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妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


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10/23

10.天使にクレームを入れよう

 翌朝。


 俺は目覚ましが鳴る前に起きた。


 そして莉奈を起こして朝ご飯を食べた。


 「兄貴ー」


 部屋で準備をしているとドアの向こうから声がした。


 「今日、帰り何時?」


 「今日も六時くらい」


 「そっか」


 俺はしばらく天井を眺めた。


 最近。


 俺の一日は、この質問から始まることが多い。


 そして、たぶん。


 莉奈の一日も。


 俺がいつ帰るのかを確認することから、少しずつ形を作られている。


 それが偶然なのか。


 それとも、何か理由があるのか。


 俺にはまだ分からない。


 ただ。


 昨日の夜、莉奈は俺の部屋の前まで来て、「おやすみ」と言った。


 それだけのことが。


 妙に嬉しかった。


 血のつながらない妹。


 昨日まで他人だった少女。


 なのに。


 たった数日で。


 俺の日常に、こんなにも自然に入り込んできた。


 それが不思議だった。


 人間は、誰かと暮らし始めると、その人がいることを前提に

 一日を組み立てるようになるのかもしれない。


 朝。


 誰かが起きる。


 食卓に誰かが座る。


 玄関から誰かが帰ってくる。


 夜。


 「おやすみ」と言う。


 そういう小さな出来事が積み重なって。


 気づいた頃には。


 その人がいないことのほうが、不自然になっている。


 俺にとって莉奈は。


 まだそこまでではない。


 ないはずなのに。


 「兄貴」と呼ばれなかったら。


 少し寂しかったかもしれない。


 そう思った自分に。


 俺は少しだけ驚いていた。


   ◇


 学校。


 昼休み。


 「神谷」


 弁当を食べ終えたところで、灯里が俺の机の横に来た。


 「何?」


 「妹ちゃんとはどう?」


 「相変わらず」


 「相変わらず?」


 「朝起こして、パン取らされて、帰りの時間を確認されて」


 「ふふ」


 「笑うなよ」


 「だって」


 灯里が少しだけ首を傾げる。


 「楽しそうだから」


 「楽しくない」


 「でも、顔が嬉しそう」


 「……」


 俺は箸を置いた。


 「そんなに分かりやすい?」


 「うん」


 「困ったな」


 「どうして?」


 「兄としての威厳が」


 「それ、昨日も言ってた」

 

 「言ったっけ?」


 「言ってたよ」


 灯里が笑う。


 俺もつられて笑った。


 こういう時間は、心地いい。


 話題なんて大したことじゃない。


 妹がどうだとか。


 朝がどうだったとか。


 くだらない話ばかり。


 でも。


 人間にとって、親しくなるというのは。


 案外そういうことなのかもしれない。


 大きな秘密を打ち明けることでも。


 人生を変えるような出来事を共有することでもなく。


 どうでもいい話を、どうでもいいまま笑えること。


 それが。


 「一緒にいる」ということなのだろう。


 「そういえば」


 灯里が言った。


 「神谷って、もともと一人っ子だったんだよね?」


 「うん」


 「じゃあ、妹ができて嬉しい?」


 「……うん」


 今度は、素直に答えた。


 「かなり」


 「やっぱり」


 「でも」


 「でも?」


 「想像してたのとは違う」


 「どんな妹を想像してたの?」


 「もっと……」


 言葉を探す。


 「おとなしくて」


 「うん」


 「優しくて」


 「うん」


 「兄を尊敬してて」


 「……ああ」


 「『お兄ちゃん』って呼んでくれて」


 「それ、かなり理想入ってるね」


 「そうかな」


 「うん」


 灯里が楽しそうに笑う。


 「でも」


 少しだけ間を置いて。


 「現実の妹ちゃんのほうが、神谷には合ってる気がする」


 「どういう意味?」


 「神谷って、たぶん」


 灯里が俺を見る。


 「自分から誰かのところへ行くより、誰かが遠慮なく来てくれたほうが楽なんじゃない?」


 「……」


 何も言えなかった。


 たぶん。


 図星だった。


 俺は困っている人を助ける。


 頼まれれば、たいてい引き受ける。


 でも。


 自分から「助けて」と言うのは苦手だった。


 助けを求めるというのは。


 自分が弱いと認めることのように感じるから。


 「……灯里って、たまに怖いな」


 「何それ」


 「人をよく見てる」


 「そう?」


 「うん」


 「じゃあ、神谷ももっと人のこと見たほうがいいよ」


 「……それは」


 反論できなかった。


 俺は、人を助けることは得意だ。


 でも。


 人を知ることは、あまり得意ではないのかもしれない。


 困っている。


 助ける。


 ありがとう。


 それで終わる。


 その人がなぜ困っていたのか。


 その後、どうなったのか。


 どんな人なのか。


 そこまで踏み込まないことも多い。


 助けることには、明確な終わりがある。


 でも。


 人を知ることには、終わりがない。


 たぶん。


 だから俺は。


 「人を助ける」という行為を好んでいたのかもしれない。


 そんなことを考えていると。


 「神谷?」


 「ん?」


 「難しい顔してる」


 「また?」


 「うん」


 俺は笑った。


 「妹のせいかな」


 「そうかもね」


 灯里も笑った。


   ◇


 放課後。


 俺は一人で駅へ向かった。


 約束通り、六時くらいに帰る。


 途中。


 少し変なことに気づいた。


 今日は。


 莉奈から連絡がない。


 別に珍しくない。


 毎日メッセージを送るような関係でもない。


 なのに。


 なぜか気になった。


 一度、スマートフォンを見る。


 何もない。


 数分後、もう一度見る。


 何もない。


「……何やってんだ、俺」


 自分で自分に呆れた。


 家族になったのは数日前。


 それなのに。


 俺はもう。


 妹から連絡が来ることを、少し期待している。


 そして。


 その期待が叶わないことを、少し寂しく感じている。


 人間は面倒だ。


 自分からは何も要求していないくせに。


 相手が自分を必要としてくれることだけは、期待してしまう。


 俺はスマートフォンをポケットに入れた。


 駅前のベンチを見る。


 そこに。


 いた。


 「……え?」


 白い服。


 長い髪。


 見覚えのある顔。


 この世に二人といない、妙に胡散臭い存在。


 「ミエル……?」


 「こんにちは」


 天使ミエルだった。


 「何してるんだよ」


 「待っていました」


 「俺を?」


 「はい」


 「何で?」


 「クレームを受けるためです」


 「…………」


 俺は頭を抱えた。


 「ちょうどいい」


 「はい?」


 「俺、言いたいことがあったんだ」


 「でしょうね」


 ミエルは嬉しそうだった。


 俺はその場に座った。


 「単刀直入に言う」


 「どうぞ」


 「妹が違う」


 「何が?」


 「俺の知ってる妹と違う!」


 ミエルが眉をひそめる。


 「あなたは妹を何だと思っているんですか?」


 「もっとこう……!」


 俺は指を折る。


 「優しい」


 「まあ、人によりますね」


 「俺を慕う」


 「人によります」


 「兄を尊敬する」


 「人によります」


 「朝は優しく起こしてくれる」


 「人によります」


 「そして!」


 俺は拳を握った。


 「『お兄ちゃん、大好き!』って――」


 「ありません」


 「即答!?」


 ミエルは呆れた顔をした。


 「あなた、本当に現実とゲームを区別してください」


 「でも!」


 「妹は攻略対象ではありません」


 「分かってる!」


 「分かってないでしょう」


 「分かってるよ!」


 俺は反論する。


 でも。


 反論しながら。


 本当に自分は、分かっているのかと思った。


 莉奈を。


 俺は、ちゃんと一人の人間として見ているのか。


 それとも。


 「妹」という立場に当てはめているだけなのか。


 「……」


 急に口が重くなった。


 ミエルは何も言わない。


 「俺」


 ゆっくり言葉を探す。


 「妹が欲しかったんだ」


 「はい」


 「ずっと」


 「はい」


 「だから」


 俺は自分の手を見る。


 「莉奈が妹になった瞬間、嬉しかった」


 「でしょうね」


 「でも」


 一度、息を吐く。


 「俺が欲しかったのは、莉奈じゃなかったのかもしれない」


 ミエルの顔が、少しだけ変わった。


 「……どういう意味です?」


 「知らない」


 「ご自分で言ったでしょう」


 「だから分からないんだよ」


 胸の奥に、妙なざわつきがある。


 「俺は妹が欲しかった」


 「はい」


 「でも」


 莉奈の顔が浮かぶ。


 朝、眠そうに起きてきた顔。


 プリンを大事そうに持っていた姿。


 「また明日」と言った声。


 「莉奈じゃなきゃ嫌だって思うようになってる」


 ミエルが黙った。


 「……これって、おかしいのかな」


 「いいえ」


 「そう?」


 「むしろ、自然だと思います」


 「でも、数日だぞ?」


 「人が人を好きになるのに、必要な時間に決まりなんてありませんから」


 その言葉に。


 俺は少し考えた。


 恋愛の話ではない。


 家族の話だ。


 でも。


 人を大切に思うということに。


 時間だけで測れるものなど、ないのかもしれない。


 一年一緒にいても遠い人間はいる。


 数日しか知らなくても。


 忘れられない人間もいる。


 「あなたは」


 ミエルが静かに言う。


 「妹が欲しかったんですか?」


 「……うん」


 「それとも」


 「……」


 「帰ったときに、自分を待ってくれる誰かが欲しかったんですか?」


 胸の奥が。


 小さく痛んだ。


 父さんが亡くなったことを。


 突然、思い出した。


 玄関を開けても。


 父さんがいない。


 家に帰っても。


 もう、その声は聞こえない。


 時間が経てば。


 人は慣れる。


 そう思っていた。


 実際。


 慣れた。


 母さんと二人の生活にも。


 父さんのいない食卓にも。


 父さんのいない休日にも。


 俺は慣れた。


 でも。


 慣れたことと。


 寂しくなくなったことは。


 同じではなかった。


 「……分からない」


 俺は答えた。


 「まだ分からない」


 「そうですか」


 「でも」


 俺は顔を上げた。


 「莉奈がいてくれるのは、嬉しい」


 それだけは。


 確かなことだった。


 ミエルが微笑む。


 「それで十分です」


 「何が?」


 「今は、それで」


 ミエルは立ち上がった。


 「答えは、そのうち分かりますよ」


 「いつ?」


 「さあ」


 「天使だろ」


 「天使にも分からないことはあります」


 「万能じゃないのかよ」


 「万能なら、そもそもあなたに妹を与えていません」


 「どういう意味だ?」


 ミエルは答えない。


 ただ。


 「一つだけ覚えておいてください」


 そう言った。


 「莉奈さんは、あなたの願いそのものではありません」


 「……」


 「一人の人間です」


 その言葉だけを残して。


 ミエルは人混みの中へ消えていった。


 俺はしばらくベンチに座っていた。


 夕方の駅前。


 人が行き交う。


 誰も俺のことなんて見ていない。


 それでいい。


 それなのに。


 俺の中では。


 さっきの言葉が何度も繰り返されていた。


 ――莉奈さんは、あなたの願いそのものではありません。


 当たり前だ。


 そんなこと。


 考えなくても分かる。


 莉奈は莉奈だ。


 俺とは違う人間だ。


 好きなものも。


 嫌いなものも。


 過去も。


 これからの人生も。


 全部、俺とは別のものを持っている。


 それでも。


 俺は妹という言葉の中に、莉奈を閉じ込めようとしていたのかもしれない。


 「妹ならこうするはず」


 「妹ならこう言うはず」


 「妹なら兄を好きなはず」


 そんな勝手な期待を。


 本人に押しつけていた。


 そのことに。


 初めて気づいた。


 そして同時に。


 自分でも少し怖くなる。


 俺が大切にしたいと思っている「妹」が。


 本当に莉奈そのものなのか。


 それとも。


 「妹がいる自分」という理想なのか。


 まだ。


 答えは出なかった。


 スマートフォンが震える。


 画面を見る。


 莉奈からだった。


『今どこ?』


 俺は少しだけ笑った。


『駅』


 すぐに返事。


『帰り遅い』


『寄り道してた』


『何してたの?』


 俺は少し迷う。


 そして。


『天使と話してた』


 送ってから。


 絶対に信じないだろうなと思った。


 数秒後。


『何それ』


 やっぱり。


 俺は笑った。


『帰ったら話す』


『分かった』


 たった二文字。


 それだけなのに。


 俺はスマートフォンを握り直した。


 帰ったら。


 莉奈がいる。


 その事実が。


 今日一日の疲れを、少しだけ軽くしてくれた。


 俺は立ち上がる。


 家へ向かう。


 たぶん。


 今の俺はまだ。


 妹というものを何も分かっていない。


 家族というものも。


 きっと。


 よく分かっていない。


 それでも。


 分からないからこそ。


 知っていきたいと思った。


 莉奈のことを。


 そして。


 自分自身のことを。


 ――ただし。


 その日の夜。


 俺を待っていた莉奈の第一声は。


「兄貴。明日も起こして」


 だった。


「またそれかよ!」


 俺の決意は。


 一秒で現実に敗北した。


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