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妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


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11/21

11.家の外の妹

 翌朝。


 俺は駅の改札で、莉奈と別れた。


「じゃあね、兄貴」


「おう」


 たったそれだけ。


 莉奈は俺とは反対方向へ歩いていく。


 俺が通っている高校と、莉奈が通っている高校は違う。


 だから、こうして一緒に歩けるのは駅までの短い時間だけだ。


 最初は、それが少し残念だった。


 せっかく妹ができたのだから、学校でも兄妹らしい何かがあると思っていた。


 例えば。


 廊下ですれ違ったときに、


 「お兄ちゃん!」


 なんて声をかけられる。


 あるいは。


 友達に、


 「神谷、妹いたの!?」


 なんて羨ましがられる。


 そんなイベントを、俺はどこかで期待していた。


 でも。


 現実には、同じ学校ですらない。


 そして。


 それでいいのかもしれないと思い始めている自分もいた。


 家族だからといって、相手の世界に全部入り込んでいいわけじゃない。


 莉奈には莉奈の学校がある。


 友達がいる。


 先生がいる。


 俺の知らない日常がある。


 そう考えると。


 少しだけ不思議だった。


 毎日同じ屋根の下で暮らしているのに。


 俺は莉奈の人生のほんの一部しか知らない。


 人間というものは。


 近くにいるからといって、全部が分かるわけではないらしい。


 「兄貴」


 数メートル先から莉奈が振り返る。


 「何?」


 「……今日、帰るの遅い?」


 「たぶん普通」


 「普通って何時?」


 「今日も六時くらい」


 「分かった」


 「なんで毎日聞くんだよ」


 「別に」


 「またそれ」


 莉奈はそれ以上何も言わず、向きを変えた。


 俺も自分のホームへ向かった。


 でも。


 数歩進んでから、振り返った。


 莉奈の背中は、もう人混みに紛れて見えなくなっていた。


 なんとなく。


 そのことが気になった。


 誰と話しているんだろう。


 学校ではどんな顔をしているんだろう。


 友達には俺のことを何て話しているんだろう。


 俺は今まで。


 そんなことを考えたことがなかった。


 妹だから知っているべき、という意味ではない。


 ただ。


 知りたいと思ったのだ。


 莉奈がどんな人間なのか。


   ◇


 午前の授業。


 俺は黒板を見ながらも、どこか上の空だった。


 数学の先生が何か説明している。


 数式が黒板を埋めていく。


 俺のノートも埋まっていく。


 なのに。


 頭の中に残っているのは、今朝の莉奈だった。


 「学校ではどんな顔なんだろう」


 その疑問が、妙に頭から離れない。


 「神谷」


 「はい!」


 突然、先生に呼ばれた。


 「この問題、解いてみろ」


 「…………」


 黒板を見る。


 何が書いてあるのか、さっぱり分からない。


 教室が静かになる。


 「神谷?」


 「すみません分かりません」


 後ろから小さな笑い声。


 席に座る。


 すると、隣の灯里が小声で言った。


 「妹ちゃんのこと考えてた?」


 「……なんで分かる」


 「顔に出てるから」


 「またそれかよ」


 灯里が笑う。


 「何考えてたの?」


 「莉奈って、学校でどんな感じなのかなって」


 「知らないほうが普通じゃない?」


 「そうなんだけど」


 俺は窓の外を見る。


 「家だと、俺に偉そうなのにさ」


 「うん」


 「学校では、もしかしたらすごく大人しいかもしれない」


 「うん」


 「逆に、めちゃくちゃ騒がしいかもしれない」


 「ありそう」


 「どっちだろうな」


 「神谷」


 灯里が笑う。


 「妹ちゃんのこと、知りたくて仕方ないんだね」


 「……そうなのかな」


 「うん」


 俺は少し考えた。


 そして。


 たぶん、その通りなのだと思った。


 ただの好奇心ではない。


 莉奈が俺の妹だから。


 俺の家族だから。


 だから知りたい。


 でも。


 それは裏返せば。


 俺は莉奈をまだよく知らないということでもある。


 当たり前の話なのに。


 なぜか、それが少し寂しかった。


   ◇


 放課後。


 俺は駅へ向かって歩いていた。


 今日は部活がなかった。


 六時よりだいぶ早く帰れそうだ。


 スマートフォンを確認する。


 莉奈からは何もない。


 こっちから、


 『今日早く帰る』


 と送ろうか迷った。


 でも。


 なんとなくやめた。


 別に報告する必要はない。


 そんなことを思っていると。


 「……あ」


 駅前の大型モニターに、どこかで見たことのある制服が映った。


 地元の高校の紹介映像だった。


 学校祭の特集。


 ステージイベント。


 生徒たちのインタビュー。


 何気なく眺めていた俺は――。


 その場で固まった。


 「……莉奈?」


 画面の中に。


 莉奈がいた。


 制服姿。


 友達らしき女子と並んで笑っている。


 家にいるときより。


 ずっと明るい。


 いや。


 明るいという言葉では足りない。


 よく喋る。


 よく笑う。


 友達に向かって身振り手振りで何かを説明している。


 口調まで違う。


 俺の知っている莉奈ではなかった。


 「……え?」


 頭が混乱する。


 画面が切り替わる。


 また莉奈。


 今度は友達に肩を叩かれて笑っている。


 そんな表情。


 家では見たことがない。


 「…………」


 俺は立ち尽くした。


 別人に見えた。


 いや。


 別人ではないのだろう。


 こっちが知らなかっただけだ。


 人間には。


 一つの顔しかないわけじゃない。


 家族に見せる顔。


 友達に見せる顔。


 先生に見せる顔。


 一人のときの顔。


 どれも本物で。


 どれか一つが偽物というわけではない。


 俺が知っている莉奈は。


 その中のたった一つだったのだ。


 家の中で。


 「兄貴」と呼ぶ莉奈。


 俺にプリンを買わせる莉奈。


 眠そうに起こしてくる莉奈。


 それだけが、莉奈ではない。


 当然のことなのに。


 初めて、それを実感した。


 画面の中の莉奈は。


 楽しそうに笑っていた。


 その笑顔を見て。


 胸の奥が少しだけ安心する。


 ――ちゃんと学校で、楽しくやれているんだ。


 それだけで。


 嬉しかった。


 そして同時に。


 小さな嫉妬のような感情もあった。


 俺の知らない莉奈を。


 あの子たちは知っている。


 莉奈が何を話すのか。


 誰と笑うのか。


 何が好きなのか。


 何に怒るのか。


 俺よりずっと知っている。


 それが。


 少しだけ悔しかった。


 兄なのに。


 兄だからこそ。


 俺が一番近くにいると思っていた。


 でも。


 本当はそうじゃない。


 家族という立場は。


 その人のすべてを知る資格ではない。


 むしろ。


 誰かを大切に思うのなら。


 「知らない部分がある」という事実も受け入れなければならないのかもしれない。


 そう考えたところで。


 スマートフォンが震えた。


 莉奈からだ。


 『今日、早い?』


 俺は少し笑った。


 『うん。五時半くらい』


 すぐに返信。


 『じゃあ』


 少し間があって。


 『駅で待ってて』


 俺は画面を見つめた。


 『なんで?』


 返信は短かった。


 『一緒に帰りたい』


 「…………」


 思考が止まった。


 さっきまでの嫉妬が。


 馬鹿みたいに消えていく。


 俺は返信する。


 『分かった』


 すると。


 『ありがと』


 たった四文字。


 なのに。


 胸の奥が熱くなる。


 さっき画面で見た「学校の莉奈」と。


 今スマートフォンを通して俺に「一緒に帰りたい」と言った莉奈。


 どちらも同じ人間。


 どちらも本物。


 そして。


 俺はそのどちらも。


 少しずつ知っていきたいと思った。


   ◇


 約束の時間。


 俺は駅の改札前で待っていた。


 五時二十八分。


 五時三十七分。


 まだ来ない。


 五時四十一分。


 「……遅いな」


 俺が呟いた、そのとき。


 「兄貴!」


 振り向く。


 人混みの向こうから莉奈が走ってくる。


 「ごめん!」


 「遅いぞ」


 「友達と話してた」


 「そうなの?」


 「うん」


 そこで俺は。


 昼間見た映像を思い出した。


 学校で笑っていた莉奈。


 今、俺の前で息を切らしている莉奈。


 全然違って見える。


 でも。


 たぶん。


 こっちが本当で。


 あっちも本当なのだ。


 「……どうしたの?」


 「いや」


 「変な顔」


 「お前、学校では結構明るいんだな」


 莉奈が固まった。


 「……なんで?」


 「駅のモニターの学校紹介で映ってた」


 「…………」


 顔が赤くなる。


 「最悪」


 「なんで?」


 「恥ずかしい」


 「なんでだよ。普通に楽しそうだったぞ」


 「……」


 「友達、たくさんいるんだな」


 「いるよ」


 「そっか」


 俺は笑う。


 「良かった」


 莉奈がこちらを見る。


 「……なにが?」


 「学校、ちゃんと楽しいなら」


 莉奈は何も言わなかった。


 しばらくして。


 「……うん」


 小さく答えた。


 それから。


 「兄貴」


 「ん?」


 「学校での私」


 「うん」


 「両親に言わないでね」


 「分かった」


 「絶対」


 「絶対」


 莉奈は少し安心したように笑った。


 俺たちは歩き出す。


 駅から家まで。


 いつもの道。


 だけど今日は。


 少しだけ違って見えた。


 俺は。


 知らない莉奈がまだたくさんいることを知った。


 それは少し寂しい。


 でも。


 同時に。


 楽しみでもあった。


 家族というのは。


 最初から相手の全部を知っている関係ではない。


 知らないところがあるから。


 知りたくなる。


 知ろうとする。


 そして。


 その積み重ねの先で。


 少しずつ。


 「この人は家族だ」と感じていくのかもしれない。


 「兄貴」


 「何?」


 「今日もさ」


 「うん」


 「プリン買って」


 「またか!」


 「だって兄貴だから」


 「その言葉、本当に便利だな!」


 莉奈が笑う。


 俺も笑う。


 さっきまで考えていた難しいことなんて。


 一瞬でどうでもよくなる。


 俺はふと思った。


 もしかすると。


 家族というのは。


 相手を完全に理解することではないのかもしれない。


 理解できないことがあっても。


 それでも隣を歩けること。


 それこそが。


 家族なのかもしれない。


   ◇


 そして。


 その日の夜。


 莉奈が自分の部屋に戻ったあと。


 俺のスマートフォンに一件のメッセージが届いた。


 『今日、一緒に帰れてよかった』


 俺はその文章を何度も読み返した。


 たった一行。


 なのに。


 胸の奥に、静かに残った。


 俺は返信する。


 『俺も』


 送信。


 画面が暗くなる。


 自分の顔が映る。


 笑っていた。


 それを見て。


 俺はようやく気づいた。


 妹ができたことが嬉しいんじゃない。


 妹という存在を手に入れたことが嬉しいんじゃない。


 俺は。


 莉奈と一緒に過ごす時間が。


 嬉しいのだ。


 その違いを。


 まだ上手く言葉にできないまま。


 俺はスマートフォンを枕元に置いた。


 明日も。


 きっとまた。


 何でもない一日が始まる。


 でも。


 その「何でもない一日」を。


 俺は少しだけ楽しみにしていた。


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