンの宣言にマルクは自然と満面の笑みを浮かべてガッツポーズをした。手がかりも何もない状況だが、二人がいれば絶対に見つかるに決まっている。なにせ彼らはミスリル級冒険者なのだから。
「なぁ、マルク、いいんすか?」
ふと馬車の側の木箱に座っていたジョンスが眉を顰めた。
「何が?」
「カエヌディに両親がいるのに、いつ帰れるかわからない旅に参加していいんすか?」
「ああ……」
カエヌディの人々は長寿ではない。大体五十代前後で寿命が訪れる。マルクの両親は現在四十五歳で、あと五年もすればいつ死んでもおかしくない年齢となる。両親と過ごせる限られた時間があるのに、終わりがいつとも知れない旅へ行くとなると、もしかしたら両親の死に目に会えないかもしれない。下手をすれば、不慮の事故で故郷に帰ることすらできないかもしれないのだ。
マルクは少し考えた後、困ったように笑った。
「今回の旅に行く前にも、おれは考えたよ。白霧の森で魔物に殺されて終わったら、両親に二度と会えないなとか、おれがいない間に二人に何かあったら何もできないな、とか。でも、憧れは捨てられないんだよ。カエヌディの外の景色は冒険者しか知らないし、おれは冒険者になれるほど強くない。だから、外を見れるのは今しかないんだ。ディマオンさんたちと旅をできるのも、ミレイユの人生に付き合うのだって全部今しかない。それで十分だろ」
ジョンスはマルクの言葉を吟味するように斜め下に視線を置いた。その仕草は眼鏡をかけた学者を連想するほど綺麗な姿勢で、マルクはつい口をつぐむ。いつもへらへらしているジョンスらしくない、本当に真剣にこちらのことを考えてくれているようだった。
しばらくして、ジョンスはへらりと顔の緊張を解いた。
「んじゃあ、オレも一緒でいいっすよね。オレだって、駆け出しのペーペーでも一応冒険者なんだ。旅ができるなら乗っかるしかないっしょ」
どっこいしょ! と勢いをつけてジョンスは飛び上がると、白い歯を見せながら人差し指を立てた。
「つーことで、オレの護送は後回し! ミレイユちゃんの家族探しが最優先ってことで!」
「こういう時だけ調子がいいなぁ」
「全くよ」
マルクとヨランダが顔を見合わせてからかえば、ジョンスはまだ赤みが残った頬を余計に赤くしながらいいじゃないかと喚きだした。子供じみた動作はやはりいつも通りで、ちょっと抜けた初心者冒険者そのものである。その事実になぜかほっとしていると、焚き火の炎が強風に煽られ大きくはためいた。焚き火の側に立っていた一同はつい表情を固くし、次々に消えていく炎の天辺を見つめた。
「旅を続けるにしても、先ずは馬車をどうにかしなけりゃあな」
ディマオンのいうことは尤もだ。碌に食べ物もないこの大地を何週間も歩いていくのは不可能であるし、ここにまだ残っている食料を持っていくにも人が運べる数となればたかが知れている。暖をとるにしても、大量の魔石が必要になるから、やはり馬車がなければ旅を続けられないことは明白だった。それに常に吹雪に包まれたこの大地を、何の壁もなく歩き続けるのは無謀すぎるのだ。
「せめて魔物の骨でも転がってりゃ良かったんだがな。もう日が暮れるし、また明日出直すかね」
「明日、獣寄せに血でも撒いてみますか」
「おっと、誰の血を撒くんだ?」
「そうですねぇ手始めにジョンスを……」
マルクとディマオンが仄暗い笑みを浮かべながらジョンスに目を向ければ、彼は盛大に顔をひくつかせて足元の雪に踵を沈めた。
「冗談っすよね、え、冗談? 否定してくれっす!」
段々恐怖に震え始めたジョンスの様子が面白くて、マルクは耐えきれずに吹き出した。遅れてくすくすとヨランダが笑みをこぼしたことで、ようやくジョンスも揶揄われたと理解できたらしい。先程と打って変わって笑いながら怒鳴り出した。
「もっと分かりやすい冗談にしてほしいっす! ディマオンの目がガチすぎるんすよ!」
「ははは! すまんな!」
カラッとした笑顔を浮かべながらディマオンはジョンスの背中を強く叩き、チラリと大剣の方を見やった。
「そうと決まれば、馬車を元に戻して寝床を作らんとな」
「ねどこ?」
ヨランダにしがみついたままのミレイユがこてんと首を傾げたので、マルクは彼女に目線を合わせるよう腰をかがめた。
「そう、寝床。雪の上じゃ寝られないから、暖かい馬車の中で寝るんだよ」
「雪もあったかいよ? ほら!」
と、少女が両手を広げたと思いきや、彼女の細い腕に編み目のような光が走り回った。ついでどこからともなく地響きが聞こえて来て、彼女の背後の雪が意思を持ったようにひとりでに動き出した。
「お、おお!?」
山のように盛り上がった雪はやがて内側に空洞を作り、見たことのあるドーム状の雪の建物となって動きを止めた。
「これは……ミレイユ、あなたが?」
「うん! ハイヴの真似!」
突然飛び出してきた人名らしき言葉に一同は顔を見合わせた。
「ハイヴって、誰のことっすか?」
「んーとね、大きくて真っ黒で、足が速いの!」
「それゴキブリじゃないっすか?」
「違うよ! 狼だよ!」
マルクはゴキブリというものがなんなのか知らなかったが、ミレイユの怒りっぷりを見るにあまりいいものではないらしい。ジョンスとミレイユが知っているということは、きっとカエヌディのような極寒の地には生息しない生き物のことだろう。
しかし黒い狼というのは、なんともおかしな話である。雪ばかりのカエヌディでは白い毛並みの魔物や生物しかいないはずなのだが。
「ミレイユ。この辺りに黒い狼なんていないわよ? いるとすれば白い狼ぐらいだけど」
マルクと同じ疑問を抱いたヨランダが諭すようにミレイユへ語り掛けるが、彼女は大きく首を振った。
「本当にいたもん。昨日までずっと一緒だったもん!」
「昨日まで?」
やけにはっきりと断定するものだから、マルクは思わずおうむ返しに聞き返してしまった。ただの子供の思い込みかもと思っていたが、ミレイユの迫真の表情からしてさすがに信じていいかもしれない。それにミレイユが先ほど作り上げた雪のドームと同じものを、マルクはディマオンとともにこの目で確認したし、その中には子供とホワイトウルフの足跡が寄り添うように残されていたのも見た。黒い狼、ということまでは信用ならないが、狼といたという事だけは事実に違いないのだ。
マルクは少しだけ言いよどんだ後にミレイユへこう尋ねた。
「ハイヴって、今はどこにいるんだ?」
「わからない」
「わからないって……」
「昨日のことよく覚えてないの。ハイヴと一緒に歌を歌ってたら、急に大きな音がして、目が覚めたら一人だったの。ハイヴの足跡もなくて、いっぱい血があったの……」
だんだんと声音を沈ませながらミレイユは顔をうつむけて、ぎゅっと両手で服の裾を握りしめた。
「置いていかないでって言ったのに……わたしのこと嫌いになったのかなぁ?」
ぽたぽたとミレイユの頬から涙が伝い落ちて、足元の雪に小さなくぼみを作り始める。マルクはまた緩みかけた涙腺を引き締めなおしながら膝をつき、ミレイユと目線を合わせて笑顔を作った。
「大丈夫だよ。きっと何か大変なことがあって、どうしても離れなくちゃいけなかったんだ」
「うん……」
納得はいっていなそうだったが、ミレイユは弱々しく頷いてくれた。
もし、本当に黒い狼とずっと生活してきたのなら、それはどんなに彼女にとって心強いものだっただろう。身寄りもなく自分を守ってくれる人もいないこの極寒の地であればなおのこと、自然を知る獣の力は何よりも頼れたものに違いない。
いなくなってしまった狼のことは気がかりだが、相手は魔物で、一匹で生きていくだけの力もあるはずである。狼であれば、もしかしたらミレイユの臭いを辿っていずれ会いに来てくれる可能性だってある。今優先するべきは、ミレイユをジョンスと一緒に安全な土地へ送り出すことで、他のことに余裕を裂くわけにはいかないのだ。
マルクが沈鬱になりそうな表情を誤魔化そうとしていると、そういえば、とジョンスが全く感傷に浸っていない様子でミレイユの腰に下がっている獣の皮を指さした。
「ミレイユ。それなんすか?」
「おいジョンス」
「だって、気になるんっすもん!」
ジョンスが子供のような言い訳をしてくるのでマルクは堂々とため息をついた。だが肝心のミレイユは空気の読めない彼の行動を気にした風もなく、腰に下げていたそれを取って雪の上に広げた。
「えっと、これ名前があったの。たしか、ちょぞう用魔法陣、だったかな?」
言いながらミレイユが手のひらをかざすと、魔法陣を使うとき特有のそよ風が吹いて、獣の皮に刻まれた複雑な魔法陣が滲むように輝きだした。そしてミレイユはあろうことか、その魔法陣の中へと手を突っ込んで見せた。
「え、ええ!?」
「ちょっと、大丈夫なの!?」
「……? なんで?」
ミレイユはあっけにとられながらもそう答えて、ずるりと魔法陣から腕を引き抜いた。そして彼女の手にはさっきまで握られていなかったはずの魔物の大きな骨があった。
「ブランオスターの骨だ。しかも丈夫な大腿部の!」
マルクが大声をあげると、ジョンスが大量の冷や汗をかきながらその骨をミレイユからひったくった。
「おいなにしてんだよ!」
「いやいやいや……いやいやいやいや! おかしい、絶対おかしい! これ、白霧の森の魔物の骨っすよね!? どうやって手に入れたんすか! つか、なんで魔法陣の中から!?」
混乱しているジョンスの横ではいつの間にか獣の皮を拾い上げたヨランダが、眉間に深い皺を刻みながら未知の魔法陣を凝視していた。
「どういう原理なの? 物質を異空間から取り出すなんて賢者並みの設計技術がなければ発動できないはず。魔力消費だって凄まじいのに……」
「こらこらこら、お前ら落ち着けよ」
あっちこっちで思考の海に沈もうとしている二人の背中を叩いてディマオンは現実に引き戻すと、まず先にジョンスの手元から魔物の骨を取り上げた。
「急にすまんなミレイユ。あと、ちょいと不躾なのは承知なんだが、この骨、貰っていいかい?」
ミレイユはまん丸に目を剥いた後に大げさなぐらい大きく頷いた。
「うん! まだまだいっぱいあるよ!」
「今日は一本でいい。また必要になったら頼むよ」
「いいよ!」
頼られたのがよっぽど嬉しかったのか、朗らかに笑うミレイユの頭に一瞬犬の耳としっぽが見えた気がした。彼女の愛らしい仕草に、いつも表情が硬めなヨランダですら明らかに優しい笑顔になっていた。
「ありがとうミレイユ。これで馬車が動かせるわ」
「えへへ」
「よしマルク、飯の準備が終わったら早速修理するぞ。腹がすいてはなんとやらってな!」
「ですね! 今日は思い切ってシチューを作りますか!」
「おうよ!」
マルクとディマオンは一緒に腕まくりをしながら食料を乗せた二代目の馬車へ移動し、バケツリレーの要領で必要な食材を焚火の近くへ移動させにかかった。
今日は人数が多い上に、栄養失調気味のミレイユのために野菜をたくさん使ったほうがいいだろう。調味料も今まで温存してきたおかげで一週間分はきっちり残っている。今日ぐらいは、豪勢な食事でもいいはずだ。
手早く調理場の準備をしていると、横からヨランダが声を掛けてきた。
「せっかくだし私も手伝うわ」
「いや、お前は座っとけ」
ディマオンは速攻で妻の申し出を断り、紳士的にヨランダを焚火の傍に座らせた。彼女の絶望的な調理技術を知っている男一同は、素直に座り直したヨランダを見てこっそりと胸をなでおろした。その様子を見ていたミレイユはディマオンとヨランダを交互に眺めた後、無邪気にこう言い放った。
「ヨランダって料理できないの?」
「ぶっ」
スープの味見をしていたマルクは噴出して、咄嗟にジョンスがフォローに入った。
「違うっすよ! ヨランダさんにはその、いつも世話になってるから、こういう時はゆっくりしてほしいんすよ! ね、ね!」
「そう! 決して料理ができないというわけじゃないんだ!」
「ふーん?」
ミレイユは全く分かっていなそうだったが、すぐに興味が失せたようでふふっと笑いながら焚火に視線を戻した。
「ハイヴもここにいたらよかったのになぁ」
何気ない小さな呟きだった。賑やかさにかき消されてしまいそうなほどあまりにも自然な声で、マルクはそのまま流しかけてしまった。
だが意外にも、ジョンスがミレイユの言葉を拾っていた。
「大好きだったんすね」
「うん、白い熊から助けてくれたの。それからずっと一緒にいたんだ。寝る時も、ご飯を取りに行く時も」
「そっすか。ちなみに、どうしてこんな場所に?」
「馬車で連れてこられたの。カエヌディで奴隷として売られるはずだったんだけど」
「え、カエヌディは奴隷を禁止しているはずですよね」
カエヌディは随分昔に、先代の王が崩玉してから法が改正され、奴隷を海外から購入することも、国内で運用することも厳しく禁止されている。そもそも先代の王より昔の時代からカエヌディは奴隷を使ってこなかったので、ミレイユのように奴隷をわざわざ取り寄せるなんてことがあるはずないのだ。
ふと、ディマオンとヨランダが不自然に黙り込んでいることにマルクは気がついた。
「ヨランダさん?」
「マルク。スープが吹きこぼれそうよ」
「あっ!」
慌てて鍋を火から外して、入れ損ねていた具材をゆっくりと投入する。それから鍋ごと火が弱い場所へ移動させて蓋をかけた後、マルクはホッとため息をついた。それから何気なくジョンスのほうへ顔を向けると、焚き火に照らされた彼の横顔が見えた。夜が迫ってきたからなのかもしれないが、その時のジョンスの口元は、仄暗く笑っているような気がした。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。しばらく忙しくなるため、次の更新は遅れます。
申し訳ありませんが、どうぞ気長にお待ちください。




