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妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


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09.天使ミエル

 コンビニの自動ドアが開いた。


 夜の空気が、少しだけ冷たかった。


 「寒い」


 莉奈が呟く。


 「さっきまで店の中にいて暖かくなっただろ」


 「外に出たから寒い」


 「それはそうだな」


 俺たちは並んで歩き出した。


 莉奈は買ったプリンを大事そうに抱えている。


 たかがプリン一個。


 なのに。


 その小さな箱を、まるで今日一日の戦利品みたいに持っている。


 「そんなに食べたかったのか?」


 「うん」


 「だったら最初から自分で買えばいいのに」


 「兄貴が買ってくれると思ったから」


 「…………」


 不意打ちだった。


 俺は何も言えなくなった。


 「何?」


 「いや」


 何でもない。


 そう言おうとしたけれど。


 その言葉が、喉の奥で止まった。


 「兄貴が買ってくれると思った」。


 たったそれだけ。


 それだけなのに。


 自分が思っていた以上に、その言葉は嬉しかった。


 信頼されている。


 そう思った。


 もちろん、プリンを買ってくれる程度の信頼だ。


 でも人間の信頼なんて、最初はそんなものなのかもしれない。


 大きなことを任せるのではなく。


 「これなら頼んでも大丈夫」と思う小さなことから始まる。


 「……兄貴」


 「ん?」


 「何笑ってるの?」


 「笑ってない」


 「笑ってる」


 「笑ってないって」


 莉奈は不思議そうに俺を見る。


 俺は前を向いた。


 たぶん、今の俺は少し嬉しそうな顔をしている。


 自覚はある。


 けれど、どうしてそんなに嬉しいのかまでは分からなかった。


 プリンを買ったことか。


 一緒に歩いていることか。


 それとも。


 「兄貴に頼めばいい」と思ってもらえたことか。


 きっと全部だ。


 そして、その全部が。


 昨日まで俺にはなかったものだった。


 「ねえ、兄貴」


 「何?」


 「一人っ子の時、どんな感じだった?」


 突然だった。


 俺は歩く速度を少し落とした。


 「どんなって?」


 「やっぱり寂しかった?」


 「……どうだろう」


 俺は考える。


 子供のころは、確かに妹が欲しかった。


 でも、一人で遊ぶことにも慣れていた。


 学校では友達もいた。


 母さんもいた。


 だから、「毎日寂しくて仕方がなかった」というわけではない。


 けれど。


 家に帰ったとき。


 誰もいない廊下を見ると。


 何となく思うことがあった。


 ――兄弟がいたら、どうだったんだろう。


 「寂しいっていうより」


 「うん」


 「……想像してた」


 「何を?」


 「もし妹がいたら、って」


 莉奈が黙る。


 「どんな子なんだろうとか」


 「へえ」


 「どんなふうに喧嘩するんだろうとか」


 「喧嘩する前提なんだ」


 「いや、漫画とかだとよくあるから」


 「また漫画」


 「仕方ないだろ。俺、一人っ子なんだから」


 莉奈は少しだけ笑った。


 「じゃあ」


 「ん?」


 「今はどう?」


 「今?」


 「妹ができて」


 俺はすぐには答えられなかった。


 良い。


 悪い。


 楽しい。


 面倒。


 全部、本当だ。


 だからこそ、一つに決められない。


 「……忙しい」


 「悪かったね」


 「誰も悪いとは言ってない」


 「でも言い方が悪い」


 「じゃあ」


 俺は少し考えた。


 「面白い」


 「……ふうん」


 「前とは違う」


 「何が?」


 「家に帰るのが」


 口にした瞬間。


 自分でも少し驚いた。


 母さんのいる家に帰ることは、今までだって嫌ではなかった。


 でも今は。


 玄関を開ける前に、「莉奈いるかな」と考えてしまう。


 たった数日しか経っていないのに。


 人の存在というのは。


 こんなにも早く、日常へ入り込むものなのか。


 俺は少し怖くなった。


 大切になるということは。


 同時に。


 失ったときに痛む場所が増えるということでもある。


 父さんを亡くしてから。


 俺はそのことを知っている。


 だから、本当は。


 誰かを大切にすることに慎重だったのかもしれない。


 また失うくらいなら。


 最初から深く関わらなければいい。


 そんなふうに、どこかで思っていたのかもしれない。


 なのに。


 目の前の妹は。


 そんな俺の慎重さなんて、気にせず入り込んでくる。


 「兄貴?」


 「ん?」


 「さっきから変」


 「そう?」


 「うん」


 「……考え事」


 「また?」


 「また」


 莉奈は何も言わなかった。


 ただ。


 歩く速度を少しだけ落としてくれた。


 俺と同じ速さになるように。


 その小さな気遣いに。


 胸の奥が、また少しだけ温かくなった。


   ◇


 家に帰る。


 「ただいま」


 「おかえり」


 母さんの声。


 莉奈は靴を脱ぎながら、


 「ただいま」


 と言った。


 その後ろから俺も入る。


 玄関には、俺たち二人の靴が並んでいた。


 昨日までは、俺の靴と母さんの靴だけだった。


 今は増えている。


 ただそれだけなのに。


 家が広くなったような気がした。


 もちろん実際には、何一つ変わっていない。


 壁も。


 床も。


 階段も。


 父さんの写真が飾られた場所も。


 全部同じだ。


 変わったのは。


 そこにいる人間だけ。


 なのに。


 人が増えると、家そのものの意味まで変わってしまう。


 「兄貴」


 「何?」


 「明日」


 「うん」


 「……朝、起こして」


 「自分で起きろよ」


 「お願い」


 「……はいはい」


 莉奈は小さく笑った。


 「ありがと」


 そのまま自分の部屋へ向かう。


 俺は、その背中を見送る。


 そして。


 ふと気づいた。


 莉奈は最近、何かをお願いするとき。


 必ず最後に「お願い」と言うようになっている。


 最初は、


 「兄貴、やって」


 だった。


 それがいつの間にか、


 「お願い」


 に変わった。


 ほんの些細な変化。


 でも。


 俺には、それが嬉しかった。


 命令ではない。


 頼っている。


 そう感じるからだ。


「……兄貴か」


 俺は小さく呟いた。


 その言葉を。


 今では少しだけ好きになっていた。


   ◇


 夜。


 自室でベッドに横になる。


 スマートフォンを見る。


 莉奈からのメッセージはない。


 俺から送る用事もない。


 なのに。


 何となく画面を開いてしまう。


 昨日までなら絶対にしなかったことだ。


 連絡が来ているか気になる。


 それが少し可笑しかった。


 友達からのLINEでも、ここまで気にしたことはない。


 妹からの一言。


 それだけを待っている自分。


 俺はスマートフォンを伏せた。


 「……俺、変わったな」


 独り言。


 そのとき。


 「誰が変わったんです?」


 「うわっ!」


 ベッドから飛び起きた。


 「な、なんでいる!?」


 部屋の窓際。


 前に助けた女性が平然と立っていた。


 「こんばんは」


 「こんばんはじゃない!」


 「夜ですから」


 「そういう問題じゃない!」


 驚きすぎて頭になかなか情報が入ってこないが、その女性は天使で名前はミエルだという。


 天使の力を使って俺の願いを叶えてくれたらしい。


 ミエルがは俺の机の椅子に座った。


 「妹さんとはどうです?」


 「……まあ」


 「まあ?」


 「思ってたより」


 「より?」


 「面倒」


 「でしょうね」


 ミエルが笑う。


 「笑うな!」


 「でも、嬉しいんでしょう?」


 俺は黙った。


 「……何で分かるんだよ」


 「顔に出ています」


 またそれか。


 俺はため息をついた。


 「俺、本当に妹ができたんだなって」


 「はい」


 「ずっと欲しかった」


 「はい」


 「でも」


 一拍置く。


 「思ってたのと違う」


 「でしょうね」


 「もっと優しくてさ」


 「はい」


 「もっと俺を慕ってくれて」


 「はい」


 「もっと……こう」


 言葉が詰まる。


 「理想の妹みたいな」


 ミエルが、じっと俺を見る。


 「あなたは、妹が欲しいんじゃなくて」


 「……?」


 「『自分の理想通りの妹』が欲しかったんでしょう?」


 胸を突かれたような気がした。


 「……違う」


 「本当に?」


 「妹は妹だろ」


 「では質問します」


 ミエルは指を一本立てる。


 「莉奈さんが、あなたの理想通りじゃなくても?」


 「……」


 「口が悪くても」


 「……」


 「あなたをパシリにしても」


 「……」


 「兄を尊敬していなくても」


 「…………」


 「それでも、妹でいてほしいですか?」


 答えが出なかった。


 たった数秒。


 なのに。


 その沈黙が、ずいぶん長く感じられた。


 俺の頭の中には。


 今日、隣を歩いた莉奈の姿が浮かんでいた。


 コンビニでプリンを選んでいた姿。


 「兄貴」と呼んだ声。


 歩く速度を合わせてくれたこと。


 そして。


 「明日、起こして」と言ったこと。


 どれも。


 俺が想像していた「理想の妹」ではない。


 でも。


 「……それでも」


 気づけば口から出ていた。


 「いてほしい」


 ミエルが黙る。


 「理想じゃなくても」


 俺は続けた。


 「莉奈は莉奈だから」


 言ってから。


 胸の奥が少しだけ震えた。


 なんだろう。


 今。


 俺は何か大切なことを口にした気がする。


 ミエルは静かに笑った。


 「そうですか」


 「何だよ」


 「いいえ」


 「笑うなよ」


 「笑っていません」


 「笑ってるだろ」


 「少しだけ」


 ミエルは立ち上がった。


 「その気持ちを、忘れないでくださいね」


 「……?」


 「人間は」


 窓の外を見ながら。


 「自分の理想と現実が違ったとき、現実を変えようとします」


 「…………」


 「でも、本当に大切な人は」


 一度だけ俺を見る。


 「現実のほうを好きになっていくんです」


 その意味は。


 まだよく分からなかった。


 ミエルが窓を開ける。


 「じゃあ、また」


 「待て」


 「はい?」


 「また来るのか?」


 「必要なら」


 そう言って。


 夜の闇へ消えていった。


 俺はしばらく、窓の外を見ていた。


 風が部屋に入ってくる。


 静かな夜だった。


 そして。


 静かだからこそ。


 さっきの言葉が、何度も頭の中で繰り返された。


 ――現実のほうを好きになっていく。


 俺は。


 莉奈のことを。


 まだ何も知らない。


 何が好きなのか。


 何が嫌いなのか。


 何を怖がっているのか。


 何を寂しいと思うのか。


 それなのに。


 知りたいと思っている。


 それは。


 理想の妹を知りたいという気持ちとは、きっと違う。


 俺が知りたいのは。


 「妹というもの」ではなく。


 莉奈という一人の人間なのだから。


 俺はベッドへ戻った。


 明日は何を話そう。


 そんなことを考えながら。


 目を閉じる。


 すると。


 廊下の向こうから、小さな声が聞こえた。


 「……兄貴」


 目を開ける。


 部屋のドアは閉まっている。


 「……?」


 聞き間違いか。


 少し待つ。


 すると、もう一度。


 「兄貴。起きてる?」


 「起きてるけど」


 返事をすると。


 しばらく沈黙。


 「……明日」


 「うん」


 「……朝、ちゃんと起こしてね」


 「分かったよ」


 「……おやすみ」


 「おやすみ」


 足音が遠ざかっていく。


 俺は天井を見つめた。


 そして。


 笑った。


 どうしてだろう。


 ただ「おやすみ」と言われただけなのに。


 今日は、ちゃんと眠れそうな気がした。


 妹というものは。


 やっぱり俺の想像とは違う。


 でも。


 その違いを一つずつ知っていくことが。


 今の俺には、少し楽しみになっていた。


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