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(11)離別

 折角かまくらを作ったのだから、しばらくここを拠点にして食料の補充をしようと思う。貯蔵庫の中にはまだブランオスターの肉とキュールラビットの肉があるが、南へ行くにつれて魔物の姿が少なくなってきている。狩る獲物自体がいなくなって餓死する可能性があるのなら、やっぱり獲物がいるうちに食料をたくさん持っておきたい。


 俺とミレイユはかまくらの中で一晩を過ごした後、いつものように彼女を背中に乗せて外へ出かけた。少女は脇に抱えた『ファイア・ボール』の魔法陣を掲げると、小さな火を出して温まり始めた。ウェンドベアのコートの下はただの薄い麻布の服なので薄着に変わりはない。本当はかまくらの中で待っていて欲しいが、今回もミレイユはついていくと言って聞かなかった。


 コートの裾から覗く赤くなってしまった少女の掌を見ながら俺は足を早めた。吹雪は収まっているが、凍傷の危険はいつだってつきものだ。早く暖かい場所へ移動させてやりたい。


 数分ほど歩いただけで小高い丘にあったかまくらが見えなくなった。足跡が真っすぐと俺の元まで続いて青い影をにじませているが、また吹雪いてきたらまっさらな表面に戻ってしまうだろう。臭いを辿ればかまくらに戻るなんて造作もないことなのに、俺は不安でたまらなかった。

 そんな俺の不安を察知したわけではないだろうが、頭上で少女が上機嫌な声音で話題を持ってきた。


「ハイヴは魔法陣を書けるけど、どこで習ったの?」


 俺は歩きながら首を横に振る。


「分からないの?」


 頷くと、ミレイユは考え込むように唸りながら俺の頭に寝転がった。


 ミレイユに会う前にも、俺は自分の知識は一体どこから来るのか悩んでいたが、考えてもしょうがないと、いつもなあなあにして終わらせている。所詮獣の脳みそは忘れっぽいので、どこで魔法陣を学んだかもとっくの昔に忘れてしまったのだろう。ただ最近は自分の知識に関して違和感を覚える機会が多くなった気がする。兄達と一緒にいたときにこういった知識を使う必要がなかったからかもしれないが、それにしたって、夢から覚めていくように自分の意思や行動に対して齟齬を感じるというのは、気持ちが悪すぎる。


 もしかしたら自分は魔物ですらないのかもしれない、もともとは人間だったのではという突拍子もない憶測が、ふとした瞬間に脳裏に芽生えるのだ。


 雪に沈む自分の黒い前足を見下ろしていると、ミレイユにぺしぺしと耳元を叩かれた。


「ハイヴ、私も魔法陣の勉強がしたい! 帰ったら教えて!」


 まったくこの子は、自分でかまくらを改造できるような魔法が使えるのに。俺が知っている魔法陣もそれほど多くはないし、彼女の魔法には劣るだろうが……請われたならしょうがない。


 俺は力強く鼻を鳴らしながら大きく頷き、勝手に動き出しそうなしっぽは必死に押さえ込んでおいた。俺の返事を見たミレイユはやったと嬉しそうに飛び跳ねて、俺の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。


 ぱち、と頭上で魔法陣の上のファイアボールが小さく弾ける音がする。洞窟の中でぶちまけてしまうぐらいに制御が下手だったのに、少女は安定して炎を一か所に留められるようになっていた。


 自分で応用を編み出して、新しい魔法も作り出してしまうような子だ。もし誰かがミレイユに魔法の基礎を教えたらもっと自在に魔法を扱えるようになるだろう。俺の力ではそこまで教えられないから、どこかいい学校に送り出してやりたい。

 俺が魔物ではなく、人間で、普通に生活しているような家庭をこの子と築けていたら、その願いも叶ったのかもしれない。魔物の俺が出来るのは、ミレイユを安全な人間の生活圏へと送り出すことだけだ。


 ふと、頭上から鼻歌が聞こえてきた。ミレイユの幼い声が精一杯高い声を出して奏でるそれは、当たり前だが、全く聞き覚えのない音色だった。俺も歌ってみようとするが、音程なぞ取れるはずもなく、変な鳴き声を口の端から零している有様だ。

 それでもミレイユは楽しそうに足をブラブラさせながら、調子をつけて歌う。


 俺は一緒に歌うのを諦めて、しばらくの間それに耳を傾けることにした。


 聴覚に集中していたためか。


 ずっと遠くで雪が沈む音が、やけにはっきり聞こえた。


 咄嗟に足を止めてその方向を見ると、平坦な雪に上に不自然な白い盛り上がりがあった。少女も俺の視線の先にある物体に気付いて歌を止め、炎を消してから俺の頭に強くしがみついた。


 いつでも逃げられるように後ろに重心を写しながら、その盛り上がりにじっと目を凝らしてみる。白く短い体毛に包まれているそいつは蹲っているらしい。苦し気な息遣いと白い蒸気が表面から立ち上っている。


 なんだあれは。


 思った瞬間、丸まっていた何かが突然両足で立ち上がった。


 長い四肢に支えられた分厚い胴体と、毛の生えていない頭。銀世界が陽炎の如く揺らぐほどの殺意のオーラ。人間に似た顔には、三本爪の裂傷が古傷として刻まれている。


 昔、母親から聞いた事がある。白霧の森には血に飢えた番人がおり、そいつは人間の顔を持った毛深い巨人で、顔には傷があるという。番人は森の調和を保つために、掟を破ったものを殺しに来ると。


 確か番人の名前は、グラトニーだったか。


 グラトニーの話は兄弟たちで寝る前に聞かされた程度で、その対処法なんて知らない。出会ったら終わり、だから掟はしっかり守りなさいとだけ。


 俺は掟を破っていない。白霧の森の外に出てはいけないなんて決まりはない。人間を連れて行ってはいけないなんて聞かされていない。家族から離れてはいいけないなんてことも掟にはなかったはずだ。


 白霧の森の掟はたった一つ、森の木々に血を捧げよ。


 グラトニーは俺たちに向かって一直線に向かってきた。命の危機が迫りくる恐怖で尻尾が丸まり、引き気味だった後ろ足が勝手に動いて敵に背を向け、前足が激しく雪を蹴り飛ばした。


「は、ハイヴ!」


 ミレイユが俺の首にしがみつきながら泣きそうな声を上げる。その背後で、一瞬にして距離を詰めたグラトニーの太い腕が振り上げられた。


 俺はグラトニーの動向を見極め、ギリギリのタイミングで避けた。


 ゴォオ! と俺たちがさっきまでいた場所が小さな隕石が落下したように陥没し、大爆発を巻き起こした。背中から投げ出されたミレイユをしっぽでキャッチし、しっかり捕まえたまま俺は爆風の勢いを利用して再び走り出す。

 恐怖で萎えていく足に鞭打って全力で走ろうとするが、こわばった身体だと景色が流れる速度がいつも以上に遅く感じる。それが余計な焦燥感を生み出し、俺の足をさらに鈍らせていく。


 このまま追いつかれたら、俺はどうなる? あの巨大な腕に背中をひき潰され、頭から咀嚼されていくのだろうか。それとも俺がキュールラビットを解体した時のように四肢をもいで、後でゆっくり食べるつもりなのだろうか。生きたまま、解体させられるのか。


 俺が死んだらミレイユも殺される。ウェンドベアに踏みつぶされた人のように赤いしみになって、彼女の暖かな皮膚が冷たくなって………。


 不意に瞼の上が暗くなった。顔をあげると、はるか上空まで跳躍したグラトニーの巨体が見えた。グラトニーの両腕が青白く輝き、高密度の魔回路に魔力が循環していくのがはっきりと網膜に映る。


『グルァ!』


 魔素がグラトニーの元へ渦巻きながら収束し始める。その吸引力はもはや竜巻そのもので、俺の体も一瞬空へ持っていかれそうになった。


 しかし魔素の吸引は長くは続かなかった。両腕への引力が徐々に弱まる代わりに、バキバキとグラトニーの全身から魔法が完成されていく音が響く。


 形作られた魔法は、グラトニーの全身を覆う銀色の鎧となった。


『アイスブロック・テンペスト』


 グラトニーが発動した魔法は、彼を厄災級に位置させる所以であるもの。身体強化による底上げにより、全身が魔回路そのものになる。


 端的に言えば、グラトニー自身が変幻自在な超級魔法となったのだ。


『グルアアアアアアアアアア!!』


 猛烈な魔力と殺気が爆発し、グラトニーを中心に空気の膜が拡散する。


 五十メートル付近からの衝撃で俺たちは吹き飛ばされ、雪の上に体を打ち付けた。肺を潰されて喉から甲高い悲鳴が上がる。同時に俺のしっぽにくるまれていたミレイユからももだえ苦しむ気配がし、やがて動かなくなった。

 重くなったしっぽに驚いてミレイユを雪の上に下ろして具合を確認する。鼻先で揺すってみるが、全く動く気配はない。かすかに苦しげな呼吸は聞こえた。先ほどの咆哮による衝撃で気絶してしまったらしい。


 俺はもう一度尻尾で少女を持ち上げると、その状態でホールドしつつグラトニーを顧みた。


 そいつは鼻息を荒くして、充血した目で俺たちを睨みつけている。こちらがグラトニーの敵意を買ってしまったらしいが、俺達はしっかりと掟を守ってきたはずだ。狩によって森に血を捧げ、ミレイユも食事を通して同じように血を捧げたはず。まさか、ミレイユの捧げた血が少なすぎたのか? そうだとすれば、すべての狩を自分で行おうとした俺の責任だ。


 テレパシーさえあれば、俺だけを罰してくれと弁明できただろうに。


 歯噛みしながらグラトニーから後ずさる。ミレイユが気絶した状態でしっぽも満足に使えないままではスピードを出し切れない。おそらく、逃げ切ることはできない。


『グルアアアアオオオオ!』


 唐突にグラトニーが叫び、鎧に包まれた体を左右に揺らした。刹那、ブランオスターと同じく雪を吹き飛ばしながらその姿をかき消してしまう。


 ようやく俺の体が動き出した時には、硬質な銀色が右前足を側面から叩いていた。


 不快な音を立てて足があらぬ方向へ曲がる。俺は殴られた力でそのまま吹き飛ばされた。遅れて激痛が前足全体に走り、徐々にビリビリと皮膚がひきつる感覚となる。


 早く動かなければ。


 脳みそがガンガンと警告を鳴らしても、平衡感覚がずれてしまったせいで立てない。


 風を切る騒音が耳を叩いた。這い蹲る俺が目を開けると、魔力を撒き散らす巨大な吹雪が迫っていた。

あっという間に視界が白く塗り込められ、体毛の隙間に雪が入り込む。吹雪の勢いは増して、大勢の人間に殴られていると錯覚するほど暴力的な威力になった。


 呼吸もままならない風圧の中に、グラトニーの怒号が紛れる。遠いそれは次第に近づいてくるものの、俺をなぶる吹雪の渦のせいで、全方位から咆哮が聞こえる。


 逃げなければ。

 逃げなければ。

 逃げなければ!


 無理やり身を起こした俺の目の前に、銀色の閃光が射す。


 気づいた時には、グラトニーの拳が眉間に直撃していた。


 耳の奥で頭蓋が砕ける。体が地面に叩きつけられ、跳ねる。俺の体はあっけなく中を舞う。


 わずかな間、吹雪が晴れて灰色の空が覗いた。俺は今吹雪の渦を抜けて、空に打ち上げられている。意味がわからない。頭が真っ白になった。


 もはや的でしかない俺に、グラトニーが『テンペスト・アロー』を放つ。威力は同系統である『アイス・アロー』をはるかに超える。


 巨大な鏃がグラトニーの拳で打ち出され、ソニックブームを生み出しながら雪原の表面を波打たせた。避けようと体をひねった時にはもう、俺の腹のど真ん中を貫かれていた。


 強い衝撃が背中をうち、背骨が綺麗に吹き飛ばされる。俺の視界は明滅し、縦になった世界が空と雪原をぐるぐると行き来して、やがて雪に追突した。


 吹雪が晴れた。


 それでも体は動かなかった。


 尻尾の中には、まだミレイユがいる。


 上半身は動くが、下半身の感覚は全くない。尻尾を緩めて彼女を放すこともできなかった。


 俺は無理やり体を曲げると、ミレイユの元へ這いずった。彼女だけでも、生きて欲しい。負け犬と心中させるわけにはいかない。この子にはまだ未来がある。こんな場所に連れてこられなければ普通に生きていられた。ミレイユに罪があるわけじゃないのに、ここで死ぬのはあまりにも理不尽だ。


 体を丸めて行くたびに、腹の中の温かいものが溢れて冷たくなっていく。

 ミレイユと寝る時に、俺はよく彼女を包むようにして眠っていた。それと同じ動きをしているだけなのに、体はいつものように動いてくれなかった。寒さを通り越してもう体に感覚がない。腹部から全身に根付いた激痛はなりを潜めて、ただだた体の気だるさばかりが億劫だ。


 ミレイユの手足は真っ青になっていた。早く温めないと壊死してしまう。彼女が握りしめたままのファイアボールの魔法陣を鼻先でつついても、彼女の身体から魔力は流れ出してくれない。このままでは寒さで死んでしまうぞと、声を絞り出して見るが、もう情けない鳴き声すら出てこないようだ。


 俺の顔の横で動かないミレイユの顔をそっと舐めると、また頭上に影が差した。

 鎧を解いたグラトニーが俺たちを見下ろしている。怒りに飲まれていたそいつの顔は今は無表情で、真っ黒な瞳で何を考えているか分からなかった。


 どうしてこうなってしまったんだろうな。


 俺はぼんやりと考えながら、凍ったように動かない尻尾を牙で引きちぎってミレイユを解いた。まだ目覚めぬ彼女のコートを引っ張って俺の首元まで持ってくると、初めて彼女を拾った時のように自分の体で包んだ。


 四肢は驚くほど冷たかったが、ミレイユの心臓はまだ温かかった。


 俺には勿体ない子だったと、肺の中が空っぽになるまで息を吐く。


 兄達にさえ見捨てられた俺は、ウェンドベアとの戦いできっと死ぬはずだった。ミレイユがいなければ、あそこまで頑張ろうとは思わなかった。彼女と一緒に過ごしていなければ、死ぬのが怖いとすら思わなかったかもしれない。


 ミレイユが俺を怖がらずに受け入れてくれたから、俺も彼女が大好きになった。


 今日で最後だ。


 俺はグラトニーを見上げた。


 彼女だけは見逃して欲しい。お前になにをしたか俺は分からずじまいだが、この子は関係ないはずだから。


 思いはどこまで伝わったか。貧血で穴だらけになった視界の中、薄っすらとそいつが動くのだけは分かった。それっきり、網膜が機能しなくなる。


 最後に彼が何をするのかを見ることは叶わないらしい。


 暗転する世界の中で、俺はずっと息を止めていた。

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