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(9.5)カエヌディを発つ

 カエヌディの兵士の宿舎で寝泊りをする人間は、なにも兵士だけではない。仕事にあぶれた人、一文無し、冒険遭難者。そんな人間ばかりが集まっているのだから、宿舎は汗と汚れの酸っぱい匂いが充満していた。


 普通の人であればまず熟睡できないであろう環境だが、マルクは硬いベッドの上でぐーすか惰眠を貪っていた。捲れたシャツに手を突っ込んで腹を掻く姿はそこらの浮浪者とあまり大差がなかった。


「んー、むにゃむにゃ」


 マルクが幸せそうに涎を垂らしながら寝言を口にした瞬間、むき出しの腹部に誰かのトンファーキックが叩き込まれた。


「ぐぼぁ!?」


 マルクは息を吐き出しながら吹っ飛び、背中をしたたかに打ちつけた。痛みに悶えながら顔を上げれば、門番のドレイクが腕を組んで立っていた。


「な、なんでずがいきなり………」


 どうにか声を絞り出して尋ねると、ドレイクは髭をジョリジョリと指で擦りながら、強面の顔をニヒルに歪めた。


「あの遭難者の男、ジョンスといったか。あいつが国に帰ることになった。その『見送り』にお前が行けとギルドからのお達しだ」


 見送り、つまり遭難者や難民を祖国に送り出す護衛だ。

 見送りのルートは二つ。カエヌディの洞窟の北を進んで山脈を越えるルートと、ジョンスが逃げ込んできた正門の南洞窟から白霧の森を経由していくルートがある。


 ジョンスは南の国のフィローゼス出身だ。最短距離を行くのであれば、白霧の森を経由する高難易度のルートを取ることになるが。


「………え、ちょ、ちょっと!? 嘘ですよね!? 白霧の森ですよ!? おれが行ったら真っ先に死ぬって、先月ドレイクさんが叱ったばっかじゃないですか!」

「知らんな」


 あまりにもそっけなく切り捨てられて、マルクは口をぱくぱくと動かしながら顔を真っ青にした。


「お、おれは確かに外に出たいって言いましたけど! あれは先輩方と同じ実力に立って魔物を相手できるように成長したいって意味ですよ! だから白霧の森を横断する見送りに行きたいとは一言も……」

「男がグダグダ言いやがって、もう決まったことだ! さっさと準備しやがれ!」


 再びドレイクに腹を蹴られてマルクは無様に床を転がった。ここで駄々を捏ねてもきっと決定は覆らないのだろう。

 ええいままよとマルクは立ち上がって、興奮と恐怖に震える体で身支度を始めた。


 ミスリル級でなければ生きて抜けるのが困難と言われる白霧の森。強者ぞろいのカエヌディの冒険者にとってもあそこは地獄だ。そんなところに新米門番のマルクが派遣されるのは前代未聞であるが、なぜドレイクも周りも止めてくれなかったのだろうか。遠回しに死ねと言われているような気がして、マルクは涙目になりながら宿舎を飛び出した。


 …


 ……


 ………


 マルクが見送り役に選ばれたのは、三つの理由がある。

 一つはジョンスと面識があり、それなりに友好関係を築いていること。

 二つ目はドレイクの推薦があったこと。

 最後の一つは、マルクは別にいなくてもあんまり国境門番の仕事に影響が出ないから。


「ちょっと最後の酷くないですかねぇええええ!?」


 ギルドの三階のある一室。開けっ放しの窓からマルクの絶叫が溢れると、ギルドの前にある大通りで遊んでいた子供達が爆笑し始めた。下から聞こえるやかましい子供の笑い声に苛立ちながら、マルクは目の前にどっしりと座るギルドマスターに全力で抗議した。


「一つ目だけは理解できますよ! こんな辺鄙な土地で、命がけの旅に知り合いのおれがいればジョンスだって安心するでしょう。ですがあと二つは何ですか! ドレイクさんなにやってんすか! あの人絶対面白がって推薦したでしょう! パワハラですよぉ! あと最後がどうしても納得いかないぃぃ!!」

「許してくれマルク」

「許せませんよ! ギルドマスターでも許しませんよ! おれの事なんかどうでもいいってことじゃないですかぁ!」

「事実だ」

「せめて弁明ぐらいしてくださいよ! なにちゃっかり認めてるんですか!」

「すまぬ!」


 ギルドマスターは謝罪を述べながらスキンヘッドでマルクに頭突きした。ゴォン! とおよそ人体から聞こえるべきでない音がなる。


「痛えええええ!」


「はっはっは! お前の頭は鐘のようだぞマルク」

「笑い事じゃないですって」


 マルクは座っていたふかふかのソファにひっくり返り、足をバタバタと動かした。痛みでもだえているうちに、朝にドレイクに蹴られた腹まで痛くなってきた。

 ギルドマスターの笑い声を聞いているうちに、だんだんと頭が冷静になってきた。マルクはまだ痛む額を押さえながら、改めてソファに座りなおした。


「はぁ。もう決まったことなんでしょう。行きますよ。でも、おれみたいな雑兵が行くんですから、それなりに強い人も一緒なんでしょう?」

「勿論だ」


 ギルドマスターはキランと白い歯を見せて笑った。


「ジョンスの護衛役は、ディマオンとヨランダの二人だ。この二人なら文句ないだろう」

「ミスリル級を二人も……大盤振る舞いですね」


 ヨランダはジョンスの治療をしてくれたあの美人さんだ。ディマオンはその夫で、赤毛で強面だが気のいい男性である。これなら確かに、白霧の森で足手まとい二人が居ても安全水準だ。深く何度も頷いたマルクを満足げに見やりながらギルドマスターは続ける。


「だろう? だからドレイクはお前を推薦したんだ。恵まれてるぞ」


 マルクはようやくドレイクの意図を掴んだ気がした。プロに守られながら、彼らの闘いぶりを学んでこいということだろう。言葉こそなかったがこうして明示された期待を前にして、マルクは急にやる気がみなぎってきた。そういうことなら、白霧の森でも地獄でも行ってやろうじゃないか。朝から腹を殴られたり、小馬鹿にしたように笑ってきたり、毎日毎日走りの真似事をさせてこられたが全部許して……ゆる……やっぱり許せないな、絶対強くなって帰ってきてやる。


 密かに闘志を燃やしたマルクの眼差しをギルドマスターはぬるい目で眺めた後、ふっと口角を緩めて柔和な口調になった。


「お前はまだ十五歳だ。出発する前に両親にちゃんと言いたいことを全部言っておけよ」

「ええもちろん。それとドレイクさんからの推薦ですからね。バッチリこの機会を生かして見せますよ!」


 笑顔で言い切ると、ギルドマスターは笑いながら手をひらひら振った。


「さっさと帰ってさっさと準備だ。出発は明日の朝四時」

「了解です! 失礼します!」


 キビキビした動きでお辞儀をしてマルクは部屋の外に出た。

 岩を丸ごとくり抜いたようなカエヌディ特有の建物内を歩きながら、マルクは不安と興奮がごちゃ混ぜになった感情を抑えきれなかった。


 『炎獄』のディマオンと『白天の女神』であるヨランダ。二人の通り名は世界に名高く、カエヌディの誇る最高峰の冒険者だ。今まで見た事も無い冒険が待っているんだ。期待するなという方が無理な話である。


 うっきうきで自宅に帰るなり、マルクは見送りのことを両親に話した。両親は我がことのように喜んでくれて、長旅に向かう息子のために豪勢な夕食を作ってくれた。大好物のジャガイモのの煮物を食べた時につい目が潤んでしまったが、両親はただ穏やかに笑って背中を撫でてくれた。


 …


 ……


 ………


 早朝。

 マルクは必要最低限の荷物を担いで家を出た。微睡む街の姿は早番の時に何度も見てきたというのに、しばらく見れないと思うと全く別の景色に見えて新鮮だった。耳を澄ませば通り過ぎる民家から寝息が聞こえてきそうなほど静かで、自然と足音を立てないように歩みも遅くなった。


 カエヌディの門へ歩き続けていると、不意に背の高い赤毛の男性と、優美な女性が曲がり角から歩いてくるのが見えた。


「ディマオンさん、ヨランダさん!」


 声を張り上げると、ディマオンが大きな手を振った。


「よぉ! マルク! 寝坊しなかったとは偉いなぁおい!」

「二人とも、今何時だと思ってるの」


 よく通るヨランダの声で叱責され、男二人は子犬のようにしょげた。そこへもう一人、大声をあげながら駆けつけてくる人物が。


「おはようございまァーす!!」

「うるさい」

「うるせぇぞ!」

「うるさいわよ!」


 集中砲火を受けた今回の護衛対象であるジョンスはその場で荷物を取り落とし、マルクたちの前で見事な顔面スライディングを見せつけて泣き出した。


「お、オレだけヒドくないっすか……!」

「うん、悪かった」


 マルクは申し訳なさを装いながら涙を流すジョンスの肩を叩いた。ジョンスはスライディングでこすった顔を持ち上げると、ふへへっと変な笑い方をした。


「すいません。いくら近所迷惑でもミスリル級の冒険者に会えると思うと、ついテンション上がっちゃいまして」

「ははっ、その気持ちはわからないでもないさ」


 マルクもつられて笑うと、後ろでさりげなくジョンスの荷物を拾ったディマオンが言った。


「お前ら、さっさと馬車の方に行くぞ。またヨランダに怒られちまうぜ」

「そういうディマオンさんはいっつもヨランダさんの尻に敷かれてますよね」


 マルクがまぜっ返しながら立ち上がると、ディマオンは赤い太眉をハの字にした。


「あれに逆らってみろ。地獄を見るぜ?」


 『炎獄』の通り名のディマオンが言うのはなかなか皮肉である。マルクとジョンスが揃って笑みを漏らすと、ディマオンの後ろに黒いオーラが揺らめいた。


「「ひっ」」

「ん? どうしたお前ら」

「ディー? 早く来なさい。そこの二人も」


 地を這うヨランダの声音に恐れおののいて、三人は駆け足で待ち合わせ場所へ向かった。


 出発の時間までまだ余裕はある。カエヌディの門から商店街へと続く長い階段を上っていくと、そこにはマルクたちが使う馬車とギルドマスターの姿があった。


「ギルドマスター! お早うございます! まさかあなたまで見送りに?」

「当然だろう。若者の大事な門出なんだからな」


 ギルドマスターは腕を組みながらにっかりと笑う。すると、マルクの後から遅れてきたジョンスが馬車を見るなり素っ頓狂な声を上げた。


「ば、馬車!? ここ階段しかないのに、どうやって引っ張って来たんすか?」

「ここは階段だけじゃなくて、魔法陣で瞬間移動できるんだ」


 マルクが説明すると、ジョンスはますます興味を持ったらしく目を輝かせた。


「すごいっすね! でもこんな場所で使ったら市民に真似されて、悪用されちゃうんじゃないっすか?」

「そこは大丈夫だ。『瞬間移動』の魔法陣は飛ぶ前、飛んだ後の二枚がなければ発動しないし、使うにも王の承認書が必要だ。その紙も、瞬間移動で使えば燃え尽きるし、承認書だって王直々に魔力で描いたものだから、王の魔力がなければ読むことさえできない。無断で使う奴はいないんだ」

「へぇ、王の承認書っすか……消耗品版のギルドカードみたいっすね」

「そんなとこだな」


 ギルドカードは持ち主の魔力がなければ内容が表示されない。その役割はギルドでの個人証明書であり、保険証であり、履歴書である。だからジョンスの言う通り『瞬間移動』の承認書はギルドカードの劣化版で間違っていないだろう。


 ジョンスにそう説明しているうちに、ギルドマスターがじろじろとマルクたちを見て口を開いた。


「ジョンス、マルク。そんな装備で大丈夫か?」

「不安になるようなこと言わないでくださいよ!」

「はっはっは!」


 マルクが叫ぶと、ギルドマスターは歯切れの良い笑い声を上げた。見た目がゴリラなのに本当に声だけは爽やかである。


「さぁ乗った乗った! 後の荷物はお前たちだけだ」


 見ればすでにヨランダ達は馬車に乗り込んでいた。馬車は縦に二台で、前が座席、後ろの台が食料や武器などの貨物専用になっているようだ。普通の馬ならこれだけの荷物を引っ張ることすらできないが、ここにいる二頭の毛長馬は、極寒でも平気で長距離を走り回れる種類だ。魔物に襲われても持ち前の胆力と足の速さで逃げおおせてくれるだろう。


 マルクはそそくさとジョンスを座席の方へ押し込むと、出発を待ちわびる二頭の馬に挨拶をしてから馭者の席に飛び乗った。そこで初めて、馭者の席に屋根とサスペンションがついていることに気づいた。振り返って車輪を見れば、太いスパイクと丈夫そうな二重構造が見える。


 装飾こそないが、乗り手のために洗練されたこの馬車の作りを見て、マルクはゴクリと生唾を飲んだ。


「ギルドマスター。本当に大盤振る舞いですね。この馬車が壊れたら誰が弁償するんです?」

「あぁ? 国に決まってるだろうこんな高い馬車」


 それを聞いてマルクは思わずホッと胸をなでおろした。すると馬車に乗っていたヨランダからくすくすと揶揄うような笑い声が聞こえてきて恥ずかしくなる。だが、ジョンスの笑い声まで聞こえてくると流石にマルクでもイラっとした。


 ギルドマスターは百面相をするマルクを見上げて口元を緩めると、頷きながらサムズアップした。


「仲が良くて結構だ。外は何があっても助け合いが重要だ。ちゃんと仲間と親睦は深めておけよ」


 ありがたい忠告にマルクは頷いた。


 マルクにとって今回は初めての旅で、新米冒険者のジョンスにとっては初めての集団行動になる。経験や知識においてプロの冒険者夫婦と息を合わせなければ、きっと初心者の自分たちは生き残ることなどできないだろう。


 ギルドマスターは彼らの顔をじっくり目に焼き付けると、最後にキランと歯を見せた。


「よし、行ってこい。ちゃんと報酬持って帰ってこいよ」

「了解です。ではお元気で!」


 マルクはギルドマスターと固い握手を交わした後、手綱を持って馬車を動かした。二頭の馬はかつかつと心地よい足音を響かせ、開け放たれた鉄門へと向かっていく。


 鉄門の脇では、いつの間にかマルクの上司であるドレイクが佇んでいた。彫りの深い髭面がしかとマルクを捉えて、口元が少し震えているのが見て取れる。マルクの唯一の恩師でもあるドレイクのそんな表情を見て、マルクは胸の奥底から熱いものが込み上げてきた。


 だが、馬車ごとドレイクに近づいていくにつれてマルクは気づく。あれは弟子が旅に出ていく感動ではなく、笑いをこらえている顔だ。


 マルクは口の中でいろいろと用意していた挨拶を全部腹の中に飲み込んだ。ドレイクらしいと言えばらしいが、最後ぐらいは師匠らしくかっこよく労えばいいのに、本当に素直な人じゃない。


「はっ!」


 マルクは掛け声とともに馬に鞭を振り、カエヌディの橙色の光を背に洞窟へ飛び出した。


 すると、通り抜けざまにドレイクの声がした。


「行ってこい。馬鹿野郎」


 一瞬振り返りそうになったが、マルクは堪えて前を睨み続けた。そういうところが本当にずるい師匠だ。


 洞窟の中は薄暗く、等間隔に置かれた魔道具のランプと馬車につけられた灯りしか頼れるものがない。それでも真っすぐと馬の鼻先を前に向けて走り続ける。洞窟のずっと向こうでは針の穴ほどの小さな光が差し込んでいた。

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